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動物も宗教するか

人間の場合ピンチに陥ると神頼みしますが、動物の場合どうでしょう。 例えばライオンに追われるシマウマも最後は宗教家になっているとおもいますか。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.5

どうおもうか? を聞くことはないと思いますが。。。 それぞれが、それぞれなのでしょう。。。 >>> http://www.geocities.jp/cato1963/PKJzhz.html 魚の楽しみ 秋水篇第十七  荘子が恵子(けいし)と一緒にゴウという川のほとりに遊んだ。荘子は言った。 「ハヤが自由自在に泳いぎまわっている。これが魚の楽しみなのだ」  恵子は反論した。 「君は魚ではない。魚の楽しみがわかるはずがない」 「君はぼくではない。ぼくが魚の楽しみがわからないと、君にわかるはずがない」 「ぼくは君ではないから、もちろん君のことはわからない。君ももちろん魚ではないから、君に魚の楽しみはわからないことは確実である」 「根本に返ってみよう。君はいましがた『おまえに魚の楽しみがわかるはずがない』と反論したが、それは実は、君がぼくの知識の程度を知っているからこそ、そう推論できたわけだ。ぼくだって、ゴウの川のほとりに立って魚の楽しみを知ったわけさ」 <<<

g3452sgp
質問者

お礼

うーん...これはそうとうに年季の入った答えが返って生きたぞ~。 イソップ物語を例にしたつもりが、『荘子』抄が返ってくるとは。 (時代劇ふうにいうと”おぬしやるな”となりますね) よく分かりました

g3452sgp
質問者

補足

k_jinen? 確か以前、フルサトのあたりで出合ったようなきがするな~

その他の回答 (43)

回答No.24

No.5 & No.19です。。。 そうですね。。。 最後には、看取るものの「情」が「死に行くもの」にて反映されるということになるのでしょうね。。。 「死に行くもの」の想い・思いが、如何なるものであろうとも。。。

g3452sgp
質問者

お礼

看取るものの「情」? この場合、看取るものとはいったい誰ですか シマウマの場合、シマウマ自信を除いて他にいるのは自分に喰らいついているライオンだけです 看取るものの「情」、つまりライオンはシマウマに感謝し、涙をながしながらシマウマをいただいていると、そのようにカイシャクしてよろしいですね この物語はそのようにならないと完結しないのです 喰う者も涙を流しつつ喰い、喰われる者も涙を流しながら喰われ死んでゆくと ここに至って、シマウマもライオンも宗教家となり、この物語は完結するのです  

  • ENERGEAR
  • ベストアンサー率18% (7/37)
回答No.23

>聖書を読み、全世界へ向けて神を雄弁に語り、そしてアクションを取ったのであるからただの信者というわけにはいくまい  そうですね、単に利用しただけなら、宗教屋 と言ったほうが適切だろうか。  輪廻には否定的なようですね。  私も、老衰で死に行く人を見送ったことがありますが、そのときの印象としては「精神」や「魂」などと言ったものが 継続されて残る というような印象は持ちませんでした。  しかし、人間の認識力は完全では在りませんからね(おそらく)。  動物は人間のような色覚を持っておらず、また、動くものしか認識できない動物もいるようですから。

g3452sgp
質問者

お礼

輪廻とは自然界の循環サイクル、このように考えて一向に不都合はないでしょう

g3452sgp
質問者

補足

ところで、シマウマが宗教家になると何か面白くないことでもありますかね どうも世の中にはこれだと不満な人がいるようなのですが わたしは、シマウマが宗教家になったほうが面白いとおもうのですがそうではないですか

noname#136007
noname#136007
回答No.22

. g3452sgp さんの論理思考に疑問を感じています。 論理思考の、初歩的な質問をしますので、回答下さい。 (1)論理思考(哲学)の代表的な思考方法を2つ上げて下さい。 (2)その、具体例を上げて下さい。 (3)あなたの、思考方法がどの方法を多く用いているか、お答え下さい。 初歩な、質問ですみません! 回答宜しくお願いします。 .

g3452sgp
質問者

お礼

そのようなことは自分で、自分のオツムを使って考え、判断することです。 文脈を読み取り、物事の前後関係を見ながら、自分で、自分のオツムを使って考え、判断すること それが哲学する人間の姿勢です。 私などそのようなことを質問する気にもならんし、質問したことなどただの一度もない

  • ENERGEAR
  • ベストアンサー率18% (7/37)
回答No.21

>話によるとブッシュは聖書しか読まないらしい  うーん、困ったものですね。聖書を読むだけなのであれば、やはり宗教家というより 信者 と言ったほうが適切でしょうか。  まあ、聖書も仏典も読んだことのない私が言うのもどうか と思われるかもしれませんが... >シマウマも最後は宗教家になる  どうなんでしょう。最初・最後など、時間を考慮に入れて考えるとフクザツですね。

g3452sgp
質問者

お礼

聖書を読み、全世界へ向けて神を雄弁に語り、そしてアクションを取ったのであるからただの信者というわけにはいくまい

  • amaguappa
  • ベストアンサー率36% (140/385)
回答No.20

14、あはは。やっぱり頭のいい質問者さんだ。一本取られました。 そうですね。。。シマウマはライオンのなかで命になって続いていく。 飢えた虎の母仔に喰われてやろうとした幼きゴータマ・シッタルダを想起します。 喰われなかったから宗教家にならなければならなかったのかもしれません。

g3452sgp
質問者

お礼

シマウマはライオンの胃袋の中に入ると、そこで寝ている間に一度ライオンのクソになり、 それから地面に落ちて土になり、次に雨を吸って草に成り、 最後にシマウマに食われて再びシマウマとして甦る、とこういうことです。 これがすなわち輪廻です。 シマウマは宇宙について考えるうちに、その全てを知るのです。

g3452sgp
質問者

補足

ところで、シマウマが宗教家になると何か面白くないことでもありますかね どうも世の中にはこれだと不満な人がいるようなのですが わたしは、シマウマが宗教家になったほうが面白いとおもうのですがそうではないですか

回答No.19

No.5です。 >>> No.5 補足欄 k_jinen? 確か以前、フルサトのあたりで出合ったようなきがするな~ <<< 遡るのであれば、 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5264495.html での回答も参考になるかも知れません。 (そこでの「一つ前の質問」は:http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5262941.html) ただし、宗教を生み出す知性については、やはり、不可知論にならざるを得ない。 動植物が宗教(的ななにか)を感じているようだと、想定しようとする想いには、「その動植物に」思い・想いを馳せているのではなく、「その動植物」を含めて、かつ、「その動植物を越えた向こう側」へと思い・想いを馳せていることでしょう。。。 シマウマがライオンに襲われたとき、諦観の相を表すのは、悟りの境地に陥っているかのようにも見えますが、一方で、ライオンなどが大型の獣を狩るとき、相手の喉仏に食らいついて、窒息死させると言います。 >>> http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%B3 大型の獲物は吻端や喉に噛みつき、窒息死させる。 <<< ドラマなどでしかお目にかかることはないですが、刑事物で窒息死させられている俳優の表情は、諦観の相を表しているようにも見えます。 だからといって、「悟りの境地に陥っていない」とはいえないということになるでしょう。。。

g3452sgp
質問者

お礼

シマウマハ、ライオンニオソワレタトキジツハ、カンゲキスルノデス ナゼナラ、コレデヤットヤスラカニネムレルト、シルカラデス ソシテ、トシオイテビョーキニナリシナズニスムト、シルカラデス

g3452sgp
質問者

補足

思い出しました  以下の回答くれたんですよね フルサトハ トオキニアリテ オモウモノ ソシテ カナシク ウタウモノ ヨシヤ ウラブレテ イドノ カタイニ ナルトテモ カエルトコロニ アルマジヤ

  • ENERGEAR
  • ベストアンサー率18% (7/37)
回答No.18

 しかし、例えば蜘蛛の巣を張られて、それを毎回 取払っていれば、蜘蛛は自分に対して唐突に起きた出来事について考え、「何が起きたのだろう、もしかしたら自分が悪かったのだろうか、自分の何処がいけなかったのだろう」と考えるかもしれません。  あるいは、ゴキブリをたたきつぶしたところで、ゴキブリは、自分に「突発的に」起きた出来事に対して、考えるようになるかもしれません。  一寸の虫にも五分の魂 というのが本当であるとすれば。  そうすれば、認識力を上げることで、、運命や、他者の思惑に「できるだけ」翻弄されないような存在になろう と思いつくかもしれません。  しかし、やはりシマウマがライオンに食われているその瞬間はやはり自分に起こった出来事と、自分がこれからどうなるかということを、飲み込めないでいるのでしょう。  太陽に照らされ、ビタとも動かないでいるときはどうでしょうか。 それは、宇宙というより、今の自分の境遇を受け止めているだけでしょう。整理して「考える」ようになるのは、経験が蓄積されたその後ではないでしょうか。  人はどうでしょうか。

  • ENERGEAR
  • ベストアンサー率18% (7/37)
回答No.17

 シマウマと対極関係にあると想定してブッシュを例として出したということで。  ブッシュは宗教家ではないし、シマウマはやはり「この宇宙について考え始めた」わけでもないでしょう。  周囲を気にするのをやめるのと、周囲を気にしなくても済むようになるのとは別です。  人は一段違う人は認識できるが、二段違えば認識できないようです。

g3452sgp
質問者

お礼

話によるとブッシュは聖書しか読まないらしい

  • ENERGEAR
  • ベストアンサー率18% (7/37)
回答No.16

>ところで神を語らせると雄弁であったあのブッシュは今ごろどうしているのであろうか  ブッシュさんは神を雄弁に語っていたのですか。しかし、単に観ただけではそれほど雄弁に語れるとは思いませんが。おそらくキリスト教などの素地があったから語れたのでしょう。今現在どんな心境でいるのかは、想像するしかないでしょう。 >サバンナの平原の中でビタとも動かない数十頭のシマウマは完全に自分たちの世界におり、この宇宙について考えているに違いないとおもうのですがどうでしょう。  ビタとも動かない様子は見たことがありませんが、生き残りと子孫繁栄のみが生物に課せられた使命であるという思想と、それに伴う無思考というのも本能宗教として備えている と言えるかもしれないですね。それが 死に際しての「何が起こっているかわからない、起こった出来事を単に受け入れているだけ」という言わば 諦めの表情 になって現れる。  完全に自分たちの世界にいるが、この宇宙について考えてはいないでしょう。感じているだけだと思います。  死をどのようなものにするか。死に方をどのように自分で演出、創造していくか。これが創造者たる人間の本分であり、それは 生き方・在り方 そのものを考えるということでもあるのではないでしょうか。

g3452sgp
質問者

お礼

ブッシュのはなし ブッシュは全世界へ向け神を雄弁に語り、神の裁きを下すのだと救世軍を組織し、イラクへと送り込んだ。 そして日本にもこの計画の支援を要請し、日本はこれを支援した。 イラクでは多くの血が流れたが、ブッシュはイラクを制圧し、神の裁きは下されたのだと勝利宣言した。 その後イラクは荒廃し新たな混乱が始まった... 以上が神を語らせると雄弁であったブッシュの話です、これは既に物語になってしまったが。 次に哲学するシマウマのはなし 既に地表は灼熱の太陽の光で空気は湯気のようにユラユラと揺れ動いている。 サバンナのシマウマたちは熱気の中で、水を飲むことも忘れ、動くことをやめ、周囲の世界がどうなろうと気にすることをやめた。 そしてただジッと静止し、自分が立っている地について、この宇宙について深く考え始めたのであった  

noname#163132
noname#163132
回答No.15

ライオンに襲われるシマウマも、最初は抵抗しているけれど、最後の最後の表情は全てを諦めた表情に私には見えます。 遠く、虚空を見つめているように見えます。 何も考えていないようにも見えるけれど、これから自分が間違いなく死ぬことを分かっているし、受け入れている。 …そんな表情に見えます。 悲壮感から全てを諦めたようにも見えるけれど、恐怖している様にも見えない。痛みも恐怖も超越したところに居る様に見えます。 あの表情を見て「諦め」と取るのか、「悟り」と取るのか。 そのシマウマの表情から宗教家を連想するのなら、質問者さんご自身が、その様から悟りに繋がるものを感じたからじゃないでしょうか。 動物は生きるときは精一杯だけれど、死ぬことに憧れたりは恐らくしていないですよね。 死ぬと言うことがどういう事か、本当の意味で分かっているのではないかと思います。 シマウマのような群れをなす動物は、群れからはぐれない様に、怪我をしないように気をつけて、乏しい餌でも必死に獲って、死を遠ざけるように暮らしています。 けれども、絶対に避けられない死の瞬間が来たら、人間から見ると不思議なぐらい、静かな、全てを受け入れた表情に変わりますよね。 動物にとっても、人間と同じように死は恐怖だと思います。 でも、動物は天命を受け入れることが自然と出来ているのかと、想像してしまうような行動も取りますよね。 死期を悟ると姿を隠す動物もいますからね。 日々を精一杯生きるだけではなく、死も受け入れることが出来ているかのように思えます。 人間は思考が複雑だから、死期が近づいていても、悟りたくなくてあがいてしまうのかも知れません。 でも、これは動物を通して生きると言うことを考えたとき、人の中に生まれた感情であって、動物は無駄なエネルギーを使わないよう、姿を消したり、抵抗を止めているだけかも知れません。 けれど、死んでいく動物の行動に、唯の諦めとは違う潔さを見いだすのは、死のあり方に拘りを持ってしまう人間だからこそかも知れないですね。 話を戻しますが、あまりに酷い怪我を負うと全ての感覚が麻痺して、シマウマもあの様な表情になるのかも知れません。 悟りと言うよりも、麻痺して、自然とそうなるのかも知れないです。 死を目の前にした動物の表情に、何かを読み取りたくなってしまうのは、死ぬことにすら意味を見いだしたくなる人間だからこそではないでしょうか。 私は、猛獣に襲われて死に行く動物たちの表情に、悟りのようなものを感じていたけれど、 「あれは、何も考えていない表情だ。カルト教団の信者の様な、人に考えて貰うことを依存した、全てを放棄した顔だ。だからあの顔が私は嫌いだ」と新聞だったか、何かの記事に書いていた方がいました。 そうと言えなくもないような。 そちらの方が正解に近いのかも???…分からない。 猛獣に噛まれたら分かるのだろうけれど、体験はしたくないですね…。 見る人によって如何様にも見える。…本当に不思議な表情です。 考えることを放棄した顔には私には見えませんが、あの表情は限りなく無に近い表情だから、見る人それぞれの死生観が浮かぶのではないかと思います。 >例えばライオンに追われるシマウマも最後は宗教家になっているとおもいますか。 神仏にすがりはしないだろうけれど、「無に帰ることを悟っている」のだと思います。 自らが餌となって、ライオンの命を救うのだから、「救うという点では宗教家と言えなくもない」ですね。 イメージ的には繋がらなくもないですが、「見ている側の人間が感じている」と言うことだけは確かです。

g3452sgp
質問者

お礼

うーん、これはまた素晴らしい回答が返ってきました あまりに文学的、いやあまりに思想的、哲学的カイシャク 実はシマウマは病気になって死ぬより、ライオンに喰われて死にたいと願っているのです。 そしてライオンの命を救い、自らは安らかにライオンの胃袋の中で眠りたいと。 シマウマが宗教家になる瞬間です。 ありがとうございます

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