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親藩、譜代、外様
日本史の教科書では、外様大名は関ヶ原以降徳川家に服属した大名家若しくは武将と書かれていますが、仙台の伊達や土佐の山内は明らかに東軍に属していたにも拘わらず外様扱いされているのはなぜでしょうか?
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- mark-wada
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回答No.2
>外様大名は関ヶ原以降徳川家に服属した という教科書は、ちょっと不正確な記述です。 私が読んだ覚えがあるのは、 「関ヶ原前後から 徳川家に従った」 というのが外様大名の定義です。 これならば、関ヶ原直前から服従した伊達・山内や、関ヶ原後に従った上杉・島津も同様に含まれます。 (もっとも関ヶ原合戦当時、伊達・山内などは、徳川家臣ではなく「御味方衆」(同盟軍)に過ぎない、という言い方もできるかもしれませんが。) 豊臣政権下で徳川家は200万石を越える大大名でした。 その頃から徳川家臣(その200数十万石の内部)だったのが譜代。 規模は小さくても、徳川と同格の大名(その200数十万石の外部)だったのは外様。 というのが一般的な定義です。No.1さんの書かれた通りです。
- opechorse
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回答No.1
順番に考えていくと 親藩:徳川家直系 譜代:もともとの徳川家家臣 戦国時代からずっと家老等だった 外様:それ以外 戦国時代や安土桃山時代において 徳川家康は、ほかの諸大名とある意味同列の戦国大名で 本多家、井伊家などはその家来だった 家康が征夷大将軍になり、天下を取った後は 徳川家がひとつ飛びぬけ その家臣がほかの大名と同列になった そこでの区別が譜代、外様ということです 伊達家は、もとの戦国大名だから外様ということです