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きれいな日本語に

どうしてもきれいな日本語になりません。どなたか添削をお願いします。 During the 1950s Lutoslawski survived the changes in political climate by pursuing three parallel strands of activity. The first of these involved a substantial output of functional pieces for immediate consumption(including many little popular pieces written under the pseudonym ‘Derwid’). 1950年代の間、ルトスワフスキは活動の3つの平行するより糸を推し進めることで、政治状況の変化を生き残った。 3つのうちの最初の一つは、かなり多くの機会作品(「デアウィッド」という仮名でのごくわずかなポピュラー作品を含める)を、当面の生活費のために作った。 functional pieces=機会音楽 これは現代音楽の専門用語です。 最初の「活動の3つの平行するより糸」というのは、意味としては、作曲活動を映画や劇の付随音楽、その他、金稼ぎのためにカフェレストランで演奏するためのまじめではない音楽、を作曲する活動と、街のコンサートホールでの演奏会用の作品を作曲する活動と、その他にもう一つ別の作曲活動の方向があるのですが、そういう3つの別の作曲活動をしていたというような意味内容です。 どなたか、私の日本語訳を添削していただけないでしょうか?お願いします。

質問者が選んだベストアンサー

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  • pearl17
  • ベストアンサー率35% (95/270)
回答No.3

1950年代、ルトスワフスキは3つの異なる活動を推し進めることによって、政治状況の変化を切り抜けることができた。 そのうちの1つとして、使い捨ての機会音楽を大量に生産した(「デアウィッド」という仮名による多くの大衆向け小品もこれに含まれる)。

noname#7978
質問者

お礼

できるだけ英文にそった形で翻訳してくださり、とても助かりました。あまりに意訳しすぎても、適切な翻訳にはならないので、こういう訳し方は素晴らしいなあと感じました。どうもありがとうございます!

その他の回答 (4)

  • takojo
  • ベストアンサー率23% (15/64)
回答No.5

1950年代、ルトスワフスキは平行して3つの作曲活動を遂行することで、政治の激動期を生き残った。 3つの活動の内最初の一つは、使い捨て目的のおびただしい数の機会作品[機能音楽? 又はBGM](デアウィッド名義で書かれた沢山のポピュラーの小曲を含む)だった。 ところで現代音楽は専門じゃないのですが、調べてみました。 老婆心ながら、Functionale Musik で機能音楽と訳されますよね。機会音楽というと偶然性の音楽をイメージしてしまって、正反対の意味になってしまうような気がするのですが、この辺りは確かでしょうか。 あと、機能音楽というのは一般にはBGMとかイージー・リスニングとした方が解り易いと思うのですが、どうでしょう?

noname#7978
質問者

お礼

どうもありがとうございます!!本当に助かりました。ところで、functional musicという言葉はルトスワフスキ自信が生み出した独自の用語で、機能音楽とはまったく違うようなのです。やはり「ある機会のための」音楽みたいですよ。戦後のポーランドの政治事情の中で生き残るためには、どうでもよい書きたくないような若者のための作品を、数多く作曲しなければならなかったようです。でもそれを彼は単なるBGMにはしたくなかったようで、独立した音楽作品として「機会の」音楽、「機会音楽」とかっこよく命名したようです。でも、機能音楽と勘違いされてしまってまぎらわしくて、何か変ですよね、。

noname#9936
noname#9936
回答No.4

ルトスワフスキが1950年代という政治的激動期をなんとか乗り切る事ができたのは、彼が同時に3つ顔を使い分け、それぞれ異なる活動を続けたからだった。 一つ目の顔は「デアウィッド」。この名前で書い小曲はたあまり売れなかったが、このような機会音楽を大量に作り続て、当面の生活の糧を得ていた。 全然自信はありませんが、極力直訳を避けて、意味を保ちつつこなれた日本語にしたつもりです。

noname#7978
質問者

お礼

3つの顔という表現はなかなかおもしろいですね。いろいろな役にたくさん出会えてとても勉強になりました。ありがとうございます!

noname#5377
noname#5377
回答No.2

補足です。 for immediate consumptionのforは、「を犠牲にして」と解釈してください。だから、生活ぎりぎり程度の意味かと思います。

noname#7978
質問者

お礼

どうもありがとうございます!とても助かりました。

noname#5377
noname#5377
回答No.1

1950年代と言えば、ルトスワフスキと言う人が政治的に世相の変化が激しいにもかかわらず活動を続けたのは、実はバラバラな3つの活動を同時並行的に一つずつ取り組んだからだった。最初のものは当面の生活の糧として機会音楽の大部分に費やしたことであり、「デアウィッド」という仮名のもとであまり売れていない多くの曲を書きながらはその代表例です。 ってしましたが、当然、正解の訳ではなく、こんな感じにしました程度ですので、ご参考にしてください。

noname#7978
質問者

お礼

当面の生活の糧の「糧」という表現は、非常にいいですね。私もこういう適切なこの場にあっているいい訳をが、すぐに浮かんでくるようになりたいです。頑張ります。どうもありがとうございました!

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