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宗教とは?
あなたにとって宗教とはどんな存在ですか? (また宗教と聞いて浮かぶイメージはどんなものですか。) また無宗教の方は神に代わるような存在はありますか? 例えばピンチに直面したときには心に誰を思い浮かべるのでしょうか。 学校の論文の資料にしたいので、ご協力よろしくお願いします。
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- 大空 二千翔(@oozora2000)
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宗教が何かを考えるには、神(様)が何かと合わせて考える必要がありますね。 神(様)は、一言で言って「お天道様(おてんとうさま、太陽のこと)の下では悪いことは出来ない。」という「お天道様」と同様に、人間の行動を管理し(監視し)、人間がよい方向に向かうように導いてくれ、守ってくれる存在だと思います。人間は、弱い存在であり、誰でも、どんな強がりを言っても、一人では生きていけません。必ず、家族や、友人や社会の恩恵を受けて生きて行っているのですが、更に、そのバックに、自分を守ってくれる「大いなる存在」を感じて、生きていくことが、太古からの人間の習慣であり、必然でした。 その人類の歴史の過程で、一人一人が、神の存在をイメージするために便利なように、色んな宗教という教団組織が出来上がり、それぞれ張り合うように、教勢を広げてきました。古くは、「人間の思い通りにならないこと」は、現代よりはるかに大きく、神や呪術的手段に今以上に頼らなければなりませんでしたから、(例えば、病気や干ばつなどの天候、戦争など)、それだけ、宗教が呪術と結びつき、発展しました。 そして、現代、科学や医療の発展により、宗教は不必要或いは信じるに値しない、と考える人が増え、又、宗教の本質(後述)とかけ離れた行動を取るもの(ご利益目的のみの宗教やお金儲けを目的にするもの、自分たちが一番と人に押し付けがましいもの、しまいには「カルト」まがいの反社会的団体など)が横行し、人心が離れ、今や、宗教とは「怪しいもの」、「悪いもの」というアレルギーを持つ人間の方が多くなったのは、情けないことです。 これは、本当に、本末転倒、誤解も甚だしい所だと、私は思います。 いつから、このような、ひねくれた、不健康な宗教観が幅を利かせてきたのでしょうか? 宗教とは、「人間の心を浄化し、より良い人間になるために、精進をするための知恵を授け、支援してくれる存在」だと思います。 何教であろうと、最終目的は上記のはずであり、それぞれの教義への忠実を守ることは、二の次であることが本来の姿であると思います。 しかし、往々にして、宗教に「入る」・・・つまり通常は、特定の宗教の信者になることは、その宗教の教義を守ることが第一になってしまい、その結果他宗教引いては世間一般との間に垣根を作り、お互いの交流を絶つことになってしまい、別の信仰を持つ家族や友人や社会との関係を損なうという、本末転倒な状態を作ってしまうことに問題があるのではないかと思います。 どうしてこうなってしまうかというと、もうお分かりかと思いますが、宗教に帰依するということは、イコール、 キリスト教や仏教など特定の宗教に帰依していることをイメージしている方が多いのではないかと考えられます。 ところが、実は宗教には二通りあり、上記のような特定の宗教は「創唱宗教」の他に「自然宗教」というカテゴリーがあることを、皆さん、忘れておられるのです。 多くの日本人が「無宗教」と言うのは、特定の宗教の信者ではない、という意味だと思います。実は、特定の宗教(創唱宗教)の信者でなくても、宗教心があることを以て「自然宗教」に帰依しているという見方が出来ると思います。 例えば、端的な例で行くと、本回答の冒頭にあるように、たとえ人が見ていなくても「お天道様の下では悪いことは出来ない。」という自制心、或いは先祖や大自然を崇敬したり、畏れる気持ちが、そうした「自然宗教」を帰依する「宗教心」に当たると思います。又、クリスマスや結婚式で教会に行き、お正月には神社に参拝し、仏教で葬式をやっても何ら罰は当たらないと思います。 私は、偶々縁があってカトリックの信者ですが、仏教や神道にも共感を持っており、異なった宗教の行事に参加することに全く矛盾を感じません。それよりも、これまでの人生で、多くの宗教とアクセスする機会があり、「生き方」 について多くのものを得ることが出来たことを、とても幸せに感じます。 カトリックはキリスト教の一派であり、「一神教」のチャンピオンのように、思われていますが、実は、他宗教に対して寛容な面が非常によく見受けられます。 どうぞ、偏見のない透明な目で、宗教と言うもののメリットを是非、見つめてほしいものだと思います。 今の宗教を悪としか断じない、日本の現状は、非常に情けなく、問題外の状況です。 (紙幅がないので、詳細が書けないのが残念) 是非、目をさまし、宗教の重要性を正しく、認識するように念願して止みません。 尚、過去に多くの回答や質問をしていますのでご参照ください。 複数の宗教を同時に信仰してる人っているのでしょうか http://okwave.jp/qa/q7473548.html 回答No.13及び12に挙げた過去回答URLとNo.11さんの回答 さらに 「普通名詞としての神」に祈ること http://okwave.jp/qa/q7321056.html が参考になると思います。
- alienabili
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「宗教」とは新しい言葉のイメージがあります。 明治以降に作られた可能性がないかなと思って調べたら明治にReligionの訳語として作られた。 と出てきました。 新しい言葉ってなんか胡散臭い。 骨の髄まで定着しきってなくて浮いている感じがする。 ネガティブイメージがあるのはそんなことも由来するのかもしれない。と思いました。 宗教と聞いて浮かぶイメージは イデオロギー化された信仰。でしょうか。 この質問があなたにとって信仰とはどんな存在ですか?と聞いたら もうちょっとポジティブイメージがかえってきたのではとおもう。 宗教というと信仰が主義主張を持って固定化されている感じがする。 主義主張を持った宗教はそもそも日本の風土にむかないのでは?と思います。 仏教は基本的に何でもあり(何せ妻帯肉食のお坊さんの国ですから)になっているので 主義主張があっても形骸化されていてないも同然になっている。 神道ははよく知らないです。(汗)。 日本に西洋型の宗教は入ってきても変質してイデオロギーが弱くなりそうだと思います。 私は子供の時、ピンチの時には神様に祈っていました。 このピンチは人の手ではどうにもならない死に関したピンチのときなどです。 神様とは仏教とか神道とか関係ない。いわば「神様仏様」というなんかよく知らないけど、 人知を超えたたぶん人格のない、宇宙の魂のようなモノです。 学校の論文がどのようなものか知りませんが、神様について思った資料として キューブラーロスの「死ぬ瞬間」という著書に人が死ぬ5段階を仮定していて、 それに神との取り引きという項目があった気がします。 人は死ぬときには神を考えるんだなと思いました。 (西洋だけかもしれませんが) あと、ドーキンスのたぶん「虹の解体」に鳩の宗教行動(ランダムでえさを与えるとそのランダムの前にしていた行動をえさが欲しいとき取るというようなもの)というのがあって、 宗教の起源はこれかなと思いました。 ではでは。よい論文をかけるようがんばって下さい。
お礼
鳩の話はおもしろそうですね!機会があれば読んでみたいと思います! ありがとうございました。
◎<なぜ:宗教の必要性> 人間が宗教の必要性を感じてきたのは、人間の力ではどうしようもないことが現実に生じるからでしょう。例えば、雨乞いの儀式などがそうかもしれません。また、宗教と関わりの深い「死」も人間の力ではどうしようもありません。 <その解決策として> それで、古代から人々はそのような問題の解決策として、「人間以上」の存在に目を向けてきたと言えるでしょう。それが神への崇拝とか仏に対する信仰ということになります。形こそ違えど、多くの宗教がそのような人間以上の存在との関わりの中でそれぞれの教えを説いています。 ◎<しかし:宗教の副作用> 別の観点から見れば、そのような困難な問題は人間の弱みでもあります。そして、多くの宗教がその弱みに付け込んで人々を利用してきたのも事実です。信者からの搾取、人権無視の差別社会、宗教戦争など宗教がらみの問題は事欠きません。 <宗教の影響力> それだけ宗教というのは良くも悪くも影響力があるということです。人々は宗教のためなら命をさえ懸けることがあります。 ◎<一方で:無宗教の人々> 一方、無宗教の人々は、そのような人間の手に負えない問題を、別の方法で解決しようとします。例えば、政治、科学、哲学などがそうです。それらの人々は神や仏の力など借りずとも人間の知恵と努力で問題を解決できる、あるいは解決すべきだと考えています。 ◎<やはり問題は残る> しかし、果たして、それでも人間の手には負えない問題はそれでも残るでしょう。例えば、最初に挙げた「死」などが。それにしても、もっと深く考えるべき点は、解決策となり得る「人間以上の存在が本当にあるのかどうか」ということです。 もし、あるなら、解決の見込みが期待できます。しかし、ないなら、やはり、人間が負っている種々の解決不可能な問題はそのままということになります。我々は前者に期待をしつつ、その真偽を確かめるべきではないでしょうか。 <各人が探求すべき> その答えは各人が探し求め、見つけるべきではないでしょうか。調べ、確かめもせずに、一方的に否定することも、盲目的に肯定することもすべきではありません。確かに、これは調べるに値する事柄であると私は考えます。 このような点をご自分でアレンジして論文を作成されてはいかがでしょうか。具体的な事例を挙げて肉付けするならよりいっそう論文らしくなるでしょう。尚、宗教に関する問題は議論を巻き起こしがちなので、意見が分かれそうな点については断定するのを避け、聞き手に判断を委ねた方がよいかもしれません。 また、「人間以上の存在」について、私の見解でよければ、参考までに、http://okwave.jp/qa/q7422217.html での質問で私yangmaskがNo.18とNo.19で回答している内容を見てみてください。
お礼
論文のアドバイスありがとうございます!参考にさせていただきながら、いい論文になるように頑張ります。ありがとうございます。
- hyakkinman
- ベストアンサー率16% (738/4426)
★戦争の原因になるもの。 ★人間の愚かさの象徴。 宗教感の違いが「心の戦争」を生む。 馬鹿ばかしくて、悲しくて、情けない。 「宗教洗脳」の恐ろしさを、オウムが教えてくれた。 宗教は、人間らしく生きるために先人たちか説いた教えにすぎないのであって… けして、洗脳されて他宗を攻撃するためのものではないはず。 金儲けに利用する輩もいる。 だから、私は宗教が嫌いだ。 ★ピンチは、チャンス。 自分自身を信じて、アクションをおこすのみ。
お礼
オウムのインパクトはみなさんにかなり強く残っているでしょうね。それも宗教が悪くみられがちな原因の一つのような気がします。ありがとうございました。
真実の宗教は一つしかない 清い精神を保って行くには常に純粋な心構えが必要です
お礼
真実の宗教とはなんですか? ご回答ありがとうございます。
- berntakii
- ベストアンサー率12% (117/957)
「言葉で説明できない神秘的な何か」を背景にして、困っている人を助けようとがんばっている人たち、というのが、宗教という言葉を聞いて浮かぶイメージです。 僕にとっての宗教は、困ったときに自分を正しい方向に導いてくれる存在というものを肯定して、それを信じることです。 無宗教についてですが、なんとかという名前の神様という明確で説明のしやすい存在ではない、というだけで、全人類はなにかしら信じているものはあると思います。 実体もつかめていないし、言葉で説明するのが難しいだけです。 ピンチに直面した時は、上記の自分の信じるその存在が頭をがよぎるのではないでしょうか。
お礼
なにかしら…とは周りの家族や友人ではない何か、ということでしょうか。 ご回答ありがとうございます。
自己満足の世界 私の父も宗教やってますが、私には理解できません。 宗教やってる人は盲目だなと思います。
お礼
良くないイメージを持つ人も多いみたいですね…。 ご回答ありがとうございました!
- hnahana
- ベストアンサー率12% (111/909)
宗教=金儲け。心の拠り所が無い人が嵌る場所。 無宗教の人は、自分を信じ苦難も何とかしようと前向きな努力をする 現実的にね。 拝んでも解決しない事が解っているので。 ピンチになった時には、当然、夫を思い浮かびます。 夫なら、この状況の時にどう対応するだろう?と。 無宗教の人は、ピンチ時には家族、友人を思い浮かぶ人が多いのでは? それが正常だと私個人は思います。
お礼
身近に頼れる存在が居ると宗教に頼る必要ないのかもしれませんね。 ありがとうございました。
- k_mutou
- ベストアンサー率12% (101/783)
宗教のイメージは“特定の方々にとって【金を稼ぐ手段】”と見えてしまいます。 神に代わるような存在は“周囲にいる【人間】”です。 ピンチ時に《神》に聞くのではなく、周囲にいる《人》に頼んだり聞いたりしています。
お礼
お金稼ぎというイメージもあるんですね…。 ありがとうございました。
宗教とはマニュアル。 人が羊の群れだとして、集まって移動する方が安全と考えた際、ルールが作られてそれを細かくマニュアルにした。次に群れに加わる羊はルールを守らねばならない。 これは本来政治と国家だが、国境を超えた別次元でのマニュアルが存在するらしい。 神の存在は知らないが、最初にマニュアルを書いた人がいるのは確か。 自分がピンチに面したら、馬鹿な自分を叱咤激励する。自分しか頼りにならない。
お礼
1人で居るのが不安だから宗教という集団に頼るのでしょうか?何らかの集団に所属している、ということ自体が心の拠り所になるのでしょうか…。 ありがとうございました。
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お礼
過去の質問も参考にさせていただきます。 ありがとうございました。