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問題だと言うのならすぐに何とかしろ、それが出来ないなら問題にするべきではないという論は詭弁ですよね

問題だと言うのならすぐに何とかしろ、それが出来ないなら問題にするべきではないという論は詭弁ですよね? (例) 世界の飢餓が問題だと言うならすぐに貧困国へ沢山の食料を運んだり、改善策を打ち出すべき。 出来ないなら問題視するな。 「問題である」と「じゃあすぐにどうかしたら?」の繋がりが理解できません。

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回答No.4

それは発言する人がどういった組織の中で どういったポジションで発言するかによります。 例えば企業の一介の社員が、 何か提案したとして、確かにそれは実行できれば理想的だけど それをするには業務フローの大幅な変更や周知が必要だったり、 余分な資金が必要だったりで実現困難な場合があります。 その場合、いくら良いことを言っていても、組織としては 迷惑です。 すぐになんとかしようとすると一時的な損失が大きいですし、 その場合、発言自体が不適切です。なのでこの場合は詭弁じゃないです ただ、逆にブレストのような、問題点の指摘自体が求められる場合や、 今後の課題として問題点を残して(蓄積して)ゆき、それに基づいた 見直しが定期的に設けられているような場合は積極的に問題点の 指摘をするべきです。 その問題点および解決策を打つかどうかは別問題(別のタイミング)です。 ようは組織にとって不利益にならなければOKなのですよ、たいていは。 ただ、「哲学」のカテゴリーに投稿されているので、 組織の論理は無視してよいのかもしれません。 その場合、私の解答は的外れですが、ご容赦下さいm(__)m

noname#101040
質問者

お礼

ありがとうございます。

noname#101040
質問者

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単に言いっぱなしに終わるのは問題になるわけですね。 No.1の方も言うように。

その他の回答 (10)

  • noname002
  • ベストアンサー率36% (97/264)
回答No.11

>「問題である」と「じゃあすぐにどうかしたら?」の繋がりが理解できません。 と、質問者さまが仰るとおり、詭弁ですらなくて、ある問題が存在することと、その解決に向けた迅速な模索と確実に実行着手を やっていく、という、直接の繋がりではないこと、単に判断次元の違うことをゴッチャにしているのではないでしょうか。 及ぼされる範囲が広かろうが狭かろうが見過ごせぬ影響必至であるゆえ、あくまでも、 解決されなければならない と認識されたこと、それが即ち「問題」というものですが、 解決すれば問題は解消する。つまり、問題あってこその「解消」です。 では、問題視さえしなければ、そもそも、問題は存在しないことになるじゃないか。 というわけで、「その問題を、すぐに解決できないのに、問題視している人」という、言わば普遍的モデルに対して、「すぐに解決せよ、さもなくば問題視するのをやめい。」と、迫られている人が早く解決すること或いは問題視することを早く やめること、要するに、早急に二択を迫っているんですよね。 迅速な改善策を打ち出すべきときであるなら、そのように打ち出す努力が必要ですから、せかす気持ちは わかります。 ちんたら手をこまねいていることに業を煮やして、「出来ないなら(いっそのこと)問題視するな。」と言いたくなる気持ちも わかります。 しかし、問題視することをやめさえしたら、とたんに、問題でなくなるのが本当なのであれば、それは、その程度のこととしてよいのでしょうが、 実態は消極的妥協、あるいは表面的なキレイごと、形式的ごまかしにしかならない場合、むしろ、水面下で刻々と事態が泥沼化していく恐れが高くなるということは忘れてならないことです。 次元の違いすらロクに認識できない人に、迅速性如何も含め、はたして、問題の確実な解決について、とるべき判断が下せるのか、甚だ怪しいのではないでしょうか。

noname#101040
質問者

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ありがとうございます。

noname#117439
noname#117439
回答No.10

詭弁じゃなくて言いがかりじゃないですか。 社会的問題については、どこかで誰かが頑張るものですがすぐには解決しないでしょう。 合意にはまず話し合いの土壌が必要ですが、それ以前の個人の良心のみの状態では、一人で頑張る事になります。

noname#101040
質問者

お礼

ありがとうございます。

noname#118718
noname#118718
回答No.9

あと、 「問題は解決されなければならない」という思い込みが詭弁を正論のように感じさせてしまうのではないかと思います。 実際には、問題を認識しておくことや問題の影響範囲を予測しておくことも重要です。 「影響範囲を予測する作業のために、あえて問題を指摘しておきます」という指摘には、この詭弁は無力ですね。

noname#101040
質問者

お礼

再びありがとうございます。

noname#118718
noname#118718
回答No.8

問題を指摘している人間と指摘されている人間が同じ(自問自答)ならば詭弁とは感じないですね。 つまり、解決の為のデータや人的経済的資源、権限などを指摘している人間が持っているのにという条件がある場合のみ詭弁とは感じないような気がします。 逆に、それらを持っている人間がもっていない人間に言う場合は詭弁ですね。

noname#101040
質問者

お礼

ありがとうございます。

noname#101040
質問者

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自分への説教というようなケースですね。 「私がこれを語るなら、とっとと結果を出すべきだ。出来なければ語るべき人間ではない」という感じかな。

回答No.7

 詭弁の論というよりも、どちらかと言えば、自己矛盾の論だと思います。   論者の論理を単純化するならば、「問題視するならば、その問題をすぐに解決しなければならない(=その問題をすぐに解決できないのならば、問題視してはならない)」という風になります。しかし、論者のその論理は、論者の論理そのものにも当てはまっており、論者の論理そのものをも否定しているのです。  というのも、論者が「問題視するならば、その問題をすぐに解決しなければならない」と言った際、「その問題をすぐに解決できないのに、問題視している」人に対して、論者自身も問題視を行っていることは明白です。その点を問題視しているのでなければ、相手の発言は、何に向けて発せられたのかわからない、何の意味も持たないものになってしまうからです。  ならば、上記の論理から、「その問題をすぐに解決できないのに、問題視している」という人を、相手側は、すぐに否定(=解決)しなければならなくなります。ところが、「その問題をすぐに解決できないのに、問題視している」人は、世界のあらゆる場所に存在するであろうことが言い得ます。というのも、目の前にいる人にのみ、その論理が適用されるのであれば、その論理は明らかに正当性を持ち得ないために、世界のあらゆる場所に存在する人を考慮する必要があるのです。ゆえに、論者が問題視している問題を、論者がすぐに解決することは、明らかに不可能なのです。  したがって、論者は、「問題視するならば、その問題をすぐに解決しなければならない」と言いながら、「その問題をすぐに解決できないのならば、問題視してはならない」ということを同時に満たしています。これは明らかなる自己矛盾だと思います。

noname#101040
質問者

お礼

ありがとうございます。

noname#101040
質問者

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なるほど。その視点も。

  • pupurr
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回答No.6

詭弁です。 というより、短気な感情の意見。幼稚。 すぐに何とかできない問題ばかりです。 すぐに解決できたら、問題にならない。 この世にはまだまだ解決できていない問題があるという「現実認識」が浅い状態だとそういう意見が出てくるでしょう。  現実がよくわかってないんでしょうか?  意識が子供ではないでしょうか。  すぐに解決を迫ってる思いを感じます。  多くの問題は、今も解決に向けて努力している継続中の問題もいっぱいあります。温暖化しかり。

noname#101040
質問者

お礼

ありがとうございます。

noname#101040
質問者

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すぐに解決できないから問題だと言っているともいえるんですよね。

回答No.5

「すぐに」というのは、詭弁です。 ただ、言うだけでなく、ちゃんと案も考えましょうってことだと思いますよ。 言うだけで、あとは人任せって良くないですね。 実行可能かどうかは別として案は出すべきです。 もちろん、案が出ないときは問題提起だけでもOKですが、考えるべきだと思いますよ。 例えば、「地球温暖化が問題だ」と言いながら、CO2削減努力をまったくしなければ意味が無いですね。

noname#101040
質問者

お礼

ありがとうございます。

noname#101040
質問者

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人任せではなく、考えるだけは考えろってことですね。

  • tana_y
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回答No.3

詭弁ですね。 問題はみんなが認識した時点で問題ではなくなると思っていましたが、 認識しても本質を理解できなければ解決できないですね。 言われてみて気がつきました。感謝感謝。 「問題」には「原因」があるわけで、「解決」には「対応」が 必要だと思います。 対応に必要な時間は問題によって様々なので、すぐにと固定化するのは 理解できません。 なので詭弁と思いまする。 ただし問題には時間的制約が付いているものもあるので、優先順位は 考慮すべきと思います。 それと現実的には全ての問題を解決する事が困難な場合、諦めると いう選択をせざるを得ない場合も確かに存在します。 だからといって、問題だと言うのをやめろと言うのは詭弁です。

noname#101040
質問者

お礼

ありがとうございます。

  • tarutosan
  • ベストアンサー率23% (1528/6449)
回答No.2

じゃあ~~ とか、 ~~すればいい との言い方をよく聞きますが、基本的に短絡的かつ相手の言葉を逆手に取るだけ、な文言が多いですね。(勿論そうでない事もありますが) 言ってる人が気付かない場合も含まれます。 また、何故か命令調です。 例の話の場合、「じゃああなたが私財を注いで解決すればいい」と返すのが正攻法ですかね(笑)

noname#101040
質問者

お礼

ありがとうございます。

  • toshipee
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回答No.1

 哲学からは少し離れるけど、より現実的に考えて。  仕事でいちばん感じるんですが、ひとつのプロジェクトが終わったとき、問題点の指摘だけはできるんですが、対策をセットにして持ち合わせていない人が多いです。「だとしたら、何か案はお持ちですか」というと、「それは担当部署で」と逃げる。論破に発展性がないですね。「対策案がないとしたら、現存部署、メンバーでこれが最善案なんです」というところにシナプスがつながらないようです。そういう方は、私にとっては価値がないですね。  だから、「繋がる」点においては、私は理解できます。その人にとって、無力であると認識するなら、問題視する価値がないと。

noname#101040
質問者

お礼

ありがとうございます。

noname#101040
質問者

補足

口の批判だけかよ無責任なというところですね。

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