※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:対偶法も背理法の一種という考え方について)
対偶法も背理法の一種として考えることができる理由
このQ&Aのポイント
対偶法による証明法と背理法は似た考え方であり、対偶が証明されると矛盾が生じ、背理法が成立するため、元の命題が成立すると言える。
対偶法による証明法では、対偶が証明された時点で命題は真となり、背理法による証明では、命題が真であることを証明するために矛盾を導く。
したがって、対偶法による証明法も一種の背理法ということができる。
あるテキストの「対偶法も背理法の一種として考えることが出来る」ということについての説明で
命題「pならばq」を証明する過程で、「¬qならば¬p」が証明できたとする。
「pならばq」を背理法で証明するために「pならば q」を否定して「pかつ¬q」。
証明されている「¬qならば¬p」はpではないので
「pかつ¬p」となり矛盾。
背理法が成立して「pならばq」は真。
対偶法なら
「命題「pならばq」を証明する過程で、「¬qならば¬p」が証明できたとする。」の段階で自動的に命題が真といっていい。
という説明があるのですが
なぜこれが「対偶法も背理法の一種として考えることが出来る」ということになるのか理解できず
出版社に問い合わせたところ
「対偶が成り立つので、矛盾が生じ、背理法が成立する。
よって、元の命題が成立する」
ということのようなのですがいまいち理解が出来ません。
私の考えでは、
対偶法による証明法の場合、対偶が証明された時点で自動的に命題は真である、と考えますが
対偶をつかって背理法によって命題が真であることを証明できるので
対偶が証明されたあと、自動的に命題が真であるということではなく
背理法によって命題が真であると言っているということが出来るので
対偶による証明法も一種の背理法と考えることができる
ということだと思ったのですが、出版社の説明と私の考えはどのあたりが違うのでしょうか?
私はあまり数学が得意ではなく、これも数Iのレベルのものなので
そんな私でも理解できるように説明していただけると助かります。
よろしくお願いします。
この質問とは違うのですが、これら関する質問を以前ここでさせてもらい、参考にさせてもらいました。
その時回答をしてくださった方ありがとうございました。