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後白河上皇はなぜ34回も熊野御幸をしたのでしょうか。
後白河上皇はなぜ34回も熊野御幸をしたのでしょうか。 また、熊野信仰とはどのような信仰なのでしょうか。 なぜ他の神社ではなく熊野にこだわったのでしょうか。 自説も大歓迎です。 よろしくお願いします。
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熊野三山は神の宿る地として信仰を平安時代後期、浄土信仰のひろがりのもと、熊野は阿弥陀如来あるいは千手観音の浄土とされ、人々はそこに来世を託した。 また、不老長寿の願いの実現も熊野に託すようになった。 後白河上皇は、 今はよろづを抛(な)げ棄てて、往生極楽を望まむと思ふ という歌から、極楽往生を望んでいたのだと思う。 後白河上皇は、天皇5代にわたって院政をとり、武家勢力に対抗しつづけたしたたかな政治家で、その権謀術策により、平家や木曽義仲、源義経、奥州藤原氏を滅ぼし、源頼朝からは「日本一の大天狗」と恐れられました。 あくどいことをしている人間のほうが本気で極楽往生を願うものなのかもしれません。 そのために34回も御幸したのでしょう。
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回答ありがとうございます。 熊野は阿弥陀如来・千手観音の浄土と考えられたのですか。 勉強になりました。 さらになぜ熊野が阿弥陀如来・千手観音の浄土と考えられたのだろうか、 とますます疑問が深まりますね。 記紀をよみますと イザナミは紀伊の熊野の有馬村(三重県熊野市有馬の花窟神社)に葬られたという記述があります。 また神武天皇が東征して畿内入りするにあたって 南へ迂回して熊野を越えていますが そのあたりと関係あるのかな?とも思いますが どのようにお考えですか。 >あくどいことをしている人間のほうが本気で極楽往生を願うものなのかもしれません。 そのために34回も御幸したのでしょう。 あはは そのとおりでしょうね。 三十三間堂に伝わる後白河上皇の伝説によりますと 後白河上皇は頭痛持ちだった。 あるとき夢枕に観音さまがあらわれて 「あなたは前世は熊野にあった蓮華坊という僧侶であった。 その蓮華坊の髑髏が岩田川の底に沈んでおり、髑髏を貫いて柳の木が生えていて、風が吹くと柳の木が揺れて髑髏にあたるので上皇の頭が痛むのだ」といったとのことです。 トンデモ説かもしれませんが、この話から熊野には髑髏に対する信仰のようなものがあったのかな、とも思います。 (奈良時代より髑髏を使って呪詛したという記録が残っています。)