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芥川の相聞
芥川龍之介作『相聞《そうもん》』の「風に舞いたる菅笠の/なにかは路《みち》に落ちざらん。/わが名はいかで惜しむべき。/惜しむは君が名のみとよ。」 この詩の意味、背景をご存じの方おられましたら教えてください。
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noname#212854
回答No.1
大正14年4月に発表された「澄江堂雑詠」 では 恋人ぶり 風に舞ひたるきぬ笠の なにかは道に落ちざらむ。 わが名はいかで惜しむべき。 惜しむは君が名のみとよ。 とあります。 しかしその前月 大正14年3月発表の「越びと」には 収録されていません。 ところが 自死後に 発見された 「或阿呆の一生」 には 三十七 越し人 彼は彼と才力の上にも格闘出来る女に遭遇した。が、「越し人」等の叙情詩を作り、僅かにこの危機を脱出した。それは何か木の幹に凍った、かがやかしい雪を落すように切ない心もちのするものだった。 風に舞ひたるすげ笠の 何かは道に落ちざらん わが名はいかで惜しむべき 惜しむは君が名のみとよ。 とありますから 越し人 は 歌人の 片山広子であり アイルランド文学翻訳家の松村みね子である となります。 芥川龍之介は 若い頃 同人誌の新思潮に 片山広子時代の歌集「翡翠」の 書評を書いている。 また、堀辰雄の「聖家族」は 芥川龍之介と片山広子(松村みね子)の および 堀辰雄のことなどを 描いたものとされている。 以上が背景など。 意味は、「叙情詩を作り、僅かにこの危機を脱出した。それは何か木の幹に凍った、かがやかしい雪を落すように切ない心もちのするものだった。」で、充分でしょう。
お礼
詳しく説明して頂き有難う御座いました。背景、意味共々良く分かりました。