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池の中に魚が無限に存在する(○?それとも×?)
(1)池の中に (2)魚が無限に存在する (1)は(2)より優先的である とした場合 魚は無限に存在できるのか? それとも有限なのか? 池が有限なのだから魚は無限に存在出来ない気がします 助言下さい
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A No.6へのコメントについてです。 ご質問は、「詩の中の数理」とでも申しましょうか。 詩も数学も哲学も物理学も、いずれも「言葉を使って何かやる」という点では同じです。また、日常使う言葉は、意味が分かったような気になって使っているけど、きちんと共通了解ができている訳ではない、いい加減なものである。そのいい加減さを、詩は利用しますし、数学・哲学・物理学では排除しようとします。 詩は、日常使われる言葉の意味や連想を少しだけ変容する仕掛けで、言葉だけで作られる世界と日常の世界とを曖昧に繋いで好き勝手に行き来できます。 数学は、現実の世界とは直接の関係を断ち切って、厳密に定められた言葉(数式も言葉のうちです)だけで構成される構造を扱います。そもそも数学で「証明」が可能なのは、数学が現実とは無関係な、言葉だけで閉じた体系だからです。したがって数学という文脈で「池」だの「魚」だのと言う場合に、現実の池や魚はもちろん、現実のあらゆる実在とは切り離された言葉そのものを指すただの記号だ、と見なして扱うのはごく普通のことです。 一方、物理学は、現実の世界を説明する反証可能なリクツを言葉によって構成しようとする、哲学の一種です。 物理学においては、リクツを拵えただけでは何か証明したことにはならない。なにしろ現実の世界が相手なので、リクツがいくら旨くできていても、反例(リクツに合わない現象)があったらそんなリクツは机上の空論。なので、証明ということはそもそも不可能です。その代わりに反証(現実を観察して、リクツに合わない現象を見つけること)を通して、スカタンを厳しく切り捨てます。そうして長年掛かってもまだ切り捨てられていないリクツが、暫定的に「法則」と呼ばれている訳です。 で、ご質問は、現実の池と魚を指すと思われる言葉「池の中に魚がn匹存在する」を持ってきて、これを非現実の数学の世界における「個数(濃度)」の概念と連想で繋いでいます。数学の言葉を引き込もうとしている訳ですが、引き込める先は飽くまでも詩の世界であって、現実の世界じゃありません。なにしろ、曖昧な詩的連想だけが頼りなんですから、現実の世界について何か意味のある事を言った、ってことにはなりません。詩的世界において、数学の素養を多少とも持つ読者にナニカ不思議を感じさせるための仕掛け、以上の意味は持たないでしょうね。 以上を踏まえた上で、 > 魚は分割できない「素粒子」的な存在をイメージしています > そして池は世界(全宇宙)です 残念ながら、そのイメージはご質問にある詩からは伝わりませんで、むしろ、無限級数論(大きさの異なる魚の列)や「取り尽くす」という操作で定義される無限の概念を連想させられた。高次元空間の充填問題や、物理学の質点の概念を連想なさった方もいる。ま、これだけの数の感想が集まったのですから、詩としてはそこそこ成功しているんじゃないでしょうか。
お礼
詩という表現はとても的確であると思います まさに私の気持ちを感じ取っているのだと思います 自分の未熟さが感じ取れる「詩」になってしまいましたが それに答えてくれた皆さんの「詩」はとても楽しいです