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宗教 = 天国 + 地獄 + 神

宗教の成立要件について1つ確認しておきたいのですが、この公式あっているでしょうか つまり、右辺の3つが揃わないと宗教は成り立たないと。

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  • ベストアンサー
  • cyototu
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回答No.3

#2です。 質問者さんは、  何ごとの おわしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる という歌をご存知ですか。西行が伊勢神宮を訪れた時に詠んだ歌です。そのビルマの方は、大仏様を見た時にかつて存在したお釈迦様に思いを致し、目の前の像に対してよりも、その心の中のお釈迦様に対して、かたじけなさにただひたすらに手を合わせたのだと思います。ですから、その話を聞いた時に私には何の矛盾も感じませんでした。私は、人々の苦しみを除き、その人達の幸せのために、あるは家族や国の人々の身の安全を守るために身も心も捧げ、あるいは、命まで捧げた方には、それが生きている方に対しても、また、既に亡くなった方に対してでも、心から頭が下がります。このことは宗教に関係なく、多分何方も同じではないでしょうか。 神道でも、神様に願いごとをするようになったのは比較的新しい現象であると、日本民俗学者の巨人柳田國男が言っておりました。昔は、心を清めて空っぽにし、神社の前で無念無想で頭を下げることが習いだったそうです。 >仏教は地獄については実に事細かく説明しており(八大地獄、十六小地獄など)、地獄について仏教の右に出る宗教は他にないのではないかとおもいますがどうでしょう。 ダンテの『神曲』の中の地獄篇はキリスト教における地獄を実に事細かく描写しております。実は、地獄に関しての想像は誰にでも出来ることであり、それをあらゆる想像力を巡らして事細かに描写することは、どんな文化でも、どんな時代の人にでも出来ることです。人生は誰にでも苦難の連続ですから、地獄の形容は誰でも簡単に納得してもらえるのです。それよりももっと難しいのは天国や極楽の描写です。私はダンテの『神曲』の天国篇を読んだとき、こんなところは1週間もいたら飽きるだろうなと思いました。ところが、あるとき源氏物語にも載っているあの恵心僧都の書いた『往生要集』を読んだときに、彼の地獄の描写もさることながら、彼の言う極楽は知的で大変な物でした。そこなら私も是非行ってみたいの思いました。 昔から、小説の類いで悲劇の描写で名著とされるものは幾らでもありますが、喜びをテーマにした作品で名著と言われる物は大変少ないです。実は、悲劇は誰でも体験することなので、作家の才能が特別に優れていなくても読者は共感でき、したがって名著の誉れを簡単に手に入れることが出来るのです。一方、喜びの描写は大変難しく、余程の才能が無くては読者を説得できません。喜びをテーマにするのは、何だか、歴史的に著名なクラッシック音楽の作曲家達が幾らでもピアノ協奏曲を書いたのに、バイオリン協奏曲はほとんどの作曲家では一生の間にたった一曲しか書いて来なかったことに相通じるものがありそうです。 私のインドの友人は「イスラム経の天国はキャバクラみたいなところ、キリスト教の天国はアナーキーで、ただ奇麗で良い香りがするだけの退屈なところ、ところがインド人が考えた極楽は、知的で深い喜びをいつまでも味わえるところだ。どうだインド人は頭良いだろう」と、イスラム教やキリスト教の人が聞いたら激怒するような冗談を言って自慢していました。 悲しい、不安だ、惨めだ、などと言うことは誰にでも出来るのですが、喜びを生産的に表現できる方は、なかなか居ないようですね。 神の存在を認める宗教あり認めない宗教あり、地獄の存在を認める宗教あり認めない宗教ありと、人間は何処までも知的で多様な深みを持っているようです。私は、そのような多様な人間の文化の中にたまたま生まれて来たことに対して、その幸運さに大変感謝しています。

g3452sgp
質問者

お礼

イスラム経の天国はキャバクラみたいなところ、キリスト教の天国はアナーキーで退屈なところ...ですか これはおもしろいですね、なるほどインド人ならそう言いかねないです 私も何人かインド人を知っていますが、彼らは宗教については圧倒的に自信をもっていますね。ヒンズーの教えは最強であると、ヒンズーの教えに勝るものはないと 世界中どこに行ってもぶれることがないというか自分たちのライフスタイルを変えようとはしない、だからインド人はどこにいても見ればすぐ分かる。 ヒンズーの教え、ぶれない心、日本人など到底太刀打できない精神を備えているようであります。 しかしヒンズーの教えもやはり、”天国 + 地獄 + 神”の枠内に収まっているようですが。

g3452sgp
質問者

補足

この回答を読んだ後、ヒンズーやイスラムについて少し調べてみて思うのですが、やはりヒンズーやイスラムよりは仏教の方が良いです。 ヒンズーやイスラムはまるで化け物の世界です。 たとえインド人がどうであろうと、こんなものには到底ついていけない、そう感じております。イスラムも同様です(ヒンズーよりは若干マシですが)。 仏教にもいろいろ問題はあると思いますが、まだこの2つよりは大分ましです。

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その他の回答 (35)

回答No.6

 科学は物質を以って物質の世界を解き明かそうというもの。  宗教はこころを以ってこころ(精神)を解き明かそうとするもの。  日本の宗教観は、昔は暗闇や天候など自然の大きな力を恐れ、そして敬うといったところから始まったように思っています。  それがいつのころからか、個人のこころの苦しみを取り除こう、救おう、という要素が入るようになりました。  現代は、それに加えて個人の心を浄化する事が宗教の目的であると、大衆も捉えるようになってきました。(と思います)  なぜ人の心はいつも満たされていないのでしょうか。不安感があるのでしょう。  心の安らぎってどんなとき、と考えると母の御胸(みむね)にい抱かれた幼子(おさなご)の姿をいつも思い出します。  母と子、親と子。  こうして連想していくと、我々の満たされない心や不安感があるのは『精神の親』を求めているから、ではないかと思うのです。  そして『親』を求めるために、理性的な禅を行ったり、感性的な念仏をしたりしているのではないでしょうか。  これからは、一人ひとりがこの満たされない気持ち、不安感に気づいて『親』の御胸に飛び込もうという心が「宗教心である」と考えたいものです。  そう受け止めれば、天国+地獄+神は揃わなくても宗教は成り立つと思います。付随するもの、という事でよいのではないでしょうか。  もっとも『親』は“神”に通ずるものがありますが。  

g3452sgp
質問者

お礼

>天国+地獄+神は揃わなくても宗教は成り立つと思います。付随するもの、という事でよいのではないでしょうか。 私も単に付随するものであってもらいたいのです。 しかし、単に付随するものであるとするのであれば大上段から十界論を説くのはなぜなのでしょう

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  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.5

古代エジプト。 人は死ぬと心臓をマアトの天秤の片方に置かれ、もう片方はマアトの羽が置かれ、マアトの羽より重かったらアメミットに食われ、釣り合いが取れたらオシリスが支配する死の国に行くとされた。 このオシリスの国が現在でいう天国のようなもの。 アメミットの心臓を食われたものは、再生できないとされる。 まあ 力技でやれば、アメミットに心臓を食われることを地獄に落ちたと表現してもいいのかもしれませんが、永遠の地獄って概念じゃあない。 yamaはリグ・ヴェーダでは最初に死んだ人間の名。 オシリスのように死者の国の王だったのですが後に死者の国が地下めいた概念になりだし、地獄の番人みたいな概念に変わりだした。 さらにエジプトのマアトと同じように審査するものという概念が加わり、日本では閻魔様と呼ばれている。 天国ってのは、ユダヤ教にはもともとなく、比較的後に作られた概念だそうです。 天の国を構成する人はユダヤ教のトップ12人で、<大衆者>と呼ばれていた。 ランクによりガブリエル とか ミカエルとか肩書きがあったそうです。 ってことで、天の国を構成している天使の名前を肩書きに持つ者はわれわれと同じ人間。 ヤマも人間。 オシリスは・・・・神格化してますが、もともと人間だったようです。 枝葉がついて神になっちゃったみたい。 日本のイザナミ。 うーーん 妙に人間っぽいですが、いろんな神様を生んだことになっている。 死んで黄泉の国に行ったとされますが、yamaの妻yammiの話が日本に伝わったとき、変化してイザナミになったのかも。 イザナミの支配する国が黄泉で、闇(yami)とも関連づけられ、悪いイメージになったんじゃないか と。 yamiの国が黄泉の国で、いわゆる地獄とするなら、日本で天国ってなんて呼ばれるのか? 高天原かな? http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%A4%A9%E5%8E%9F 諸説がありますが、私は飛騨高山説の本を読んだことがある。 だったら行ったことあります 天国。笑 まあ 要するに天国・地獄ってのはたくさんの悪魔を生み出したキリスト教の概念だと思うんですね。 上記のように他の宗教もそうだってわけじゃないです。 ユダヤ教など、大衆者が構成していた集団が天の国でしたから。

g3452sgp
質問者

お礼

イザナミノミコトとイザナギノミコトそして高天原、どうやら日本の場合は原始宗教と民話の世界に境界はないようですね。

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  • OtamaFJ
  • ベストアンサー率10% (4/37)
回答No.4

「宗教をしない」のもひとつの宗教です。 「宗教をしない」という信条を持っているのですから。

g3452sgp
質問者

お礼

「宗教をする」も宗教、「宗教をしない」も宗教 となると全てが宗教ということですか 宗教三昧、メデタシ、メデタシ、とこういうことですか

g3452sgp
質問者

補足

スミマセン、下のお礼は少々勢いあまりました、修正しないといけません 「宗教をする」も宗教、「宗教をしない」も宗教、まったくその通りです ただ話によると無宗教は国によっては人間扱いされないらしい なのでそのような場所では宗教しなくても適当にごまかすしかない まったくもって無礼なはなしだと思うが、以前に仕事でサウジに言ったときそういうのを見てきているので申しあげます  

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  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.2

>3つが揃わないと宗教は成り立たない いいえ、違います。 大分前にビルマの方と話をする機会がありました。その方が奈良の大仏のを見て感激して、そこに座り込んで手を合わせていたら、日本人の観光客達がその方を珍しそうに見ていたことに驚いたそうです。日本の人達はだれも膝間付いていない。大仏様の前に何のために来ていたのでしょうね、と言っておりました。さて、その方にビルマでの仏教について聞いたら、仏教には神様や仏様がいないのですよね、と言ったのが大変印象に残っています。もしかしたら、禅がそれに近い考えを持っているかもしれませんね。ビルマは上座仏教の国で、日本の大乗仏教とは違うので、同じ仏教でも考え方が随分違うようです。 それに対して地獄の無い例として、日本の神道に関しての江戸時代の指導者の一人、平田篤胤の意見があります。彼は『霊能真柱』の中で黄泉の国について説明しながら、極楽や地獄があるわけではなく、死者の霊は何処か遠い所に行ってしまうわけではなく、我々の周りにいて我々子孫を優しく見守っているとのだ言っており、黄泉の国を地獄とする彼の先生の本居宣長の意見には反対だと書いてありました。 また、中世から江戸初期の切支丹バテレンと仏教の僧侶や儒者との間の論争集が残っております。私の記憶では、その中の確か鈴木正三の『破切支丹』だったと思いますが、「未開で下等な宗教ほど魔法や魔術を述べ立てて、未熟な者どもを恐がらせたり喜ばせたりしてたぶらかし、それを切っ掛けに入信させようとする。高度な宗教ではそのような子供騙しはしない。ところで、キリスト教には奇跡と呼ばれる子供騙しが多すぎる」と論破しておりました。もしかしたら他の著者の文献だったかもしれません。切支丹論争関係の原本は幾らでも出版されておりますので、もし興味があったらご自分で探してみるのも一考かと思います。 いずれにしても、こと程左様に、天国地獄の有る無し、魔術や奇跡に関する考え方は文化によって違うようです。

g3452sgp
質問者

お礼

大仏様というのは仏の偶像のはずですが、その大仏様を神様や仏様をもたないビルマの人が熱心に拝むというのはこれは一体どういうことなのでしょうか、まったく分かりません。 大仏様を拝むのは仏を拝んでいることではないのでしょうか。 イスラム教には強力な神がいますが、別の理由により彼らは決して大仏様のような仏像を拝んだりはしません。イスラム教徒にとってはこのようなこと(偶像崇拝)は最も卑しむべき行為とみなされているらしいです。 仏教は地獄については実に事細かく説明しており(八大地獄、十六小地獄など)、地獄について仏教の右に出る宗教は他にないのではないかとおもいますがどうでしょう。 もちろん宗教によって天国、地獄、神などの表現方法、呼び方は違いますが結局概念としては同一のものであり、必ずこの3つは登場すると考えますがどうでしょうか。

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noname#136007
noname#136007
回答No.1

. んな事はない。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q129552212?fr=rcmd_chie_detail wiki 神 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E の抜粋 仏教 仏教は本来は神のような信仰対象を持たない宗教であった。 原始仏教は煩悩から解放された涅槃の境地に至るための実践の道であり、超越的な存在を信仰するものではなかった。 宗教は、複雑で難しいよ。 .

g3452sgp
質問者

お礼

>宗教は、複雑で難しいよ。 真理は常に単純明快なものであるはず。 別に難しく考える必要はないはずです。 もし宗教が複雑で難解なものであれば、そこに真理はないのだと直感しますがどうでしょう

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