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親藩、譜代、外様
日本史の教科書には、外様大名の概念として関ヶ原以降徳川家に服属した大名家若しくは武将と書かれていますが、仙台の伊達や土佐の山内は明らかに東軍に属していたにも拘わらず外様扱いされているのはなぜでしょうか?
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- isaa535
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回答No.9
日本史の教科書には、外様大名の概念として関ヶ原以降徳川家に服属した大名家若しくは武将と書かれていますが、仙台の伊達や土佐の山内は明らかに東軍に属していたにも拘わらず外様扱いされているのはなぜでしょうか?
お礼
大変参考になりました。 回答を寄せて下さいました皆様方に厚く御礼申し上げます。 確かに家康の五カ国(参・遠・駿・甲・信)統治時代に配下に加わった小笠原、諏訪、保科、依田、木曾ら武田の遺臣は皆譜代大名に列せられていますし、関東転封後に臣従した後北条家の旧臣が譜代級の扱いをうけているのも十分納得がいき、謎が氷解した思いがします。 もし穴山梅雪や武田信親(梅雪の子)が生き永らえていたなら、かつては仇敵であったにも拘わらず一門並(親藩大名)の扱いをうけていたのかもしれませんね。