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朝鮮八道の気質を表現した四文字熟語の出所について
李氏朝鮮時代の「朝鮮八道」に関して、各道の人(男性)の気質を表現した四文字熟語の出所(どの時代に誰が書いた何という文献から発しているか)を知りたいです。 確かそれぞれの意味は、 威鏡道 「泥田斗犬」・・・(何時までもしつこい。執念深く、喧嘩好き。) 忠清道 「清風明月」・・・(見かけを大事にする。 画餅好き。)蘇軾 「前赤壁賦」 平安道 「猛虎出林」・・・(一旦怒らせると手に負えない。触らぬ神にたたりなし。) 黄海道 「石田耕田」・・・(辛抱強く痩せた地を耕す。報われること少ない。) 江原道 「岩下老仏」・・・(運命に逆らわない、焦らない。諦観の境地。) 京畿道 「鏡中美人」・・・(見かけのみ、自分自身にウットリ。中身がない。) 慶尚道 「泥田耕牛」・・・(コツコツと汗水をたらす働き者。コツコツと汗水をたらす働き者。) 全羅道 「風前細柳」・・・(風の向くまま右左、アテにならない風見鳥。無責任。) だったと思います。インターネット、文献調べたのですが出所を見つけることができませんでした。どなたかご存知の方がいらっしゃればご教授ください。( >ω<)//
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- nogul2n
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韓国のトゥサン百科事典というのに、「泥田闘狗」という項目がありました。それによると、 「朝鮮の太祖(※ テジョ、 李氏朝鮮を建てた李成桂 のこと)の問いに対して鄭道傳(※ チョン・ドジョン 高官であり学者でもあった人)が答えたことばだとも言うが」 と書いてあります。「とも言う」とあるところからすると、必ずしもはっきりしてるわけではなさそうです。他にも説があるのかもしれませんがこの中には書いてないです。 http://100.naver.com/100.nhn?docid=799122 「泥の中で闘う犬」、自分の利益のためにたけだけしく(荒々しく)闘うことをたとえて言うことば。 (本文の3段落目)この4字評は朝鮮の太祖の問いに鄭道傳が答えたことばだとも言われるが(ことばだとも言うが)、ハムギョン道出身である太祖がハムギョン道人の特徴が「泥田闘狗」だというのを聞いて顔色が赤くなったという。(※怒ったということでしょうね。)すると、鄭道傳はハムギョン道は「石田耕牛」、すなわち石だらけの畑を耕す牛のような愚直な品性も持っていると話し、太祖の気持ちがやわらいだという。 引用終わり(※は私のことば) 「泥田闘狗」以外の四字語では日朝辞書に「鏡中美人」だけが載っています。鏡に映った美人、うわべだけで中身のないこと。類語として「画中之餅」。 とあります。 上記の「とも言う」説は元々何かの書籍に載っていたのかもしれませんが、そういう書籍の名前とかはここに書いてないです。もしかしたら、歴代の王様の業績を次王らがまとめて編纂した王朝の歴史書である『朝鮮王朝実録』の太祖の巻に載り、人々に伝わって行った、とかいうのかもしれません。 ←今思いついたシロウトの想像です。 鄭道傳という人は詩(漢字を使った詩)が大変に上手な人で、太祖から謝恩兼正朝使(中国への朝貢団の団長)を任じられ明(中国)へ行って来たりしているので中国でもその名声が広がっていたかもしれません。
- c2662fly
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検索しましたら、次のサイトに行き着きました。 http://big5.cri.cn/gate/big5/gb.cri.cn/9223/2005/11/17/1266@785272.htm 『八道四字評傳』がお探しの文献と思われます。 「北朝鮮半島の各地の風土と人情を書いた古典の名著。各地方人の性格を述べていて、すこぶる面白い。」という解説の後に、以下のことが書かれています。 ・京畿道 “鏡中美人” 「話の内容と言葉遣い、社交性に優れる。ときに軽薄で、心情を推し量りにくい」 ・忠清道 “清風明月” 「さわやかで、もの静かな性格。ふるまいが鄭重で、人を信じやすい」 ・慶尚道 “泰山〈[偏]山[旁]喬〉岳” 「自尊心が強い。物事に動じないで果敢に行動するが、体面を気にして自分以外を省みない」 ・全羅道 “風前細柳” 「立ち居振舞いが温和で上品。綿密にそして慎重に行動する。また、八方美人で交際に優れる」 ・江原道 “岩下古佛” 「温和で善良。素朴で簡素。しかし優柔不断」 ・平安道 “猛虎出林” 「勇猛だがせっかち。不屈の精神を持つものの落ち着きがない」 ・黄海道 “石田耕牛” 「忍耐強く、勤勉でまじめ。現状に満足し変化することを嫌う」 ・鹹鏡道 “泥田鬥狗” 「粘り強い性格。目的が達成されるまで諦めずに行動する。しかし、頑固で気むずかしい」
お礼
早い回答ありがとうございます。 私が中国語理解能力に欠けているだけかもしれませんが、この文献には「四文字熟語がどの時代に誰が書いた何という文献から発しているか」には言及していないような気がします。 もし理解不足でしたら申し訳ありません。