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背理法と対偶証明の違いについて
背理法と対偶による証明は同じと私は考えています。しかし、インターネットを含み、世間では違うというのが定説かのようです。 従って、違うとお考えの方に、その理屈と根拠を教えて頂きたいのです。
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- B-juggler
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とりあえず、まずどうしようもない間違いをしていたのを、 謝罪しようと思って。すいませんでした。 こんな単純な間違いをするとはね・・・>< 苦手意識としか思えなかったです。 えっと、解けたんですか・・・。 うん、おめでとうございます。良かったです。 じゃぁ、これでおしまいにしましょうね。 「あなたの背理法は?」をずっとお聞きしてきて、 これを、補足要求にさせてもらって、ちゃんと書こうと思っていました。 書かれてあるから、もうその意味が無いですね。 >その矛盾が「何に対する矛盾か」を顕在化していないから、以後の理論が混乱し誤っているのです。 なるほど、これだったのですね。了解了解。 矛盾の対象は公理、定義、定理、そういったのもですね。 #書かれてますね(^^;) 背理法の途中で、対偶が出てきても背理法をやっていることに違いはありませんから。 対偶法と、背理法が違ってきていても、問題ないですよね。 例の式なんですが、どっかで記述しましたが #((ψ→¬φ)∧(ψ→φ))⇔¬ψ 「ある命題について、その否定を取ったときに 2つの相反する帰結が得られた(φと¬φとしたところですね)。 これをもって矛盾とする」 ↑ここの「矛盾」って言うのが、数学的にありえないことですよね。 公理系や定理、定義に反する って言う矛盾なんですね。 #これ、書きはしませんね。多分間違っていそうなので。 #¬Ψ⇔((Ψ∧(φ∧¬φ))この段階ですでに自信が無いですが。。 #こうやって引っ張り出すのもあるようです。 だから多分、この式でも大丈夫なんですよ。 「ありえないこと」って言うのが、公理・定義・定理に反しているはずですから。 「素数の無限性」や「零要素」、「平行線の錯角(同位角)」などが典型例ですね(公理に反していますね)。 私が出させてもらった 4N+1型の素数って言うのも、同じことですね。数学的にありえないことがでてくるので、何か定理かに反しているんだろうと。そこで矛盾と取れます。 「何に対する矛盾」と言うのが、もし出されていれば、もうちょっと早かったかもしれません。 ご自身で理解されたのですから、すばらしいことですし、立派でいらっしゃいます。お見事でした。 #なかなか自分の間違いを認めるのって、勇気要りますから。 #私は、そんなかけらも無いですから(^^;) #間違えて当たり前な人間ですから(^^;) 一つだけ訂正をしておきますね、これはまずいので。 素数の有限の話の中で出てきた、最大の素数についての式。 #多分書き間違いだろうなぁ~と思ってそのまま流しました。 >1×2×3×・・・Nm-1×Nm +1(Ni∈A)=N この式ですけれど、1~Nmまでの積を取って+1 ではなくて 2×3×5×7×11×・・・・・×Nm+1 素数の積になります。 #多分書き間違いです。お分かりだと思いますし。 ほとんど手助けになっていませんで、邪魔しているようなものですから 私のほうこそ勉強になりました。 ありがとうございました。 m(_ _)m
- B-juggler
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しょうがない、あなたのプライドの部分なので これはやりたくは無かったけど。 >●この文の「・・・」は式にすれば(A∧¬B)→¬A≡A⇒Bです。 この式、あっていますか? 私指摘したはずだよ。ド・モルガンが、途中で違う。 ここにこだわりすぎてる。ちゃんと書き直したのに。 謝り認めて、訂正したのに。 多分、姿勢の問題。私は数学に対して純粋なだけ。 間違えているのなら、素直に認め、検証しなおす。 あなたはこだわっちゃったんですよ。 私はそこで (A∧¬B)⇒φ としました。 突然出した、(5),(6),(7)式ですよ。 これ検証してください。って、ちゃんと出してるのに、 しないのは誰? したくないのは誰? この式あってますか?検証してください。2回目ね。前回あなたは逃げたんですよ! 何回も書いてはいるから、チャンスはたくさんあったはずだけど。 <Proof> 命題(A⇒B) (≡¬Ψ)を考える。 その否定を取り、得られた帰結をφとする。 このとき、φは AにもBにも 関係のない ものとする。 #φR(A,B)≡ 偽 (関係が発生しないのを数学的に書けばこうなる) #R もう少し大きく書きたいんだけど ¬(¬Ψ)⇒φ ≡ Ψ⇒φ ≡Ψ∧¬φ ≡¬(¬Ψ∨φ) ≡Ψ∧¬φ (x) (≡(A∧¬B)∧¬φ) (x)’ (x)式に(A⇒B)が入っていますか? ド・モルガンの定理を間違えたのあなたですからね。 #その場で気が付かなかった私も悪いけど。 #だけどちゃんとヒントは出してるのに。 #それに今は、関係のないφを出しているわけですしね。 このとき、同時に、相反する帰結、矛盾する帰結 ¬φ も得られた。 #ここで矛盾しているとします。 Ψ ⇒ ¬φ ≡・・・・≡Ψ∧φ (y) (≡(A∧¬B)∧φ) (y)’ (x)(y)式について、論理積を取る。{(x)∧(y)} {¬(¬Ψ)⇒φ}∧{¬(¬Ψ) ⇒ ¬φ} ≡(Ψ ∧ ¬φ)∧(Ψ ∧ φ) ≡Ψ∧(¬φ∧φ) ≡ ¬Ψ (z) Ψについてある矛盾した帰結が得られたのであれば、Ψは 偽 これをもって背理法とする。 フィーネ(fine) ↑証明終わりの意味。 fine と使うのは、特定の人たちだけです。 ある、定着しなかった教授の弟子たちです。 フリーの人間には、結構なじみがあるんだけどね。 #誰でも関係ないでしょうが・・ 興味も無いでしょう? お好みなら、(x)’と(y)’ を使って、展開どうぞ。 これはとっくに終わっていたんですよ。 あなたのプライドのため、NO.17の時点で終わっていました。 検証してくださいと頼んだことを待っていました。 いつまでたっても、私の出した式に対して向き合ってくれないじゃないですか。 プライドを傷つけることになるから、こういうのは顔が見えないところではやりたくない。 議論でもない、講義でもない。 押し付けるつもりは毛頭ない。 ただ、「私の背理法を否定されるのに、ご自分の背理法を述べられない」ので、これ以上話す理由はありません。 そして、背理法と、対偶法の違いに対しての意見も無い。 これは理解されたものとしますよ。 明らかに違うと。 #あなたの背理法があっているのかどうか分からないから、 #これ以上言いようが無い。 どうしても式に納得がいかないのであれば、 質問の書き方を変えて、「(z)式について」か、何かで 再質問されることをおすすめします。 多分記号論理は、哲学でもやるでしょうからね、その分野でもありますから、そちらでも出されることをおすすめします。 数学で出されるのなら、「論理学」と明記されたほうが良いでしょう。 「集合論理」って書いちゃダメですよ。 実例が山ほど出てきますよ。 純粋に式を考えるのであれば、「論理学」のほうがいいでしょうね。 不完全性定理を理解している人と、付記しておくと、 論理記号だらけのお好みの形になると思いますよ。 #私は、いやだけどね。
お礼
●●今日は忙しいのでとりあえず、下記の誤り部分だけ返信しておきます。 >●この文の「・・・」は式にすれば(A∧¬B)→¬A≡A⇒Bです。 この式、あっていますか? >しょうがない、あなたのプライドの部分なので これはやりたくは無かったけど。 ●●この式あっていますよ!!ド・モルガンが怪しいですね。 ---------------------------------------------------------------- >私指摘したはずだよ。ド・モルガンが、途中で違う。 ここにこだわりすぎてる。ちゃんと書き直したのに。 謝り認めて、訂正したのに。 多分、姿勢の問題。私は数学に対して純粋なだけ。 間違えているのなら、素直に認め、検証しなおす。 あなたはこだわっちゃったんですよ。 私はそこで (A∧¬B)⇒φ としました。 突然出した、(5),(6),(7)式ですよ。 これ検証してください。って、ちゃんと出してるのに、 しないのは誰? したくないのは誰? この式あってますか?検証してください。2回目ね。前回あなたは逃げたんですよ! 何回も書いてはいるから、チャンスはたくさんあったはずだけど。 <Proof> 命題(A⇒B) (≡¬Ψ)を考える。 その否定を取り、得られた帰結をφとする。 このとき、φは AにもBにも 関係のない ものとする。 #φR(A,B)≡ 偽 (関係が発生しないのを数学的に書けばこうなる) #R もう少し大きく書きたいんだけど ¬(¬Ψ)⇒φ ≡ Ψ⇒φ≡Ψ∧¬φ●●【←ダメΨ⇒φ≡¬Ψ∨φ】 ≡¬(¬Ψ∨φ) ≡Ψ∧¬φ (x) (≡(A∧¬B)∧¬φ) (x)’ (x)式に(A⇒B)が入っていますか? ------------------------------------------------------------- ●●以下の式の検討は、この初めの段階の誤りかあるからには、意味がなさそうです。後で、・・明日になるか知れませんが、その他の素数の無限集合の事なども含み返信します。
補足
遂に謎が解けました。妙な理屈と思い込みで長々と付き合っていただいたお陰です。 かつて秀才の端くれだった旧友も、話題の例の式に拘り、その前は別のトートロジー ¬(A⇒¬B)⇒(A⇒B)≡T(トートロジー)で、A⇒Bを背理法で証明するというものでした。 これは¬(A⇒¬B)⇒(B⇒A)≡Tも成立するので間違いなのですが、その誤りを認めずいつの間にか、今話題の式に移りました。 何れも論理的というよりは、自己の主張を無理に擁護する屁理屈でした。結局は潜在意識下に(精神医学も趣味の一つなので・・・)原因があると思えるようになりました。しかし、他人の誤りの真因は容易には解明困難なものです。それが貴方との議論過程で解明できました。有難うございました。 【本論】・・・ 背理法は命題(A⇒B)を否定して矛盾に至り、つまり¬(A⇒B)≡¬(¬A∨B)≡(A∧¬B)を仮定して矛盾に至り、元々のA⇒Bの正しさを証明するという事です。その矛盾が「何に対する矛盾か」を顕在化していないから、以後の理論が混乱し誤っているのです。 A⇒B≡A(∧K1∧K2∧・・∧Kn)⇒B つまり A≡A∧K1∧K2∧・・∧Knなのです。 ここでのKiは暗黙の内に前提にされている、証明済みの定理、公理、定義です。 ∴ ¬(A⇒B)≡¬[¬(A∧K1∧K2∧・・∧Kn)∨B]≡[(A∧K1∧K2∧・・∧Kn)∧¬B] ¬Bから演繹推論し¬A.¬K1.¬K2・・・.¬Knのいずれかの矛盾に至ります。 これ(証明済みの定理、公理、定義)以外に矛盾する相手はないのです。 ∴ [¬B⇒(¬A∨¬K1∨¬K2∨・・∨¬Kn)] ≡[¬B⇒¬ (A∧K1∧K2∧・・∧Kn)] 従って対偶から、A(∧K1∧K2∧・・∧Kn)⇒Bとなり証明は終わります。 この式は、私の背理法に対する式として、再三このスレッドにも記載しています。ド・モルガン式で長いのが苦手では、少し込言っていますかも・・・ 念のため・・すべての命題論理は論理積か論理和と否定で実現できます!! 以上
- B-juggler
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文学みたいに書かれているのはあなたですよ。 あなたは、問題に向き合っていない。解こうとしていないでしょう。 > 帰謬法 どうでもいいことでしょう。 議論でしょう、ディベートでしょう? 同じ土俵に立ってないじゃない。 何故認めようとしない。 認めようとしないから議論じゃないと言っている。 だから言いようが無いっていっているのが分かりませんか。 わたしね、自分でいうのはおかしいけど、教えるのうまいっていわれるほうです。 何でだと思います? どこが分からないかしっかり探るからです。 分からないことを補っていくんです。 あなたと話をしていても、何が分かっていないのか、何を知りたいのか、見えないんですよ。ごまかしてばかりで。 #NETだから顔が見えないハンデはあるけど。 結局、証明しようとしないわけでしょう。 本当に知りたいのなら、聞こうとしてください。 されてない。だからみんな逃げるんです。 0元の例ですか? 今度は。 何をしたいのかが見えない。 ~~~ 異なる零元が2個あると仮定して、それを0と0#します。 0+0#=0#=0#+0=0で、その零元0と0#は同一になり証明されます。 乗法が許されるものなら単位元でも同様です。各種テキストで良く出ていますが、背理法で・・・と書いてあり、上記のように簡単な証明です。 これは私見ではなく、共通したテキストの記述です。 ~~~ これが何? 背理法に反していますか? 背理法そのものでしょう。 ~~~ A⇒Bが成立しているのです。しかし、この矛盾の相手がAを有限と仮定したことか、つまり¬B⇒¬Aでなのかは、『素数は無限集合である』とした文ではAをどう定義するかで、微妙だろうと言うだけです。 ちょっと微妙な例を以後に出しすぎましたかね。無限が含まれるとかなりややこしい事が絡みますよ。(一文字修正・言うたけ→言うだけ) ~~~ なぜ? 無限が絡むと、ややこしい? だからダメだって言っているんです。 何の問題がそこにありますか。 もう一つ修正するべきなのか、わざとか分からないけど、 素数に対してどう定義するだの、素数全体の集合をどう定義するだの無いでしょう。そんなのは関係ないの。 素数全体の集合を有限と仮定すれば、 素数のAは 有限の集合¬B に入っている。 (A∈¬B) また前述の通り背理法で否定できるわけでしょう。 素数の集合の外にAがあるんですか? 分かってないからそんなこといえるんでしょうね。 A∧¬B って、どういう意味です? ¬B に反しているっていえるんですか。 ¬Bは素数が有限。 じゃぁ、Aは入れてもらえないんだ。 へぇ~~~。 明らかに違うでしょう。 何を持って、対偶と同じだと言えますか? 分かってないどころか分かろうともしてないじゃない。 「有限な素数全体の集合の外に、素数が存在する」これが矛盾以外の何? ~~~ 『2直線とその交点以外で交わる1直線とでなす、一対の錯角が相等しいならば其の2直線は平行である』等と言うのが適当な例です。これを並行でないと仮定して背理法で証明します。この場合直線の公理に矛盾が出ます。この場合はA⇒B≡¬B⇒¬Aからではなく、A∧K1∧K2・・・∧Kn⇒BのKiの一つの直線の公理への矛盾から、 ¬B⇒(¬A∨¬K1∨¬K2・・・∨¬Kn)≡¬B⇒¬(A∧K1∧K2・・・∧Kn) として背理法で、形式は対偶として証明されます。これが私が背理法とは対偶で行うものだという説です。 ~~~ これもそうです。 (2直線とその交点以外で交わる1直線とでなす、一対の錯角が相等しい)∧¬(其の2直線は平行である) これも直線の公理に反しますよ。平行線の公理と言ってもいいか。 #平行線の公理だと、また同論って言うんだろうな。 対偶法使う必要も無いじゃない。 元のテーマ式。 ちゃんと根拠も言っている。 『ある命題において、その命題を否定したことによって得られた帰結が、命題の否定に矛盾するものであれば、元の命題は真である』 立派に式の根拠になっている。 あいまいにしなきゃいいんだね。 ((ψ→¬φ)∧(ψ→φ))→¬ψ これをもって、背理法の根拠としていい。 上記『』内による。 #何度も書いているけど、 φと¬φ が同時に帰結する #これを矛盾意外になんと言いますか? そして、この質問のタイトル、あなたの聞かれていることはこれでしょう? 「背理法と、対偶法は違う」 明らかに違うのは、分かったでしょう。 論理がどうの言う前に、学問に対する姿勢が違いすぎる。 そりゃみんな逃げるよ。 #NETだからどうしても、面と向かって話できないから、 #どこまで分かっているのか理解できない。 #その上、書き方が、おちょくっているようにしか見えないんですよ #妄信的に否定されますね。信じられるところは、肯定して。 #ご自身で書いていて、こういう認識ありますか? #読んでいる私たちは、そう思っているんですよ。 #よくもまぁ、ここまで付き合ったもんです。
お礼
●No.10からの引用です。・・・ -------------------------------------------------------------- ところで、背理法によって、仮に、 2) (A∧¬B)→¬A が証明されたとします。つまり、「 A が真であって、B の否定が真であるときに必ず A の否定が真となる 」ことが証明されたとします。 2) という合成命題は・・・・・ 、2) という命題が常に真であることを証明したとします。 ・・・・・・・ ---------------------------------------------------------- ●この文の「・・・」は式にすれば(A∧¬B)→¬A≡A⇒Bです。 この引用は、今テーマになっていて逃げた方kabaokabaさんが、背理法の根拠として書いたものに対して、貴方が理由づけの説明中に出ています。 テーマの式((ψ→¬φ)∧(ψ→φ))→¬ψ = ((A⇒¬B)∧(A⇒B))⇒¬Aは(A⇒B)と言う命題を証明する方法(背理法)としてのものです。 ●という事は、引用文にあるように『・・・真であることを証明したとします。』と仮定してます。A⇒Bを仮定してA⇒Bを証明することです。 これは「同語反復」と言う間違いです。と指摘したところから議論が大きくずれています。貴方が数論のおかしな例を出して、つられて私も素数の無限についての例を書いたとこで、さらに混乱しています。
補足
続き・・・ ●従って、私の経歴がどうであろうと、哲学系であろうが何系の知識であろうが、議論の本質は論理学の問題として、具体例にも関係のない、テーマ式が背理法の根拠の説明になればいいのです。 ●その説明の貴方のものが、同語反復なので了解できないだけです。実は論争していた旧友も、同語反復的な説明を指摘されて以来、答えがありません。 ----------------------------------------------------- 『あいまいにしなきゃいいんだね。 ((ψ→¬φ)∧(ψ→φ))→¬ψ これをもって、背理法の根拠としていい。 上記『』内による。 #何度も書いているけど、 φと¬φ が同時に帰結する #これを矛盾意外になんと言いますか?』 ----------------------------------------------------------- ●今回のこの部分も、背理法テーマ式から、純論理式の展開で(数学的に、数学専門家らしく)(A⇒B)に導くことができれば、『矛盾以外になんといいますか?』等と、感情的な主観的な文章でなく論争の余地が無くなります。 式などは文章で解釈すれば、主観的になる可能性が出ますが、論理学ではその必要もないし、具体例もかえって誤解のもとになります。 ●量子力学などは、未だにアインシュタイン以来論争し、一致していない基礎分野があるのです。それが私の専門なので哲学的でもあるのですが。
- B-juggler
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困りましたね。 背理法の考え方が違うのか。 なら私も撤退ですね。 ~~~ 背理法の適当な例として「素数が無限にある」というのがよく出ます。 A=素数の集合、B=無限(当然素数の)集合とし、A⇒Bを証明するのです。 ¬B=有限集合と仮定(Bの否定)すれば、最大の素数があることになりそれをNmとします。1×2×3×・・・Nm-1×Nm +1(Ni∈A)=Nとすれば、Nはどの素数でも割れないので素数であり、Nm<Nであることになり、有限(Nmまで)としたことに矛盾するというのです。これは何に矛盾するのかという点で、いささか疑問ですが。しかしBが有限と仮定したときには、当然Aの素数の数も有限と仮定したことになり、そこにNmがあるというので、それへの矛盾なのでしょう。つまり¬B⇒¬Aです。(論争相手はこれを認めませんが) ところが私の気づきですが、1×2×3×・・・Nm-1×Nm ×N=MとすればNとMの間にはかなりの数が存在します。 そこには素数も含まれ、具体的に構成すれば分かりますが、Mを割れる数が出てきます。と言う事で、どこまでもこの理屈で、素数を無限に見つけられるかが疑わしいのです。これは多分何処にも出ていないでしょう。 ~~~ これはそのまま引用してきました。 >有限(Nmまで)としたことに矛盾するというのです。これは何に矛盾するのかという点で、いささか疑問ですが。 この疑問をもたれる時点で、私の感覚と違います。 単純に、何に矛盾しているか。¬(A⇒B)に矛盾している。これだけです。 素数が無限だと言うことを証明したいのですから、 ¬(A⇒B)≡(A∧¬B) (a)ですよね。 最大の素数N に対して、Nmがでてきてしまうわけですから。 (a)に反していることに他なりません。 この議論なんですか? これは申し訳ない、レベルが違いすぎる。 工学をやられてきたのでしょう?量子力学でしょう? これはにわかに信じられないですがね。 ここが分かられてないというのは、いくらなんでもまずいですよ。 #私も単位これだと出せませんね しかも素数の無限性ですから・・。もろに私の領域ですよ。 この調子だと、私の例も理解されて無いですね。。。 はっきりしました。 「背理法」理解されていないのはそちらですよ。 #ついでに、代数学も。それにまつわる、代数学的論理も。 >しかしBが有限と仮定したときには、当然Aの素数の数も有限と仮定したことになり、そこにNmがあるというので、それへの矛盾なのでしょう。つまり¬B⇒¬Aです。(論争相手はこれを認めませんが) これが違いますから。 何に対して矛盾をしているか?そこの捕らえ方が間違っています。 これは確かに他のところでもそのようですね。 確かに議論にならない。聞こうとされない相手に聞かせる事はできないので。 ついでに >1×2×3×・・・Nm-1×Nm ×N=M ですか。 これは今の証明に関係ありませんね。 全く別の問題です。なんらのつながりもありません。 何が証明したかったのか? それすらお分かりになってないじゃないですか! 論理学に疎い私から見ても、これはどうしようもないですね。 ついでなんで、MとNの間はかなり広い? そうですか。 そこに素数があるかどうか、検証してみないと分かりませんね。 どういう素数が考えられますか? 検証で出してみてください。 申し訳ない、こんなのは一目です。 #私の例題に答えないのが、わざとなら、私もこれ答えません。 #自力でどうぞ! まぁちゃんとこれは出していきます。 ((ψ→¬φ)∧(ψ→φ))→¬ψ (1) この式知りませんでした。ただ今は、これを持って背理法だと言えます。 Ψが一つの命題。φはその帰結です。 (1)式 十分条件部は Ψについて、ある矛盾した帰結(φ・¬φです)が同時に得られたことを、示しています。 必要条件は、命題Ψの否定。Ψは命題として成立していない。 この式は、こうした!式ではありませんか? こういう風に置いたものではないかと推測しています。 そうであれば「正しい式」と見えます。 これがなぜか? 私前回かいてます。記載済みとありますが、ありませんよ。 それにも触れないのですね。 「机上の空論」はいりません。 実地の計算に、異常なまでに弱いようです。 だから根拠のない事を言われるのか。 #完全数が{2の(素数p-1)乗}×{2の(素数p)乗 -1} #であらわされることを証明してください。 #さらに、得られた完全数は、1から(2^p)-1までの和で #あらわされることを示し、背理法を用いてそれを証明してください。 当然出来ますよね。ほとんど答え書いていますからね。 妄信的に信じている のは、私たちではなく、あなたです。 この命題を考えてください。 「ある既定の式について強固に否定をし続け、確実にこちらが正しいと自説を曲げず、その既定の式について証明をしようとしない のであらば その既定の式は理解できない」 この命題は真のはずですがね
お礼
>こまりましたね。 背理法の考え方が違うのか。 なら私も撤退ですね。 ~~~ 背理法の適当な例として「素数が無限にある」というのがよく出ます。 ・・・・・ 省略 >>有限(Nmまで)としたことに矛盾するというのです。これは何に矛盾するのかという点で、いささか疑問ですが。 >の疑問をもたれる時点で、私の感覚と違います。 ●背理法とは感覚の問題ではありません。 帰謬法と言う言い方もありますが、お得意の代数の例て言えば、「零元は一つしかない」と言う例にしましょう。これは一般の『体』でも『線形代数』でもいいですが、零元の定義は略しても大丈夫ですね。 「ある元が零元⇒一つしかない」と形式化できます。 ●異なる零元が2個あると仮定して、それを0と0#します。 0+0#=0#=0#+0=0で、その零元0と0#は同一になり証明されます。 乗法が許されるものなら単位元でも同様です。各種テキストで良く出ていますが、背理法で・・・と書いてあり、上記のように簡単な証明です。 これは私見ではなく、共通したテキストの記述です。 >純に、何に矛盾しているか。¬(A⇒B)に矛盾している。これだけです。 素数が無限だと言うことを証明したいのですから、 ¬(A⇒B)≡(A∧¬B) (a)ですよね。 ●このことに異論はないですよ。「¬(A⇒B)に矛盾している」従って A⇒Bが成立しているのです。しかし、この矛盾の相手がAを有限と仮定したことか、つまり¬B⇒¬Aでなのかは、『素数は無限集合である』とした文ではAをどう定義するかで、微妙だろうと言うたけです。 ちょっと微妙な例を以後に出しすぎましたかね。無限が含まれるとかなりややこしい事が絡みますよ。
補足
省略 これは申し訳ない、レベルが違いすぎる。 工学をやられてきたのでしょう?量子力学でしょう? これはにわかに信じられないですがね。 ここが分かられてないというのは、いくらなんでもまずいですよ。 省略 すぐ感情的になのは、日本人のディベート下手の謂われです。 記号の計算も怪しいので、単位やれないと言ったのがお気に障りましたかね。もっと自信を持たなければ議論などはできませんよ。 省略 >>しかしBが有限と仮定したときには、当然Aの素数の数も有限と仮定したことになり、そこにNmがあるというので、それへの矛盾なのでしょう。つまり¬B⇒¬Aです。(論争相手はこれを認めませんが) >れが違いますから。 ついでに >1×2×3×・・・Nm-1×Nm ×N=M ですか。 これは今の証明に関係ありませんね。 ・・・・・・ ついでなんで、MとNの間はかなり広い? そうですか。 ●1,2,3,5,7,・・・この位から例の式で計算して素数を作れば、私の言う事が分かります。このスレッドはスペース限られてるので、ご自分でどうぞ。多分知らないことでしょうね。 数論に興味があるようなので、ついでに出しただけですが失敗です。 答えを求めてはいませんよ。 省略 >ぁちゃんとこれは出していきます。 ((ψ→¬φ)∧(ψ→φ))→¬ψ (1) >の式知りませんでした。ただ今は、これを持って背理法だと言えます。 Ψが一つの命題。φはその帰結です。 (1)式 十分条件部は Ψについて、ある矛盾した帰結(φ・¬φです)が同時に得られたことを、示しています。 必要条件は、命題Ψの否定。Ψは命題として成立していない。 この式は、こうした!式ではありませんか? 省略 妄信的に信じている のは、私たちではなく、あなたです。 この命題は真のはずですがね ●今ごろテーマを取り違えるとはね。この式が背理法だとして、自信のある理論を求めているのです。 従って『こうした!式ではありませんか?』『この命題は真のはずですがね』というような、自信の無さそうな主観的な回答は求めていません。 少なくとも式で厳密に表現できるテーマなのです。文学論議ではありませんよ。
- B-juggler
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ごめんなさい。多分間違っていますね。 ¬(A⇒B)⇒φ (5) この展開、 (5)≡[(A∧¬B)⇒φ]≡{¬(A∧¬B)∨φ]≡¬A∨B∨φ これ違ってますね m(_ _)m (5)≡[(A∧¬B)∧¬φ]≡¬[¬(A∧¬B)∨φ]≡¬(¬A∨B∨φ) ド・モルガン間違えてれば世話は無いですね。 #ここでの展開は意味を成しませんが。 (6)の展開も間違えていそうですが、論証の過程に問題はありません。 #展開する意味を取っていませんので。 問題は、NO.13での頂いたご回答。 >[(A∧¬B)⇒¬A}≡{¬(A∧¬B)∨¬A]≡¬A∨B∨¬A≡¬A∨B≡A⇒B ここがまずいですか? 最終計が ¬(A⇒B)となるだけですから、 論理的には多分おかしいのでしょうから、 今までの議論は無駄にはなりませんが。 これは流してもらって結構だけど、厳密に。 ド・モルガンを間違えて、それに気が付かないのも悪いので。 繰り返しですが、ここが論旨に直接関与していることではありません。 ので、さらっと流してくださいね。
お礼
●前回からの続き・・・ 順序逆ですが・・・ >●●(1)((A⇒¬B)∧(A⇒B))⇒¬Aが背理法の原理式かと言うのがテーマ。 これはどこからですか? こんなこと書いた覚えは無いですが。 ●途中でφとかψと変っていますが、どちらも論理式の代入ができる真理値を有する命題と考えれば、同じです。私が提起している質問自体です。 当初は背理法として問いかけていますが、旧友と論争になった相手の根拠式で、この欄では途中で逃げた方が、背理法の根拠として出してくれたので、それをまた巡り合った懐かしきテーマにしています。これは何処かに(誤りと私が判断する)源があるはずです。それも専門家顔したどなたかのです。 ●論理学者とか学校の先生とか言われても信用してはダメです。 ・・・・・ 一番最初の前提式、((ψ→¬φ)∧(ψ→φ))→¬ψ この式をどうにかして出したいだけですよ。 #この式にこだわるつもりもありませんが、他にあったら教えてくだ さい。 ●従って、無理に出すものではなく、ご自分が背理法の根拠と思い、理屈を持っている方が示すべきものです。 協力して出していきましょうよ。せっかく議論しているんですから。 [(A∧¬B)⇒¬A]≡A⇒B この式(厳密に言うと私の作った式ではないですよ^^)の 左側帰結のところを、¬A とするのが怪しい! ・・・・・ ●これは私が出した式で、論理的に展開すれば出ます。何回か前に記載済みです。 ●従って((ψ→¬φ)∧(ψ→φ))→¬ψが背理法の式だという方でなければ。回答資格はないと言う事です。
補足
●(1)((A⇒¬B)∧(A⇒B))⇒¬Aが背理法の原理式かと言うのがテーマ。 ●話が錯綜してきたので、上記のテーマに限定して、まだ逃げ出さないのなら議論しましょう。このテーマから言えば、貴方がこの式を信じていることが議論の前提です。これで逃げると、このコーナーで前に逃げた方と、私の遠距離の愚かな友人と三人目になります。 ●いずれもこの式と、その主観的な正しいはずだとか、成り立つはずだとか、お前は何でも否定するとか、・・・と言いながら逃げました。 ●またあなたは、ご自分の例題に私が答えないとか、引用文の背理法の説明を理解しないとか言いますが、貴方が背理法の例として出すべき立場なのです。三流学者の文献は読まない主義です。 この引用文は、書いた方も分かりにくいと言っていますから、正しいのかどうかも不明です。貴方か理解しているのなら、その理解内容で説明すべきです。私は権威ある著者の文などは、自説の代わりには引用を避けていますが、前記の背理法の説明は読んだことがありません。 ●「記号論理学」は不得意とか逃げ気味ですが、この学問はコンピュータの回路設計にも使われます。その他現代の哲学、言語理論、数学の定理の自動証明、プログラム理論、数学基礎論・・・にも応用されています。 ただし人間の使う論理は、二値の命題論理学や述語論理学だけでなく、様相を扱う様相論理学もあり、量子力学の世界では量子論理と言うのもあります。また思考の世界には、その他創造理論や諸々の思考があります。 従ってもし数学屋を自称するのなら、単純な記号論理で怖気づいていないで、もっと知見を広げて下さい。
- B-juggler
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前半は数学(私は代数系ですが、ここまでの論理が必要なら単位もらえてないでしょうね)の話です。 哲学と、論理学が違うことをちゃんとお話しないといけないですね。 哲学的論理と、数学的論理では若干違いがでてくるのでは。 この主張は、例題のところで示したかったのですが。 #解いてもらえなかったので。しょうがないので。 もちろん、数学的な論理学(代数系の範囲の)はありますが、数学で大切なことは、正しい解を導き出すことですよね。 #もちろん論理的整合性は取る必要はありますが。 単純に A⇒B の命題が正しいとする根拠を、背理法で求める。 このときに、¬(A⇒B)を取って、ここから得られる帰結が、 「矛盾」をはらめば、そこで終わってしまいますよね。 やっぱりやりますか。例を挙げて。私が挙げた例で行きましょう。 線形代数をやられていたのなら、解いてみて頂きたかったのですが。 私の言っていることは分かってもらえると思いますので。 P⇒Q としておきます。 素数の話ですよ。割愛しますね、前に書いていますから。 この命題は真です。1~30までで、Pに該当する素数は4つ 「5,13,17,29」これだけです。 で、それぞれ 5=1+4 13=4+9 17=1+16 29=4+25 全ての右辺は互いに素な二つの数の2乗和ですね。 さて、背理法を取ってみましょう。 ¬(P⇒Q)≡(P∧¬Q) この時点で、もう矛盾が出てきますね。 「5,13,17,29」かつ互いに素な二つの数の2乗和でない。 5=1+4、13=4+9、17=1+16、29=4+25 が矛盾になりますね。 これは(P⇒Q)からも直接言えますね。 否定を取って、矛盾が出たので、否定が間違い。 実際に計算すると(証明すると)、⇒φ と置く必要も無く解けてしまう。 数学の問題を解く人間は、ここから先はどうすれば?って言うので困るんです。実際は否定を取って、矛盾を引き出しておしまいですから。 哲学的論理のほうでは、先を考えるのですよね。 そこで、いろいろと考えているんですよ。 で、(7)式は突然ではなく、(5)(6)と出してみていますから。 強引過ぎるとは思いますが。 一番最初の前提式、((ψ→¬φ)∧(ψ→φ))→¬ψ この式をどうにかして出したいだけですよ。 #この式にこだわるつもりもありませんが、他にあったら教えてくだ さい。 左側は「ある命題について矛盾がありますよ」と言うことですよね 右は「ならばその命題は成立しませんよ」と言う主張でしょう? ここら辺は数学の実地計算とは変わってきますので。 論理学の世界ですよ。第一、この式自体を知りませんでしたよ、私は。 包含関係や、ド・モルガン、集合論のような数的論理では苦しい気がしています。 (だから困っているんです) 協力して出していきましょうよ。せっかく議論しているんですから。 [(A∧¬B)⇒¬A]≡A⇒B この式(厳密に言うと私の作った式ではないですよ^^)の 左側帰結のところを、¬A とするのが怪しい! #論理学上まずいと言うことでしょうか。 #前述どおり、実地の数学ではそこまで行かないので。 と、感じましたので φ としてみたんです。 (5)(6)(7)式の検証をお願いします。 それで引用した部分ですが 『 集合と論理 』 ( p.3-4 ) http://pelab.nagaokaut.ac.jp/kondolab/convenience/pdffiles/syugou-r... ここです。 権威者が書いているかもしれませんが、正しいかどうかの判断は読んでみてからにしていただけませんか? 典型的な集合論と、その論理形態です。数学的論理の私たちは、反論する余地がありません。 ちなみに、((ψ→¬φ)∧(ψ→φ))→¬ψ この式は出てきません。 #書いてある内容を式にすればこうなるのではないか?と言うレベルです も一つ >●(1)((A⇒¬B)∧(A⇒B))⇒¬Aが背理法の原理式かと言うのがテーマ。 これはどこからですか? こんなこと書いた覚えは無いですが。 Ψ=A φ=B と置き換えてありますか?Caperさんのかな? これ置き換えるとすると、Aは命題でなくてはならないと思いますが。
お礼
前半は数学(私は代数系ですが、ここまでの論理が必要なら単位もらえてないでしょうね)の話です。 ●貴方が現役の学生で私が教官なら単位あげません。理数系以外に転部を勧めますし、教師なら退職を勧めます。 何れも適性がなさそうです。(笑い) 単なる趣味ならご勝手に・・・。 哲学と、論理学が違うことをちゃんとお話しないといけないですね。 哲学的論理と、数学的論理では若干違いがでてくるのでは。 ・・・・。゛ ●当然多少違いますが、扱うテーマと取り上げる角度が違うだけで、対象になる【論理】での違いはありませんよ。 (A∨B)と日常言語での(AまたはB)は違います。後者は何れか片方だけが「真」の意味がありますが、前者は両方とも「真」でも片方だけが「真」でもよいのです。しかし数学では、(A∨B)の意味での「真」で、2値の論理学の範囲です。 哲学的というのがどの時代の哲学か知りませんが、断らない限りその【論理】に違いはありません。「哲学」と言うとき何を読み、何を想定していますか。 省略 ・・・数学で大切なことは、正しい解を導き出すことですよね。 ●当然ですが、あくまで正しい解は、論理的に出すのです。 ・・・・・・・ 単純に A⇒B の命題が正しいとする根拠を、背理法で求める。 このときに、¬(A⇒B)を取って、ここから得られる帰結が、 「矛盾」をはらめば、そこで終わってしまいますよね。 やっぱりやりますか。例を挙げて。私が挙げた例で行きましょう。 ・・・・・・ P⇒Q としておきます。 素数の話ですよ。割愛しますね、前に書いていますから。 この命題は真です。1~30までで、Pに該当する素数は4つ 「5,13,17,29」これだけです。 で、それぞれ 5=1+4 13=4+9 17=1+16 29=4+25 全ての右辺は互いに素な二つの数の2乗和ですね。 ・・・・・・・ 「5,13,17,29」かつ互いに素な二つの数の2乗和でない。 ・・・・・ ●この後半部分が言えても、背理法でも何でもありませんし、何かが証明されてもいません。 まず背理法自体が理解されていない、としか思えませんね。 この例題を背理法で証明するのは、どうするのだろうと放置していましたが、背理法の適当な例題ではないのでしょう。ここでのものは証明とはいいませんね。
補足
続き・・・ 背理法の適当な例として「素数が無限にある」というのがよく出ます。 A=素数の集合、B=無限(当然素数の)集合とし、A⇒Bを証明するのです。 ¬B=有限集合と仮定(Bの否定)すれば、最大の素数があることになりそれをNmとします。1×2×3×・・・Nm-1×Nm +1(Ni∈A)=Nとすれば、Nはどの素数でも割れないので素数であり、Nm<Nであることになり、有限(Nmまで)としたことに矛盾するというのです。これは何に矛盾するのかという点で、いささか疑問ですが。しかしBが有限と仮定したときには、当然Aの素数の数も有限と仮定したことになり、そこにNmがあるというので、それへの矛盾なのでしょう。つまり¬B⇒¬Aです。(論争相手はこれを認めませんが) ところが私の気づきですが、1×2×3×・・・Nm-1×Nm ×N=Mとすれば NとMの間にはかなりの数が存在します。 そこには素数も含まれ、具体的に構成すれば分かりますが、Mを割れる数が出てきます。と言う事で、どこまでもこの理屈で、素数を無限に見つけられるかが疑わしいのです。これは多分何処にも出ていないでしょう。 『2直線とその交点以外で交わる1直線とでなす、一対の錯角が相等しいならば其の2直線は平行である』等と言うのが適当な例です。これを並行でないと仮定して背理法で証明します。この場合直線の公理に矛盾が出ます。この場合はA⇒B≡¬B⇒¬Aからではなく、A∧K1∧K2・・・∧Kn⇒BのKiの一つの直線の公理への矛盾から、 ¬B⇒(¬A∨¬K1∨¬K2・・・∨¬Kn)≡¬B⇒¬(A∧K1∧K2・・・∧Kn) として背理法で、形式は対偶として証明されます。これが私が背理法とは対偶で行うものだという説です。
- B-juggler
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はい。こんにちは。 みんな逃げるのは、申し訳ないですがケンカ腰に見えますよ もう少し丸く行きましょうね。 えっと、記号論理ですね。哲学的な考え方と数学の考え方が 異なっている可能性を感じたものですからね。 私も「数学の立場」で例の式を認められる、と言う立場です。 哲学が最高の学問だと、アリストテレスも言っていますね。 数学は、一つの柱でしかないのでしょうから、 哲学で通用するように、例の式を見つけ出せれば!と言うことになりますね。 数学では >[(A∧¬B)⇒¬A}≡A⇒B こうしてしまえば、証明にならないですよ。 これで好いんですよ。[]の中の式を展開していくことは、証明をするためには敢えてやらない、と言った方がいいかな。 あくまで数学では。多分この辺は、数学的論理と哲学・記号論的論理では違ってきていると思うのです。 ついでに、数学の背理法は「命題が正しいことの裏付け」を取る作業に近いかと思います。 これをもって、途中で(A⇒B)がでてきても、構わない。 むしろ大事なのは、¬(A⇒B)で、命題に従わない帰結が得られないことが分かればいい(つまり矛盾が取れればいい)事だと。 なので、展開して行くことを、敢えてしないのですよ。 #数学的には、間違ってはいません。 #問題を解くことを最優先に考えますから。 前回挙げた例題ですが、趣旨はわかっていただけているものとして 進めていきますね。例題では該当する素数は4つですが、全て成立しています。ここに矛盾が無いことを証明すればいい、と言うことです。 例の式を、導き出すことにもう少し、専念してみましょう。 もしよければ、哲学のところに(記号論理は向こうのほうが強いかもしれません)、この質問持っていかれてください。 例えば、こういう風に持っていくのはどうかな?と、考えてみました。 CaperさんもKABAOKABAさんも数学の方ですので、 私と同じ考え方で、やはり問題を解くことを重視されていますよね。 #数学はそれが全てですから、仕方ないと言えば仕方ない。 縁もゆかりも無いφ って言うのがありますね。 KABAOKABAさんが書かれていますか。 これ使ってみましょうか。命題は A⇒B。 背理法で反証を取ります。¬(A⇒B) ですね ここから得られる帰結、「AならばB ではないのなら」を φとして見ましょう。 どうなるか・・。 ¬(A⇒B)⇒φ (5) #φは「縁もゆかりも無いもの」です^^ #(1)は前に使っていますので、突然(5)番式としますね 再三書かしてもらっていますが、記号で式を展開していくことに自信は全くありません。手直ししてくださいね。お願いします。 (5)≡[(A∧¬B)⇒φ]≡{¬(A∧¬B)∨φ]≡¬A∨B∨φ これでいいかな。(5)式はトートロジーですよね。 φを演繹的に得られた結論とすれば。 ついでに、この式も考えておきましょう。 ¬(A⇒B)⇒¬φ (6) 展開の必要があるかどうかですが・・・。 (6)≡[(A∧¬B)⇒¬φ]≡{¬(A∧¬B)∨¬φ]≡¬A∨B∨¬φ この式は、(5)がトートロジーなので、「否トートロジー」(?)ですね (5)と(6)を論理積で取ってみます。 ここから得られるものは何か? 「否トートロジー」が得られますね、これは一体なんなのか? [¬(A⇒B)⇒φ]∧[¬(A⇒B)⇒¬φ] (7) (7)式で 背理法の根拠にはなりませんか? 哲学的にどうでしょう? ある命題の否定について、相反する結論が得られた。 このとき、その命題は「真」 と出来ませんか? #自信全くありません。強引過ぎますし (7)⇒¬¬(A⇒B)≡(A⇒B) ¬(A⇒B)をΨとおけば、例の式になります。 #自信ないですよ。浅知恵ですから^^; 数学的な証明にどう使うか、全く見当がつきません>< 検証をお願いします。 ~~ この式が旧友との議論の中にも出てきて、その根拠を示せないままに終わっているのです。こんな式を書いている本は見たことがありませんし・・・。と言う事です。 ~~ 書籍では無いですが、CAPERさんが挙げてくださっています。 式そのものは載っていませんが、書いてある内容を式にすると、実は私がやったことです^^; ついでに 背理法の古い説明(記号論理を使った分かり難い説明):背理法により命題B 真を導く,後で示すように,命題X = ((¬B) ⇒(C ∧¬C))⇒ B が恒真(トートロジー)であり,しかも,命題X の前提である命題(Y= ¬B ⇒ (C ∧¬C) が真であることが背理法で矛盾が導けたことにより,明らかとなっている。したがって,X とY が両方とも真なら,X の結論であるB も真でなければならない(三段論法による)。 ここで命題X = ((¬B)⇒ (C∧¬C))⇒ B が恒真であることを示す。ただし,下記の(*) 式はX⇒B ≡(¬X∨B) と(C ∧¬C)≡偽 による。 ((¬B)⇒ (C∧¬C))⇒B ≡ ¬(B∨偽)∨B (*) ≡B∨¬B ≡真 これ載ってましたが、同じことに見えますね^^; ってことは大丈夫なのかな?ダメかもね、本を鵜呑みにしちゃいけない
お礼
『みんな逃げるのは、申し訳ないですがケンカ腰に見えますよ もう少し丸く行きましょうね。』 ●議論とは言葉による喧嘩みたいなものです。日本人の悪いところは徹底的にやれないところです。私は大丈夫ですよ。skoyanの相手は時間の無駄などとは、間違っても私は言いませんから・・・・。 『えっと、記号論理ですね。哲学的な考え方と数学の考え方が 異なっている可能性を感じたものですからね。 私も「数学の立場」で例の式を認められる、と言う立場です。』 ●哲学にも数学にも【論理】に違いはないでしょう。私の例の逃げた旧友も「言葉の論理」とか言っていましたが・・・。 『哲学が最高の学問だと、アリストテレスも言っていますね。 数学は、一つの柱でしかないのでしょうから、 哲学で通用するように、例の式を見つけ出せれば!と言うことになりますね。』 ●哲学も他の学問も最高とかの比較はないでしょう。【論理】には「言葉」にも「哲学」にも「数学」にも「物理学」にも違いはありません。 それぞれで、考えるときに【論理】だけでは解決できない、それぞれの学問方法があるだけです。 ●考えるとは、論理的なもの以外に、・・・簡単な例を示せば、新規の発明などをする時の、創造思考では論理は使えないし、人間について心の問題を考える哲学では、【論理】だけでは考えられないようなものです。 『数学では >[(A∧¬B)⇒¬A}≡A⇒B こうしてしまえば、証明にならないですよ。 これで好いんですよ。[]の中の式を展開していくことは、証明をするためには敢えてやらない、と言った方がいいかな。 あくまで数学では。多分この辺は、数学的論理と哲学・記号論的論理では違ってきていると思うのです。』 ●何を持ってこのような発想になりますか・・・ (1)式がA⇒Bを証明する方法としての背理法の根拠かどうかがテーマです。 その時に、A⇒B[≡(A∧¬B)⇒¬A}を証明されたと仮定することに、違和感を感じませんか!?? この式[(A∧¬B)⇒¬A}≡A⇒Bの≡の左辺は、貴方の理屈をご自分で式化したもので、右辺は同値な式です。まさか【同値】の意味にまで遡る必要はないでしょう。それならば最早議論や話の対象レベルでありません。
補足
●(1)((A⇒¬B)∧(A⇒B))⇒¬Aが背理法の原理式かと言うのがテーマ。 (1)式は間違いなくトートロジーです。 トートロジーとは何でもありません。要素命題の論理値の真偽に無関係に全体が真になるだけです。当然要素命題には論理式の代入ができます。 『背理法の古い説明(記号論理を使った分かり難い説明):背理法により・・・・・』 ●・・・はどこが発生源か知りませんが、この文章全体は考える気にもならない理屈です。読む気にならないのでご勘弁を・・・。この文の著者は権威の代名詞にもなリませんね。 『・・・[¬(A⇒B)⇒φ]∧[¬(A⇒B)⇒¬φ] (7) (7)式で 背理法の根拠にはなりませんか? 哲学的にどうでしょう?』 ●突然新式が出てきましたね。(1)式とは違いますね。 元々のテーマから考えましょう。哲学と言うのがどれか分かりませんが、現代の分析哲学でならば、数学とも論理学とも同一ですよ。多少は流派によって書き方や微妙な異論はありますが・・・。 続き・・・ 論理学と数学は区別できないと思っています。ラッセルやゲーデルは哲学者でもあり論理学者でもあり、ウィットゲンシュタインは哲学者に入りますが、論理学の基礎的な著作が有名です。 『CaperさんもKABAOKABAさんも数学の方・・・』 ●何を持って数学の専門家と言うのか知りませんが、関数解析学などに必須のルベーグ積分、線形代数などでは、この程度の論理知識では理解不能ですよ。現代代数学では当然背理法なしでは証明できない定理が山ほど出てきます。ご自分の根拠や理屈を自ら厳密に反省・検討すべきです。
- B-juggler
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ちょっと気になったのですが、 もしかすると、哲学の方ですか? 現代数学で、記号論理学はそれほど重要ともされていないので、 ここまでお詳しいので、またプロではないとおっしゃってあるのと、 数学じゃないとすると、哲学のほうの論理かなと思ったものでして。 別に異を唱えるつもりは無いですが、だとすると、 問題の解釈(この場合は証明についてになりますね)が アプローチの仕方が違うかもしれません。 #例題失敗したかな・・・?
お礼
貴方は意外につまらない方なんですね。盛んに他人の経歴なんかを気にしているようです。 プロとは職業と言う意味ですよね。それは地位の事ですか。財産の大きさですか。鳩山総理のようにお金があって、海外の大学の理工学部でも出ていたら、しかも総理大臣ですから・・・彼に1+1は2ではないと言われたら信じるのですか。石川五右衛門は泥棒棒だからそのすぺての発言は信じませんか。 とすればスピノザ等という、城の門の近くでたむろして哲学を研究していたとかの、伝説の哲学者は何の価値もありませんか。 なぜ真理がその人の職業などで変わるのですか。 元々はあなた方は[教えて]とかの、答えを出す立場としてこの欄に出てきたのではありませんか。私はある友人と社会問題を議論していて、相手が説明もしないままに議論から逃げ出してしまい、暗礁に乗り上げているために、助け舟を求めてこのような欄に質問投稿をしたのですよ。 答える自信があり、自説を信じて他人を納得させるだけの根拠があるから、回答者になっているのではありませんか。私の職業と言う意味が飯の種としての経歴なら、若い時は工員で肉体労働者として中卒以来10数年 ・・・その後の人生は、電子機器の開発や設計のソフトとハードを担当していました。趣味としての読書は・・・エレクトロニクス全般、関数解析学、相対論、量子力学・・・、分析哲学、記号論理学、精神医学・・・民法、民事訴訟法、政治討論です。 これで何かが変わりましたか。
- B-juggler
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こんにちは。こんばんはかな。 はい、正しいと判断すれば、そこで証明は終わりです。 私は正しいと判断しています。 #終わっているのですが・・。 #ちょっとした余裕がありますか おそらく重要なことは、「間違いを間違いとして認めないこと」はいけませんよね。 間違われてしまったことは、認めてくださいね。お願いしますよ。 前回の投稿にご回答いただいたことから引用いたします。 ~~~ ●(Aが真でかつ)の部分を私がどかしたとのことですが、ご希望通りに (Aが真でかつ)を入れて(A∧¬B)⇒¬Aとしましょう。 [(A∧¬B)⇒¬A}≡{¬(A∧¬B)∨¬A]≡¬A∨B∨¬A≡¬A∨B≡A⇒B となります。つまりA⇒Bを証明するときに、¬B⇒¬Aを仮定するのはダメと言う私の反論に対して、今度はA⇒Bを証明する前提にA⇒Bを仮定しているのです。これは同語反復と言う恥ずべき論法ですよ。 ~~~~ はぁ、なるほど。 そういう主張ですか。 形の上ではそうなりますね。 この論法の趣旨は、「背理法の前提」ですよね。 (A∧¬B)⇒¬A この式を成り立たせるための、反証Kiを捜すこと が大事なことではありませんか? (この式自体は恒真命題ではありませんよね) 論理命題を否定して、反証を捜すことが背理法ですよね。 これはOKですか? [(A∧¬B)⇒¬A}≡{¬(A∧¬B)∨¬A] これは成立しています。 が、申し訳ないですが、背理法を考えていくことに こうする意味がありません。 kabaokabaさんも書かれていますが、実際の証明過程と、 論理式の展開(転回でもいいかもね)が必ずしも等しくないです。 [(A∧¬B)⇒¬A}≡A⇒B こうしてしまえば、証明にならないですよ。 命題を一つ挙げてみます。これを入れてみてください。 #実際の証明と どう違うのかをやってみましょう。 命題(初等代数学的整数論 私の強いところです) 「1~30までの自然数を考える。 その中にある素数のうち、4で割って1余るものを考えると、 互いに素な2つの自然数の2乗和に等しい」 {n,a,b∈N,n≦30 1≦Pm≦30 m=4n+1} Pm⇒a^2+b^2 (aの2乗+bの2乗、a,bは互いに素) 互いに素と言うのは、「1以外に共通の約数を持たない」と言うことです(念のため)。 これを背理法で証明してみてください。 ここのでの私の主張。 実際の証明過程と、論理式の展開(転回でもいいかもね)が必ずしも等しくないです。 これが分かってもらえるかもしれません。 ちょっと最後に、もしかすると、No.10でCaperさんがあげてくださった、サイトをご覧いただけていませんか? 正しく載っていますが・・・。(背理法の根拠のところ)
お礼
●前回の続きです・・・ 数学じゃないとすると、哲学のほうの論理かなと思ったものでして。 ・・・問題の解釈(この場合は証明についてになりますね)が アプローチの仕方が違うかもしれません。 ●「背理法」とは論理学の用語です。哲学と論理学で【論理】が違うのですか。理解不能です。 ・・・・はい、正しいと判断すれば、そこで証明は終わりです。 私は正しいと判断しています。 ・・・・「間違いを間違いとして認めないこと」はいけませんよね。 間違われてしまったことは、認めてくださいね。お願いしますよ。 ●正しいかどうかは、ご本人が思い込んだり、認めたりすることではありませんよ。誰が見ても正しいと説明できたり、証明したりすることです。 相手に認めさせるかどうかは、多数決でもないし権威でもありません。 前回の投稿にご回答いただいたことから引用いたします。 ~~~ ●(Aが真でかつ)の部分を・・・・ [(A∧¬B)⇒¬A}≡{¬(A∧¬B)∨¬A]≡¬A∨B∨¬A ・・・・ 形の上ではそうなりますね。 ●形の上と言うより、貴方も記号論理の式で、((A⇒¬B)∧(A⇒B))⇒¬Aが背理法の根拠式だと主張し、証明したつもりではありませんか。 それと同一の論法と手段で、上の通りにその誤りを示しているのですが・・・{(A∧¬B)⇒¬A}≡A⇒Bを認められませんか??!! kabaokabaさんも書かれて・・・・ ●彼はただの屁理屈並べて逃げ出す輩です。他人の言や、権威に依存するのは理論的な議論ではありませんよ。 [(A∧¬B)⇒¬A}≡A⇒B こうしてしまえば、証明にならないですよ。 ●意味不明な言葉ですね。貴方と同一レベルでの記号化と議論ですが・・・。 省略 ●曖昧な例題まで考えなくても、今議論している理屈の中でできませんか。 なぜ今までの記号化している、ご自分の理論の中で証明しないのですか。 、((A⇒¬B)∧(A⇒B))⇒¬A ←←この式の論拠は、例題など関係ありませんよ。例題に入ると、そこでまた曖昧な議論に発散します。 ●誰が書いているとか、権威者がどうでなくて、ご自分の頭で理解してる理屈を聞いています。この式が旧友との議論の中にも出てきて、その根拠を示せないままに終わっているのです。こんな式を書いている本は見たことがありませんし・・・。と言う事です。
補足
[(A∧¬B)⇒¬A}≡A⇒B こうしてしまえば、証明にならないですよ。 ・・・・ ●・・・との事でしたが、『証明にならないですよ』と言う意味゛どうもわかりませんが、どういうことでしょうか。数学やとか言ってたようですが、ご専門分野では、このようにな日本語が使われますか。 ●前の引用です・・・ ------------------------------------------------- ところで、背理法によって、仮に、 2) (A∧¬B)→¬A が証明されたとします。つまり、「 A が真であって、B の否定が真であるときに必ず A の否定が真となる 」ことが証明されたとします。 2) という合成命題は恒真命題ではありません。ですから、いまここで、2) という命題が常に真であることを証明したとします。 そこで、次の合成命題を考えます。 3) ((A∧¬B)→¬A)∧(恒真命題) この 3) は 2) と同値になります。さらに、次の命題を考えます。 4) (A∧¬B)→A この 4) は恒真命題です。さらに、次の命題を考えます。 5) ((A∧¬B)→¬A)∧((A∧¬B)→A) この 5) は 2) と同値になります。同値となる根拠は 3) と 4) です。 ですから、2) が証明されれば、自動的に 5) も証明されることになるのだと、私は思います。 ・・・・・・・・・ 命題によって、¬(A∧¬B) すなわち A→B が証明されるという運びになるのではないかと、私は思います。 -------------------------------------------------------------- ●ここに出てくる、・・・ ●『¬(A∧¬B) すなわち A→B が証明される』と[(A∧¬B)⇒¬A}≡A⇒Bとした、私の説では本質的な違いがありますか。 ●『2) (A∧¬B)→¬Aが証明されたとします。』と仮定するのが貴方の根拠とすれば、 [(A∧¬B)⇒¬A}≡A⇒Bの同値性から、・・・貴方も『同値』を使っていますから、・・・それはA⇒Bを仮定することと同じだと言う私になぜ異論が出るのですか。 ●貴方たちこそ根拠になる理由が分からないか、背理法の根拠式の間違いを信じたくない理由があって、妄信しているだけではありませんか。 ●何故ですか。
- B-juggler
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はい、もろもろ了解。 質問の内容は、背理法の根拠を示せばいいのですね。 私は逆も出すのかと思っていました。 「対偶法の証明が背理法と同じものになる」のも示すのかと。 これは好いんですね。 この分野の本職に聞いてきたことと、書いていただいたことを持って プロの意見としてください。 これでおしまいにします。 回答N0.9かな? 私が式を立てた分ですが、間違っています。 素直にお詫びします。 #(A∧¬B)が正しくて、(A⇒¬B)これがちがう #[(¬(A⇒B)∨¬Ki)]≡[(A⇒B)∧Ki] ここも、 # [(¬(A⇒B)∨¬Ki)]≡¬[(A⇒B)∧Ki] こうですね。 で、ですね・・・。 Caperさんの書いていただいたことに対して、 これを持って正しいと出来ます。 #論理学の専門が言っています。 問題になるところが2番目のところですね。 ~~~ ところで、背理法によって、仮に、 2) (A∧¬B)→¬A が証明されたとします。つまり、「 A が真であって、B の否定が真であるときに必ず A の否定が真となる 」ことが証明されたとします。 2) という合成命題は恒真命題ではありません。ですから、いまここで、2) という命題が常に真であることを証明したとします。 ~~~ これが背理法の元になるところですかね。 #私、置き間違えたところ。 「」の中の部分です。 >「B の否定が真であるときに必ず A の否定が真となる」 >質問者さんからのの引用ですよ。 これだけ見ると、対偶ですね ここよく見てくださいね。 2番の部分(背理法の部分と言ってもいいかな)は 「Aが真でかつBの否定が真である ならば 必ずAの否定が真になる」物を探してきます。と言う主張ですから。 式にすると、(A∧¬B)⇒¬A (a式にしておきます)ですね。 この(a)式は 対偶の式と明らかに違いますね。 「」のなかの (Aが真でかつ)の部分をどかしてはダメですよ。 もう一回背理法を整理しますと、 命題A⇒B の証明で、¬(A⇒B)≡(A∧¬B)⇒¬A から 演繹的に、Ki(つまりは矛盾ですね)を捜していく方法ですね。 2番の式は 捜せたと言うことですね。 (A∧¬B)⇒¬A なる Ki を見つけて、この命題が 「常に真」となることが分かった、としましょう、と言うことです。 (a)式が常に真 になるように、反証しましょうということですね。 これが出来ているとします。 ここから先はいいでしょうか? 私も間違っていないと思いますし、専門家もOKだと。 4番が引っかかるかもしれませんが、真理値表を作ってみてください。 ¬(否定)、∧(AND)、⇒(含意) の真理値が分かれば、 トートロジーだと出て来ます(最悪の場合はそれでも大丈夫) 5番ですね ((A∧¬B)→¬A)∧((A∧¬B)→A) これが得られます。 このときに元の式 ((ψ→¬φ)∧(ψ→φ))→¬ψ Ψを(A∧¬B)、φを単体のAと置き換えてください。 左辺(と言っていいのかどうか)、十分条件のほうが得られますね。 元の式は¬Ψに対してトートロジーですね。 1~5の工程で、元の式を得ることが出来ました。 私が分からなかったのは、Ψが単体のAのようなものだと思っていたんですよ。条件の一つだと。 これがちょっと違いましたね。 対して、φ はそのまま条件の一つなんですよね。 Caperさんとkabaokabaさんへ改めて御礼を。
お礼
はい、もろもろ了解。 質問の内容は、背理法の根拠を示せばいいのですね。 ・・・・・・、書いていただいたことを持って プロの意見としてください。 これでおしまいにします。 ● 質問の私の内容は、kabaokabaさんの((ψ→¬φ)∧(ψ→φ))→¬ψが 背理法の根拠式と言う説に対しての説明です。彼は途中で逃げ出したの です。 ●貴方もこれでお終いと、正しいかどうかが未定の内に、逃げないように してください。 回答N0.9かな? 私が式を立てた分ですが、間違っています。 素直にお詫びします。 ・・・・・・・・ で、ですね・・・。 Caperさんの書いていただいたことに対して、 これを持って正しいと出来ます。 #論理学の専門が言っています。 ●専門家が言おうと、子供が言おうと間違いは間違いで、正しいものは正しいのです。 問題になるところが2番目のところですね。 これが背理法の元になるところですかね。 省略 2番の部分(背理法の部分と言ってもいいかな)は 「Aが真でかつBの否定が真である ならば 必ずAの否定が真になる」物を探してきます。と言う主張ですから。 式にすると、(A∧¬B)⇒¬A (a式にしておきます)ですね。 この(a)式は 対偶の式と明らかに違いますね。 「」のなかの (Aが真でかつ)の部分をどかしてはダメですよ。 省略 ●(Aが真でかつ)の部分を私がどかしたとのことですが、ご希望通りに (Aが真でかつ)を入れて(A∧¬B)⇒¬Aとしましょう。 [(A∧¬B)⇒¬A}≡{¬(A∧¬B)∨¬A]≡¬A∨B∨¬A≡¬A∨B≡A⇒B となります。つまりA⇒Bを証明するときに、¬B⇒¬Aを仮定するのはダメ と言う私の反論に対して、今度はA⇒Bを証明する前提にA⇒Bを仮定しているのです。これは同語反復と言う恥ずべき論法ですよ。 ・・・・・・・・・ ● 従って、以下の理屈には論ずべき価値はありません。専門家の意見などに惑わされず自ら考えるべきです。 省略 Caperさんとkabaokabaさんへ改めて御礼を。 ●礼など言うのは全員が恥をかくことで、不要なことです。 教えていただく筈の先生に申し訳ありませんが、酷すぎますよ。
お礼
意外に率直に私見を認めて頂いて、素直に理解できる力がある事に安心しました。同じ内容、旧友にも書いたのですが・・・・。 生徒に教える立場の方のようなので、未だ氷解しなければどうしようかと、少し心配しました。 遠方の友はもっと長い議論の果てに、まだあの式を信じて、私に対して敵意を残したまま消えました。Venn図、真理値表、論理式、具体例、そしてディジタル回路図まで書いて議論したのです。お陰でトートロジーについての知見も少し深まりました。 実は回路図にすると面白い事が分かります。自分には新発見でした。 ⇒で結ばれたトートロジーは、正しい推論に無関係らしいという事です。高名な哲学者のウィットゲンシュタインは、トートロジーは真理だという前期の思想・説でした。 今までの貴方の考え方は、背理法の考えから[(A⇒¬B)∧(A⇒B)]⇒¬Aの式に到達し、この式の正当性を証明する方向でした。私はこの式を使って、背理法でA⇒Bが証明できる事を求めていたのです。その為の食い違いです。この式は矛盾を示す事には使えない筈ですから、それは不可能なのです。もしこの式でA⇒Bが証明できれば、この式の対称性から、[(A⇒B)∧(A⇒¬B)]⇒¬AでもあるのでA⇒¬Bも証明できるからです。これこそ矛盾です。 1×2×3×・・×Nmと×5・・まで書かなかったので、誤解されたようです。問題はあの式で構成的に素数を作ると、飛び飛びの素数になり、その抜けた素数で割れる数が出てくるので、あの式では全ての素数を取り出して、掛けるという操作ができなくなります。 故に、どの大きい数の場合でも、素数の全てを取り出して掛けられるという前提、つまり無限に素数があるという、証明すべき事が前提に入るのではないかという疑問です。 他の証明法も有りますから、素数は無限にないとも思っていませんが、この証明方法はやや疑問です。詳細はまだ問題です。 また三段論法の[(A⇒B)∧(B⇒C)]⇒(A⇒C) 式は、そのトートロジーが論理式でも証明できますが、これは推理としても正しいのは何故か等はまだ理解できません。