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江戸時代の出前の手段

 先日、ふと出前を取って疑問に思ったのですが、江戸時代の(もしくはもっと以前の)出前ってどういうものだったのでしょうか。  そもそも、今と違って電話など伝達の手段がなかったのに、どうやって注文していたと言うのでしょうか。  自分でも調べてはみたのですが、「江戸時代にすでに出前はあった」と言うことまでしかわかりませんでした。 気になりだしたら止まりません。 詳しい方、是非教えてください。

質問者が選んだベストアンサー

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  • kokiriko
  • ベストアンサー率22% (121/535)
回答No.3

明治時代に来日した外国人が、こんな事を書いていたのを思い出しました。 「東京では買い物に出かけなくても、家の前に色々な商人がやってくる」 時代劇で良く見る、魚屋やシジミ売り・八百屋のように天秤棒を担いで売る方法が主流だったみたいですね。 二八そば・すし・天ぷらなども天秤棒を担いで移動しながら販売をしていたようです。 冷蔵施設の無い時代のことですから、刺身などは海から数キロの範囲でしか食べることは出来なかったようです。 ちなみにどうして大八車でなく天秤棒であったかと言うことですが、江戸時代では大八車の(法的に)使用が許されていたのは、江戸と大坂の市中の大通りだけでした。 下町などでは狭いし段差が沢山あるので使えなかった事も理由です。

kisamizu
質問者

お礼

魚屋さんが移動してくれるなんて便利ですねぇ。 今でも家の前まで豆腐屋とか焼き芋屋とかなら来てくれますね。 大八車って使える場所が決まってたんですか!? 初めて知りました。驚きです。 詳しいことまでどうもありがとうございました。

その他の回答 (2)

  • shoyosi
  • ベストアンサー率46% (1678/3631)
回答No.2

江戸時代に一般庶民は出前など取っていません。やはり、大店の主人、家族、大名などに限られていたようです。急な来客や気晴らしに利用していたのでしょう。当然、注文するのはそれらに雇われている使用人です。

参考URL:
http://www.higeta.co.jp/zatsugaku/sobadogu.html
kisamizu
質問者

お礼

庶民でも店屋物を家で食べたそうですが、 それはきっと自分で取りに行ったりしていたということなんですね。 小間使いがいる大きな家でないと結局自分で注文に行くことになりますものね。 お答えありがとうございました。

  • azu3
  • ベストアンサー率31% (24/76)
回答No.1

自分で行って、出前を依頼する。  仕出弁当のようなイメージですか? 電話の代わりとしては、お店まで出前の依頼を頼む(お駄賃) 店屋物としてのでは、  お鍋をもって料理したものを貰いにいく  (家では、まだ、たまにやっています) 今見たく、電話してすぐ持ってきてというように、あわただしいものではなかったと思います。 自身有りません

kisamizu
質問者

お礼

お答えありがとうございます。 なるほど、仕出し弁当ですか。 これなら今でもやってることですよね。 今でもお鍋を持って店まで行くんですか?! 全然知りませんでした。

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