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有限のなかの無限
●一瞬という有限な時間は 無限に細分化できるのでしょうか? 数学的には可能でも わたしには物理として認識不可能です。 数学に於ける虚数のようなものではないでしょうか? 数学の論理のなかで虚数はいきていますが 実象として虚数はたぶんありません。 現実の現象として時間を考察するとき 有限な時間の細分化は有限である。 と仮定して不都合は 起きるでしょうか? 「光の最もちいさな波長の1サイクルが進む時間が 時間の最小単位である。」 ↑この仮説(Chihoko Original)の不都合を哲学してください。 もし不都合がなければ そのように解釈したほうが すっきりしませんか? お気軽なご回答を 雑感等含めながら よろしくお願いいたします。
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- KomiyaYui
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事象の地平線の中に吸い込まれた物質が中心へ辿り着く迄には、 無限大の時間が掛かりますので、無限に分割されている、と言えないでしょうか?
- SakuraiTomoka
- ベストアンサー率24% (11/45)
参加が異常に遅くなりまして、申し訳が御座いませんが、 回答例を摘出させて頂きますと、下記の通りになります。 そもそも、認識主体が当事者になるのか否かによりまして、 変わって参りますが、東洋哲学的な解釈が不足しています。 つまり、『「相対無」と「絶対無」との相違』への諒察さえもが、 此処でも必要になり得るのでしょう。 「時制の一致」やら「第五文型」やら「名詞の性別的な分類」やらが、 西洋文化圏の言語では採用されていますので、 対象との間に距離を設ける発想が優先され過ぎていたせいで、 分析の限界にぶつかったのです。 従いまして、逆に伺わせて下さい。 『無限の分割の後には「無」へと還元され得るのでしょうか?』 御忙しい中への御邪魔を致しますが、 是非とも御意見を宜しく御願い申し上げます。
- tenntennsevengoo
- ベストアンサー率14% (17/114)
まず時間は細分化できます。 もし、1秒を1/100に分割するとすると 1秒=0.01+0.01+・・・・・・0.01 となります。 この0.01を1と定義すると(単位は自分で勝手に考えてください) 1秒は100ということになります。 このように1秒を1/100000・・・・・・∞ と永久に分割することが可能です。 しかし、その分1秒が相対的に変化することを止めることは出来ません。 >「光の最もちいさな波長の1サイクルが進む時間が 時間の最小単位である。」 これは上の議論と同じく波長1サイクルを永久分割できますから 最小単位は 最小単位<0.00000……∞1 から抜けられません。 以上です。
- eidos
- ベストアンサー率20% (5/24)
もう少し補足いたします。視覚は仰るような速度で、視界を感得します。 そして、知覚は視覚の情報を、恐らくは仰るような速度で思慮し、認識して いるのだろうと思います。認識は、階梯的な感得の基に生み出されています が、その階梯が築き上げられる時間は、確かに仰るような光速を超えるもの ではないだろうと僕も思います。 しかし、その階梯はあくまで位相であって、ある程度の情報を基に、本来 必要とされる時間を抜きにして先の現象を思慮してしまうような特性が知覚 にはあると僕には思われるのです。 例えば、僕らは、夜空を見上げて星を観察しますが、今見ている星の多くが、 光速でも何万年もかかる遥か宇宙の彼方で起きた輝きなのだそうです。 人類の歴史を、例えば3,000年とか5,000年とかと仮に置いたとしても、 或いはこの先何年生き長らえたとしても、そうした星々を直接観察し、或いは 宇宙の構造について五感から得た情報のみで吟味する事は物理的に不可能です。 形而上の事でない、有限な時間を持った肉体が、同じく有限ではあるだろう時に 支配された宇宙を感得する場合、無限に細分化された時間の中で思慮できる 知覚無しにしては、何物をも認識不可能な事になりはしないでしょうか。 有限な時間に支配された位相的な現象を我々に認識させているのは、その 有限時間を飛び越えて、位相的な面から類推する事ができる知覚の成せる技 だと僕は思います。
- eidos
- ベストアンサー率20% (5/24)
>「光の最もちいさな波長の1サイクルが進む時間が 時間の最小単位である。」 >↑この仮説(Chihoko Original)の不都合を哲学してください。 という事で、「光」を知覚するのは、視力によってだと思いますが、 人間にはその上位に知覚というのがあると思います。肉体が感知する事の できる最小単位が光波という事であっても、知覚する上では無限に細分化 されたそのヒトコマが、モノを言う気がするのです。 仰る実像はまさにその事であって、もしも実像によってのみ単位が定め られたなら、人間にとって「思慮」は不要の事と言えるんじゃないでしょうか。
お礼
●人間の感覚もデジタルらしいですよ しかも圧縮されているらしいです。 目の感覚は網膜の光化学反応による電位差でしょうし それを認識するのは 圧縮されたデータの脳による照合と振り分けだと 推測します。 脳生理学的ヒトコマを考察すると 視覚においては光化学反応の限界速度 つまり秒間60コマくらいだとおもいます。そのくらいの映画を観たことが ありますが 実像となめらかさにおいて区別がつきません。 また 認識のヒトコマは シナプスを電流が通過して 振り分けが行われる 最低ラインの速度だと思います。早撃ちガンマンの0.3秒くらいでしょうか。 このくらいのオーダーの時間を最小単位としてしうと 例えば パソコンの計算速度とか ジェットエンジンの回転数とか はるかに速いわけで いきなり不具合がでてしまします。 だから 人間の考察するうえでは eidosさんがおっしゃる時間の感覚でも おもしろいし あたらしい考察が生まれる可能性があるとおもおいます。 けれどもわたしが 欲しいのは 有限はその内部も有限のもので構成されている という感覚なのです。 ご回答ありがとうございました。
- mcqgogo
- ベストアンサー率25% (19/75)
#8マンです お礼ありがとうございます この世を波と考え、正弦波の山と谷をデジタル的存在とすれば、それを繋ぐ余韻の存在、アナログにも救いあり この世には、余韻と言う存在もどきもあったことに気付くことができました 祇園精舎の鐘の音が響いてくるようです なんて参考になるのだろう、このカテゴリーは 貴方は神か?
お礼
●わたしはただ わたしのいやらしい乳首のことを申し上げたのですが さすがmcqgogoさんです。ホツプステップジャンプのジャンプが出来る方なのですね。 余韻 すばらしいところに気付かれました。残身ともいいます。空間の記憶かも しれません。いずれ正体のないところに正体を感じさせるなにかが残るんですね。 余韻のない方は きらいです。学校の先生と名乗る50代の方とSEXしたとき 射精したら さっさと身支度を始められて「帰りは早いぞ!」などと おっしゃるのです。わたしはまだ 股を開いて性器のなかの男の汁を まさぐって楽しんでいるのに・・・。もぅ絶対許せません。 余韻を発想されるmcqgogoさんなら そんな味わいのないことはなさいませんよね。 ご回答ありがとうございました。
- ranx
- ベストアンサー率24% (357/1463)
光の波長はエネルギーに比例し、全宇宙のエネルギーは多分有限ですから、 全宇宙のエネルギーを1個の光子に集約したら、その時の波長が最小になる はずです。ちょっと想像できませんが...。 それはそれとして、意識される時間と物理的観測の対象である時間が同一 であると考える根拠はないように思う・・・っていうか、別物じゃないのかな。
お礼
●それはちょっと 無理がありませんか? いくらビッグバンでも 密度がおおきすぎませんか? わたしは とても緩い波の位相が一致して 巨大な波になり その巨大な波どうしがぶつかったのが ビッグバンだと イメージしています。 >意識される時間と物理的観測の対象である時間が同一 である と考える根拠はないように思う・・・っていうか、別物じゃないのかな。 ●わたしもそう思います。 将来はそのふたつの像は近づいていくと 思っています。 ご回答ありがとうございました。
- cse_ri2
- ベストアンサー率25% (830/3286)
>従って任意の時間の内部に無限は存在せず有限な任意の >物質も時間もすべて有限である。←これが仮説です。 何を主張したいのかがよくわかりませんが... プランク時間という分割不可能な時間の最小概念の実在を 考えますと、有限な時間を無限に分割することは不可能と 言えると思います。 しかし「有限な任意の物質も時間もすべて有限である」と いう記述の意味が不明です。 「ある限定された物質、あるいは限定された時間を無限に分割することはできない」 と言うことを主張したいのでしょうか。
お礼
●cse_ri2さんが推敲された文章でいいとおもいます。 ブランク時間を分割することが不可能なのか 分割することが物理的に無意味なのか どちらでしょうか? ご存知でしたら 明言いただけませんでしょうか? いずれにせよ現時点での物理的論理であることには変わりありませんから どんな時でも真理は闇の中なわけで 「ある限定された物質、あるいは限定された時間を無限に分割することはできない」 この仮説で不都合があるかどうかを考察するほうが 健全だとわたしは思います。 ご回答ありがとうございました。
- nyozegamon
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時間の最小単位は「刹那」と言われます。 これは、一つの意識の起こる時間です。 その長さについては諸説あり、 数学理論を適用しようとすると切なくなります。
お礼
●刹那ってそういう意味もあったんですね。 とても参考になりました。 刹那で十分足りるのが生活のほとんどですね。 人間ってなんてぜいたくなんでしょ・・・。 ご回答ありがとうございました。
- mcqgogo
- ベストアンサー率25% (19/75)
空間が無限に細分化できるとすれば、時間も同じようになるはずです。 例えば物質の動きを考えるとき、物質の速度と時間の関係でその位置が決まります。微細なずれには、それに対応する微細な時間も必要です。 イメージしづらいのは間違いないとは思いますが、ゼロに向かって集約するゼノンの逆理のようなイメージで捉えるよりも、空間の連続と連動して時間をイメージするほうが分かりやすいと思います。 時間の最小単位を規定するデジタル的発想は、今まで説明しづらかった何ものかを露わにしたり、再現性の高いデータ処理には応用出来そうですね。 でも私のようなアナログ人間には、肩身が狭くなるような気がします。 万物が流転する時、コマ送りになってギクシャクしてしまいそうで… せっかくの滑らかな世界観にカドが立ちます。
お礼
●デジタルだとしたらゼノンの逆理は すっきりとしますよね。 アキレスがカメを追い越せます。 デジタルといっても 正弦波宇宙論でいくと 電磁波は場のゆがみですから 最小単位の波のワンサイクルは ゆがみが次の場に移る感じなんです。 みぎの乳首をころがされて つぎにひだりの乳首をころがされる デジタルですけれども 感覚はとてもなめらかにつながっています。 そんなかんじじゃないかなぁ・・・。 ご回答ありがとうございました。
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お礼
●eidosさんがおっしゃるところの 知覚とは 概念による論理のことですね。 わたしは 感覚を認知する脳の働きだとおもってました。 eidosさんのおっしゃる言葉からは ただならぬ論理の可能性を感じさせられます。 けれども わたしの感じとしては 論理的には普通は無限の感覚があるわけで むしろ現代物理が物と時間の限界を提示していることのほうが 興味深いです。 >無限に細分化された時間の中で思慮できる 知覚無しにしては、 何物をも認識不可能な事になりはしないでしょうか。 ●物理的には マックス・プランク(1858-1947)がいうところのブランク時間 以下の時間は 論理を破綻させてしまうらしいです。No5のcse_ri2さんの ご回答を参照してください。 数学的にはeidosさんがおっしゃるように 無限に細分化できる時間という 概念は必要ですよね。それぞれの分野に必要な概念があることは とてもいいことだとわたしは思います。 ご回答ありがとうございました。