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常に幸せを避けるように行動する自分がいます
幸せになるのが怖いです。だからせっかく両想いになった彼にもわざと嫌われるような事をしてしまい絶縁の仲になり、アルバイト先で良い同僚に出会っても粗探しをして辞めてしまいました。 逆にいじめられていると表面は嫌がっても心の底では何処か安堵する自分がいます。 数年前私の悪口をネットに書き込んだ人が先日直接私に謝罪してきました。でも私は咄嗟に(あなたは悪くない!)と思ってしまい「謝らないで。ネットに書き込まれるような事をする私が悪いのになぜ謝るの?」と心にもないことを言ってしまいました。 理由はなぜか自分でも分かりません。 幸せを避ける原因は何なのでしょうか?
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こんにちは。自分自身の心の治癒成長体験をもとに、新しい心理学を発信し始めている者です^^。 あまりにも純粋な愛への高い理想があると、恋がうまく行くほど、逆に純粋でない自分の心が見えてきて恐くなる、という心理かも知れませんね^^。 あまり結論を急がずに、「愛」について考え学んでいくのがお勧めです。そうして成長していくのが人生ですね^^。 人は「愛」について大きく2つの姿勢を持ちます。 一つは心を重ね合わせて、分かり合おうとするものです。相手と自分が同じ心になれるのが「愛」だと考えます。 もう一つは、互いが別々の人間であり、分かり合えない面もあることを受け入れた上で、「楽しみ」と「喜び」を共有しようとする「愛」です。 最初の方の「愛」では、自分の全てを相手に受けとめてもらおうとします。だから、自分の悪い面に気づくと、恐くなってきます。 後の方の「愛」では、自分をまず自分で受けとめます。そして自分の全てを相手にぶつけるのではなく、自分自身のための窓口に、自分自身がなってあげます。 幸せを避けるように行動するようになってしまうのは、最初の方の「愛」を求める人です。 後の方の「愛」を求める人は、自分の幸福へと迷うことなく向かっていけます。 「選択」になりますね^^。
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人間の心理を言葉で表現しようとすること自体、ナンセンスかも知れませんが回答してみます。 何も悪いことをしていないのに嫌われる(と思っている)のと、自分が悪いことをしたから嫌われる(と思っている)のとでは、どちらが辛いでしょう。…だから、自分が悪いことにしておきたいのです。 初対面の人(自分にとって好きでも何でもない人)に嫌われるのと、一度心を許した人(自分が好きになった人)に嫌われるのとでは、どちらが辛いでしょう。…だから、粗を探し、好きな人を遠ざけてしまうのです。 「不幸だと感じている自分」を肯定するためには、そう感じても仕方がない“言い訳”を見つけてこなければなりません。見つからなければ、作り出すしかありません。 奥深い闇の世界が広がっているのです…おお、恐ろしい!!! http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/37676178.html 分裂 〔次の記事へ〕をクリック いわゆる「見捨てられ不安」を強く持っている人は、「試し行動」をして恋人を困らせます。『私のこと好き?』と聞かずにはいられなくなります。 http://www.h5.dion.ne.jp/~takata/06/9.html 自分が楽しめば、相手も楽しい まあ、人それぞれでしょうけど、参考になる部分があれば幸いです。
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お返事遅くなってごめんなさい。 信頼していた人に実は嫌われていたと思い知らされた事が過去にあります。 それで保守的になっているのかもしれないです。 回答ありがとうございました。
- 1114711235
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幸せの連続の海に上手くこなして行けるか不安になっているのかもしれない。 幸せの裏に隠れる非人道に目が瞑れないのかもしれない。 幸せは必ずやって来るとは言えない事の証明が成される事が怖いのかもしれない。 不幸せは簡単に予想出来てしまうので不幸ではあるが考えやすい思考パターンに安心を得ているのかもしれない。 幸せになるには努力が必要だが努力が出来ればよいのだが、そうでない隠れた怠惰が存在するのならばそれを認められないのかもしれない。
お礼
お返事遅くなってごめんなさい。 たしかに幸せになるための努力をするのが面倒くさい気持ちもあります。 しかし私はこうやって考えてばかりおらず、淡々とやるべき事をやる行動が必要だと思いました・・・。 ありがとうございました。
- aymhfgy
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無意識の内にもし、その幸福が潰れるようなことがあったらどうしようという辛い予想というか予感が出てしまい、そこから逃れたいという気持の表れではないかと思います。 ご自分が傷つきたくないという気持からもっと傷が浅い内に心の痛みが少ないうちに手を打ちたいという必死の気持からではないかとも思いますが現実を受け止めかねて臆病になっておられるようにお見受けします。 まず、不自然な罪の意識は捨てることさだと思います。心が本当は望んでいるものを自分で認めたくないという意識から無理をすると自然な自分の心を表現できなくなると思います。人を責めるのはいけないと思い込んだり人に意見することを怖がって逃げると必ずそのつけは自分の不自然な態度になって返ってきます。 怖がらずに素直にご自分の心の声に耳を傾ける必要があると思われます。
お礼
お返事遅くなってごめんなさい。 たしかに私は理性的というか、物事について規則的に考えていることが多いです。 こういう場面ではこういう思考をすべきだとか、常識的にここはこう考え感想を述べるべきだとか。 そういうのが私の本心を覆い隠していたのだと思います。 回答ありがとうございました。
お礼
お返事遅くなってごめんなさい。 愛について勉強してみたいと思います。 回答者さまのブログも拝見します^^ ありがとうございました。