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葵紋の謎(どこまで禁止されていたか)

徳川幕府の政策として、徳川一門以外の葵紋の使用を禁止し、これに抗議した本多忠勝の意見を容れて例外的に本多家のみに立葵紋の使用を許したという話が有名ですが、ではなぜ赤穂浪士の原惣右衛門や新撰組の山南敬助の家紋は立葵なのでしょうか? この両者は徳川家や本多家の血縁ではないと思いますが、葵紋を使用しても問題は生じなかったのでしょうか?

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  • Pinhole-09
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回答No.1

京都賀茂神社の葵紋で知られるように、元々は鴨氏の家紋です。  三河賀茂郡松平郡の豪族、松平氏はその縁で葵紋(二つ葉葵紋)でした。   賀茂の神官の血を引く本多氏も葵紋でした。  これを丸に三つ葉葵紋に換えたのは本多氏といわれます。 平八郎の父と思いますが、出陣の儀式に、三枚の葵の葉を敷き、その上に出陣の縁起物を並べたところ、戦に大勝し縁起で紋を変えたといわれます。 松平清康はこの紋が気に入り、本多氏より譲り受けました。 この辺異説があろます。 徳川家康が将軍になり、権威づけで葵紋を徳川家(将軍と御三家)の独占にしようとしましたが、すでに三つ葉葵をつかっている、親藩松平家から猛反対を受け、許す事となりました。 他の大名で葵紋のところはすべて変えました。 一般にも「葵紋禁止令」をだしましたが、少数ですが証拠を出し、先祖代々の葵紋で、儂は変えたくないと言われれば、黙認せざるを得ませんでした。 しかし理由もなく三つ葉葵紋を使う者がいたようで、厳罰に処し禁令は何度も出されています。 黙認されたのは、賀茂神社と善光寺関係と、丹波、船井郡にいた西田氏と伊奈氏、島田氏といわれます。    三つ葉葵ではないと思いますが。

indians
質問者

お礼

ありがとうございます。 なるほど、では原家や山南家は、その証拠を出して先祖代々の葵紋で変えたくないと言って黙認された家という理解で良いでしょうか?

その他の回答 (1)

  • Pinhole-09
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回答No.2

立ち葵紋なら各地に散らばった、賀茂神社神官の血筋と推察するのが常識的です。 丸に三つ葉葵の紋服なら、徳川家よりの拝領品もありますが。

indians
質問者

お礼

そういえば、賀茂神社や善光寺の葵紋はOKでしたもんね。あれは寺社全体の寺紋・神紋としての許可だと思っていたのですが、僧侶や神官の家の家紋としてもOKだったということですね。腑に落ちました。ありがとうございました。

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