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どうおもうか? を聞くことはないと思いますが。。。 それぞれが、それぞれなのでしょう。。。 >>> http://www.geocities.jp/cato1963/PKJzhz.html 魚の楽しみ 秋水篇第十七 荘子が恵子(けいし)と一緒にゴウという川のほとりに遊んだ。荘子は言った。 「ハヤが自由自在に泳いぎまわっている。これが魚の楽しみなのだ」 恵子は反論した。 「君は魚ではない。魚の楽しみがわかるはずがない」 「君はぼくではない。ぼくが魚の楽しみがわからないと、君にわかるはずがない」 「ぼくは君ではないから、もちろん君のことはわからない。君ももちろん魚ではないから、君に魚の楽しみはわからないことは確実である」 「根本に返ってみよう。君はいましがた『おまえに魚の楽しみがわかるはずがない』と反論したが、それは実は、君がぼくの知識の程度を知っているからこそ、そう推論できたわけだ。ぼくだって、ゴウの川のほとりに立って魚の楽しみを知ったわけさ」 <<<
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- amaguappa
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女性なら口もきくまい、という硬派のほうが面白くありませんか? それはさておき、 > 宗教が人間の本能であるとすれば、動物にも程度の差はあれ同様の本能があるはずと考えるわけです。 人間はたぶん原始のころから死について考えていたのですよね。これは不思議です。 それで、いわゆるレゾンデートルを求めることになったのではないでしようか。 自己が自己であると認識しているため、存在を間主観的に認識することが出来て、世界がクリアーに秩序をもって認識できる。 さらに、存在と非在という分類をすることができ、非在について考えることができるのですね。 きっと、原始のかれらは、自己がどこから来て、今どこにいて、一体どこに行くのだろうと思ったでしょう。 この点、たしかに今とかわりません。 動物はというと、死を観念として抱くことはないと思います。本能がそのようにできていると思います。 先に書いたように、生が決定的に動物たちの世界を支配し、動物たちは生の秩序を受け取り、生の要求に従っています。 ライオンにとうとう襲われて抵抗できなくなったシマウマから、生が離れて行って、シマウマの世界が失われるのではないでしようか。 本能としては人間とちがって、動物は、生としか関係を結んでいないと思うのです。
- amaguappa
- ベストアンサー率36% (140/385)
妙な言いようではありますが、なにか、生死の掟に「帰依」している、と思わないでもないです。 ただ、人間のように宗教に触れなくても、 動物は、神様がとりはからうことにたいして、 オートマチックな存在の仕方であるような気もするわけで、 より安全に生き、より確実に生殖し、子育てできるようにという 目的がぎりぎりまで叶えられる一方で、 生に見放された、という、諦めが(人間風に言えばですが) 訪れるように見受けられます。 生の方角か死の方角かの判別は一瞬でできていると思います。 逃げ切れるかもしれない手負い傷なら、 痛みを堪えてか忘れてか、ひた走りするけれども、 とうとう死ぬだけというときには、痛みを感じなくなるとのこと、 痛イカラソレ逃ゲロ教から、モウ痛クナイドウデモヨロシイ教へ。 そんなふうに本能に組み込まれて神様にコントロールされているのかもしれません。 少し視点をずらしてみると、 動物の親が、育たない仔を見捨てるのも、不慮の事故で亡くした仔からしばらくすると離れるのも、 子子孫孫まで生きる方角だけを向いているわけですから、 人間の宗教が、生だけでなく死の方角も向く双頭のようなものだと思えば、 人間は、死も、神様のとりはからいだと思っているふしがあり、 動物は、ちっともそう思っていないのではないか、 ということは言えるかもしれません。
お礼
ありがとうございます。 私がシマウマなどの動物をもちだしてきて”動物も宗教するか”と問うたのは次のようなことからです。 人類が誕生した原始の時代から既に宗教は生まれていたことが分かっています(原始人類であるネアンデルタール人が既に宗教していたことは確認されています) つまり宗教は人間にとって本能なのであり、誰かに教えられるものではなくまた何か深い思索や理論によって生まれるものではないということです。 宗教が人間の本能であるとすれば、動物にも程度の差はあれ同様の本能があるはずと考えるわけです。 また原始人類の宗教と現代人の宗教を比べて、はたしてどれほどの違いがあるといえるでしょう。現時点では全くないというのが私の結論です。
補足
amaguappaさんは女性なのでしょうか。 女性であれば少しマジメにお礼をしなければと思っております。
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
>宗教産業といって、これで金儲けしてる連中がいっぱいいます その人は、宗教を信じていないはずです。 お金をもうけるために入信した人はいないでしょう (信者はむしろ失っているはず)。
お礼
金を吸い取るやつがいるのは金を吸い取られるやつがいるからです。 結局この両者は同じ穴のムジナであり、手を取り合って腐敗した宗教産業を成立させているもの同士とあい成るのです。
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
マジ話でいえば、宗教とは、世界観・価値観・生命観といった ものであり、目前の刺激に条件反射的に行動している動物や、 “お金や地位といった馬車馬の目の前のニンジン(実体のない社会的 二次的価値)”によって他律的に生かされている(嫌々働いている) 拝金主義&自己チューな人間には、必要とされないものである。
お礼
宗教産業といって、これで金儲けしてる連中がいっぱいいます 主にアメリカ発の巨大宗教に多いが、日本国内にも幾つかあり、中には政党まで備えているものもある
- 柊 うろん(@uronly)
- ベストアンサー率12% (113/890)
「偶然助かった」てな経験から あるいは本能から 自力で解決できなそうなピンチで奇跡を願うかも? 「神頼み」と同質の行為かとは思いますが むしろ 動物がしそうにない「信者集め」が宗教なのでは? 神とか感じてなさそうだし信仰とも違う気がします
お礼
神は感じず、信仰もなく、「信者集め」をする、これが宗教ということですか。 思想も哲学もなく「信者集め」をする。あと20年も経てば、どうなっていることやら、完全に消滅しているかも。 生き残っていてもらいたいとはおもうのだが。
- ENERGEAR
- ベストアンサー率18% (7/37)
シマウマが二本足で立って手(前足)を合わせて拝んでいるサマを想像すれば、それは宗教家と言うより信者といったほうが適切ですかね、
お礼
サバンナの平原の中でビタとも動かない数十頭のシマウマは完全に自分たちの世界におり、この宇宙について考えているに違いないとおもうのですがどうでしょう。
- Y Y(@yy8yy8az)
- ベストアンサー率17% (89/501)
g3452sgpさんはシマウマの表情に“宗教心”を感じたんですね。 表情。 人間は喜怒哀楽が顔に表れます。 シマウマには表れません(のように見えます)。 でもまさに、死に至るときのシマウマの表情に、g3452sgpさんは“宗教的こころ”を感じるといいます。 ほとんど表情に変化は無いと思われるのに。 人間はというと、こんなにも表情ゆたかであるにもかかわらず、苦しみを通り過ぎて、まさに死に至るという時、あのシマウマと同じような“無表情な”顔をしていたりします。(映画などで見ただけですが) 「こころ」が肉体から離れる時の表情。 精神が宇宙に帰る時、言い換えれば肉体が精神を失う時の表情。 そこにg3452sgpさんはシマウマにも、人間の精神性を感じたのでしょう。 Kjinenさんの回答に 「君は魚ではない。魚の楽しみがわかるはずがない」 「君はぼくではない。ぼくが魚の楽しみがわからないと、君にわかるはずがない」 というのが引き合いとして出されています。 最初の指摘、に対しての受けは、相手の意見を肯定している、という事に気が付きませんか。 にもかかわらず、つぎに「君がぼくの知識の程度を知っているからこそ、推論できたのだ」と言って自分の意見を肯定しようとしています。 でも「解る」と言っていた事が「推論」に変わってますね。 そして相手の考えを推論といいながら自分は知った(わかった)と言っているのです。 理屈の世界。詭弁の世界。 なぜ、哲学好きは“ご自身の感性”をおろそかにするのでしょうか。
お礼
シマウマは死ぬとき口を開け祈りながら死んでゆきます(その歯並びのよいことよ) その通り、自分の感性に従えばシマウマ以外にも様々な宗教家、哲学者を自然界に見出すことができます。 太平洋を悠々と泳ぐイルカ、木の上で座禅を組むゴリラ、海に向かって急降下するカモメ(ジョナサンリビングストーン・ザ・シーガル)、森の住人オランウータン、雪原走るエスキモー犬、片足を失い引退した盲導犬、...などなど
補足
yy8yy8az? 確か以前、フルサトのあたりで出合ったようなきがするな~
ご興味が沸くか、分かりませんけど、 ネットで、 [動物が本能的に持つ宗教観] これで、サイト検索して見ては、どうですか? 哲学・宗教学・心理学・脳科学・進化論などからの情報が、沢山、有りますよ。
お礼
なるほど宗教道も21世紀からはサイト検索で、とあいなるわけですね。 ありがとうございます。
- Y Y(@yy8yy8az)
- ベストアンサー率17% (89/501)
“宗教家”になるのは無理でしょう。 でも、宗教的・・・ぽい感じの時ってあるような。 テレビの映像で見た事がありますが(漫画だったかな?)狼の遠吠えなんか、そっれっぽいです。 あの遠吠えの姿に、人間の考える神とか悪魔といったことではなく、霊魂の源を求めるような雰囲気がありますね。 もちろん、狼はそんなこと『意識』していないはず。 『意識』はしていないけど、あの姿はまさしく「われ」ここに有り、と霊魂の源に『自分』の存在を主張しているようです。 ☆心の赴くままに だから狼は「われ思う、故にわれあり」なんて考えません。 独り言(根拠は?無いんだよね)
お礼
そうだ、狼のことを忘れていました 狼の遠吠えは素晴らしい >もちろん、狼はそんなこと『意識』していないはず。 さあそれはどうだろうか 私は狼は哲学をもっておりそれを訴えているに違いないとおもいます
- globef
- ベストアンサー率17% (1306/7306)
>神に祈っているに違いない、救いを求めているに違いないと。 食べられたくないと必死ですので そんな余裕は、ないかと・・・ それに宗教家になると言う事ですが どんな宗教なのでしょうか?(宗派等)
お礼
この際、宗派などどうでもよいのです。
お礼
うーん...これはそうとうに年季の入った答えが返って生きたぞ~。 イソップ物語を例にしたつもりが、『荘子』抄が返ってくるとは。 (時代劇ふうにいうと”おぬしやるな”となりますね) よく分かりました
補足
k_jinen? 確か以前、フルサトのあたりで出合ったようなきがするな~