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一撃必殺!?真剣白刃取り!
真剣白刃取り、この驚異。 これにも、ご多分に漏れず、高い知性が関わっていると思います。 澄み切った精神と、活きのいい情報把握能力がこれを可能にするわけで、静動混在。そういう意味では、蟷螂やカメレオンの知性は、かなりのものであろう。 人間の芸当は、彼らのそれに比べれば、ガキの使いだ。と、思います。 哲学をするあなた、あなたに真剣白刃取りができますか? そして、哲学を愛でるあなたの必殺技は、なんですか? ご多分に漏れず、青二才な俺に、披露していただきたい。なにも、回りくどい方法だけが、知性ではないのだと、私は思います。知性には幅があるぞ、という認識しか、今の俺にはありません。 どういった知性があるのか、またありえるのか、教えていただきたい。
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参考程度に 遠い昔に、mmkyさんも剣道をやっておりました。夏も近づいたある暑い日の午後に強敵と対決したのですが、其のとき一度だけですが「無念無相」という状態を体験しました。絶対的な静寂の中に相手と相手の竹刀がまるでスローモーションの映像のように見えるのです。音は一切聞こえません。相手の竹刀が目の前数センチのところまで迫ったのは覚えています。それから気がついたときは勝っていました。直後は腕が硬直して動かせませんでした。相手が打ち込んだわずか0.3秒ほどの時間が途轍も無く長い時間に見えたのです。多分0.1秒以下で体が動き相手をしのいで打ったのでしょうが記憶に無いのです。究極の反射神経が働いたのでしょう。このような経験がありますので、真剣白刃取りや柔道の真空投げ(決して組まないで投げるわけではありません。)や野球で川上監督が現役時代に130Km以上のスピードのボールが止まって見えたという感じをなんとなくですが理解できるのです。宮本武蔵の「五輪の書」も知識や知性で理解できるものではありませんね。やはり精神的、肉体的な実践訓練を通して得られた境地に違いありませんね。ということでスポーツを通じて体得できる「無念無相」の境地は知恵を通して得られる知性とは少し異なるように思います。でも禅定を通して得られる「真空無相」の境地に近いものではありますね。だから体得した境地を悟性とすれば、その意味では同じ境地に達しているのかも知れません。 ということで総合的に言えることは、確かに真剣白刃取り的な発想は知性とは少し異なっているようには思いますが、哲学は感性、知性、理性、悟性の精神な多様性を論じる学問でもありますのでいろんな方向から論じられるものではありますね。 少し論がそれたかも知れませんが、すべてに共通するのは「愛」ですね。生かし生かされる愛無くばスポーツも勉強もgooも楽しくないものね。みんな楽しくやろうね。
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- ticky
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>あなたに真剣白刃取りができますか? できませぬ。 私の情報把握能力、及び情報処理能力は、 その速度はたいして速くなく、また、確度も不十分です。 #まだまだ、未熟だからなのかもしれませんし、もっと別の問題で、成長しても、あまり能力は高くならないのかもしれません。 >あなたの必殺技は、なんですか? あればいいのですが、ありませぬ。 私は自分に甘すぎるから成長しない。その結果だと分かっています。 #分かってはいるんだけれど・・・ 質問から離れますが蟷螂やカメレオンは、「知性」を持っているといえるでしょうか。 「知性」とは、人間(だけ)が持つものと定義されている(=多くの人にそう思われている)と思います。 この観点から「知性」をみると、幅広い、様々な、多様なケースに、応用的に対応できるかどうかというのは、「知性」を持っているかどうかに、重要でありましょう。 しかるに、蟷螂や、カメレオンは、人間ほど、適応力が強くはないと思われます。 よって、カメレオンは「知性」を持たないのではないでしょうか。 幅広い様々な問題(晩のおかずを何にするかとか、友人とよい関係を保つとか、新製品を開発するとか、国際紛争を解決するとか・・・etc.)に対処するのが、「知性」の役割だと思います。
お礼
>しかるに、蟷螂や、カメレオンは、人間ほど、適応力が強くはないと思われます。 よって、カメレオンは「知性」を持たないのではないでしょうか。 知性と、順応力、適応力は違うと思われます。 それらは、知性の一端ではあるでしょうが。 カメレオンは知りませんが、蟷螂などの昆虫類で、数億年前からあまり形が変わっていないものもいます。 それだけの長い間の環境変化に耐えてきたということは、ここ数十万年の人類に比べれば、適応能力は比較にできません。人類は、地球の生物進化の中では新種と思われるのであり、生まれて間もないからです。 どれだけ適応能力が人類にあったかは、人類の型が、数億年生残ってみないと、蟷螂などとは比べれないと考えます。 五感を「知覚」というように、知とは幅の広いものであると思われます。 なぜ、「知性」になると、人間に限定的なのかが、不思議に思うところです。 昔釣りをしていたのですが、あれは、魚を騙して釣り上げるのですが、賢い魚というのがやっぱりいて、そういうやつ(主と言うような魚)はなかなか釣れないのです。針に引っかかってからも、逃げ方を心得ているのであり、どうすればいいのかが分かっているように思います。(複雑な地形にもぐりこんだりする。) そして、やはり、まだ成長していない子供の魚などは、すぐ釣れます。 魚を擬人化してしまうのは、愚かしいことかもしれませんが、一理あると思います。逆に、走りの綺麗で早い人は、「カモシカの足」などといわれるように、他の動物にたとえられたりもします。 少し前では、人間は「癌」にたとえられていますが(笑。 蜘蛛なども、ネットを張って虫を取るわけですが、あそこから多く学べるということは、そこに、知性が内在しており、そのほんの欠片を、人間が、学びとるのではないでしょうか? しかし、そういうことよりも、人間の知性の本領と言うのは、何処にあるのか?ということも考えつつ、「必殺技」に、それを見ようとしたのです。それぞれオリジナルの必殺技があれば、かなり楽しいと思います。 ありがとうございました。
- cse_ri2
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>その三回に一回は真剣の白刃をマジに取ったのですか? >それならかなり尊敬します。 >なぜなら、 >あなたは少なくとも、真剣で頭を二回も斬られて、 >いまだ、ここで私にその体験談を語ってくれている >からです。 私はNo.2で竹刀で練習したと書いてあるのですが。 人の意見を全然聞いて(読んで)いませんね。(笑) >私が思うのは、真剣白刃取りは型ではなく、型破りの技 >であり、その練習と言うのは的外れで、真剣白刃取りと >は伝説化している、達人の見せた、只一度の技であるか >もしれないと言うことです。 空論です。 空手の達人で、実際にできる人はいます。 これは武道関係の書物を調べればわかるので、自分で調べて みてください。 >私の見た漫画では、白刃取りをしたのは武道の素人です >が、喧嘩にはめっぽう強いキャラクターで、しかも、 >「スタンド」という、精神力を具現化したもので闘うと >いう漫画です。非常に面白い漫画です。 「ジョジョの奇妙な冒険」でしょう。全巻読んでますよ(笑) 実際にあったことではなくて、マンガの内容まで話題にする ようでは、ますますあなたの意見はますます空論ですね。 >一芸を極めた知性と言うのは、武道であれ、料理であれ、 >イカサマであれ、通じるものはあるでしょうし、素人を >極めた者にも、それはあるでしょう。 言いたいことはなんとなくはわかります。 ただ一芸を極めるのは知性の役割ではありません。 心身統一の境地に達することです。 宮本武蔵が『五輪書』で似たようなことを述べているので、 知性を高めるために勉強してはいかがですか(笑)
補足
>空手の達人で、実際にできる人はいます。 あなたは血なまぐさい世界に住んでいるのですね。 あなたは、竹刀でしたと言ったが、それは、「ごっこ」です。 本で「真剣白刃取りを読んで」、「疑似体験したつもり」でこれをほんとに知ったことにはならないのでしょう?演舞は擬似、もしくは、舞です。 図鑑のクジラを知って、それでクジラのいかほどを知っているのか?その絵なり映像なりと説明から、想像するしかないでしょう? クジラがいるかいないかなど、真剣白刃取りが事実なのかそうでないかなど、 その線引きは言うまでも無く個人の裁量です。 あなたは、「伝説?それは空論だ。私は本で調べてある。それをできる空手家が存在する「らしい」ことを知っている。」 準備をしてやる白刃取りの演舞は、必殺技としての本質を失っている。息子の頭の上のりんごを落とす芸と同じです。体で覚えている。よくある話です。それには、見切っているということが必要です。職人芸に近いものを感じます。 あれらが、実戦にあったとき、知性の総傑出なくして、いかに成立するのか、甚だ疑問です。どうやってそういうふうに言えるのか? 「俺、真剣白刃取りの練習したんだぜ?竹刀で。」 それで、白刃取りのいかほどを知っているのか? だいたい白刃ちゃうやん(笑。 心のどこかに、「竹刀だから」という思いがあるから、それで練習できるのです。それは、想像という空論の上に成り立った、まさに「仮想による練習」なのです。それを様々な角度から様々に積み重ねることで、演舞(仮想)の白刃取りが、できるようにはなりえるでしょう。ごっこで遊んで、真剣では、到底無理だろう。という気持ちは分かります。 しかし、承太郎のスタープラチナが繰り出したあの白刃取りに、必殺技としての真剣白刃取りの意味を感じるのです。そして、二回目に白刃取りをしようとしたときに、それは破られてしまいます(承太郎は頭突きでそれをもかわしましたが)。そしてあの妖刀は言うのです。 「それも、もう覚えたぜ?」 一回勝負とか、そういう話ではないのです。 マジに真剣(マジ)なのです。 おれは、そういう風に、歴代ジョジョの生き様が描かれているあの漫画に、多くを感じてきました。宮本武蔵よりも、達磨よりも、承太郎やブラックジャックに学んできました。 何が違うというのですか?武蔵は実在した? 現代には、武蔵は不在、です。 あなたの心に宮本武蔵の影響が色濃く生きているなら、また別ですが、そういう風にもあまり感じません。 >「ジョジョの奇妙な冒険」でしょう。全巻読んでますよ(笑) そういうところは兄弟ですが、他はかけ離れていますね(笑。 そういうところ(違うところ)が楽しみだ。 記録文字と言うのは、読まなければその内容が分からない。読んでも、自分なりの理解であり、その文字を理解するための言語背景と言うのは、自分のした体験、そして進行形の世界にあるのです。体験は個人的であり、後者は違う。あなたの白刃取りも、俺の白刃取りも、想像、擬似体験であり、生まれたての白刃取りではないのです。なにも、白刃取りができる人に期待して、その知性を尋ねようと質問したのではありません。 真剣白刃取り、それにどのような知性が関わっていると思いますか?という質問です。 対しあなたは、「知性は必要ない。心と体を統一し、無念無想であることが必要だ。」 という意見です。 承太郎のスタープラチナの白刃取りと、女の濡れた帯と、何処に共通した知性があるのか? 必殺技を実現する知性の一端を知りたいのです。 また、その必殺技に、現代を生き生きと生きる秘訣が隠れているように思うのです。 ですから、「あなたの必殺技は何か?」と、聞いているのです。 >心身統一の境地に達することです。 個人差はあれ、心乱れて体乱れる。体乱れて、心乱れる。 心身統一。 元来、心身とは分かれていないものだと、私は思っています。心身が分かれているように思うのは、空想の世界、想像の世界に浸ることができるからです。 空論、大いに結構。それは人間の能力です。それで大いに賢くなれる部分はあります。 現実とは、想像しがたいものであり、そこで繰り出される必殺技に、興味があります。蟷螂や、ツバメは、俺のたずねたいところの必殺技を体得しています。いたちの最後っ屁も、必殺技とみなします。 >ただ一芸を極めるのは知性の役割ではありません。 宮本武蔵の武道には知性が無いのですか? 承太郎の闘いに、知性はあるでしょう? ありがとうございました。 知性は、幅も広いし、奥も深いと思います。
- cse_ri2
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>>私は練習したことがあるから、その経験をもとに語る >>ことができます。 >さっきあなたは語っていたのではなかったのですか? >できないのに、「無念の境地が必要だ」と言ったのは >あなたでしょう。 これは言葉足らずでした。 正確には「完璧には(自分の腕までは)できなかった」と いうことです。 割合にして3回に1回くらいです。 それこそ神経を研ぎ澄ましてその場にのぞまなくては、成功 できませんでした。 もし実戦で使うとしたら、1/3の確立では生き残ることは まずできないので、「できない」と表現したのです。 >そうですか。できなくても、練習しておればいいのですか? >私は、漫画で見たから、真剣白刃取りがどういうものか >想像しています。それを元に、語っています。 >イメージトレーニングはできています(笑。 しょせんイメージトレーニングのレベルでしょう。 神経を研ぎ澄ますという境地が体感できますか? 言葉で書けばNo.4の方の |其のとき一度だけですが「無念無相」という状態を体験 |しました。絶対的な静寂の中に相手と相手の竹刀がまる |でスローモーションの映像のように見えるのです。音は |一切聞こえません。相手の竹刀が目の前数センチのとこ |ろまで迫ったのは覚えています。それから気がついたと |きは勝っていました。 という内容とほぼ同じなのですが。 あなた自身は自分の心でイメージをしているかもしれませんが、 しょせん実体験しない限り空想の産物です。 もちろん考えることは自由なので、あなたが自分の空想を ネタにして自己主張することは、あなたの勝手ですが。 ただ実体験のない武道の意見など、その道に関わった者から みれば、ただの遊びごとにしか見えないのも事実です。 K-1の格闘技を、視聴者が話題にするのと同レベルの議論です。
補足
その三回に一回は真剣の白刃をマジに取ったのですか? それならかなり尊敬します。 なぜなら、 あなたは少なくとも、真剣で頭を二回も斬られて、いまだ、ここで私にその体験談を語ってくれているからです。 私が思うのは、真剣白刃取りは型ではなく、型破りの技であり、その練習と言うのは的外れで、真剣白刃取りとは伝説化している、達人の見せた、只一度の技であるかもしれないと言うことです。 女が、濡れた帯で、相手の剣を絡め取ったようにです。 そういうものに関わる知性を、この質問で考えています。 >K-1の格闘技を、視聴者が話題にするのと同レベルの議論です。 だめですか? これは議論ではなく、補足説明ではありますが。 cse ri2さんは、一見、実力を重んじているようですが、素人と玄人という枠組みでもって、それらを二者に分け、差別的に扱っているのではないですか? 私の見た漫画では、白刃取りをしたのは武道の素人ですが、喧嘩にはめっぽう強いキャラクターで、しかも、「スタンド」という、精神力を具現化したもので闘うという漫画です。非常に面白い漫画です。 一芸を極めた知性と言うのは、武道であれ、料理であれ、イカサマであれ、通じるものはあるでしょうし、素人を極めた者にも、それはあるでしょう。 もしかすると、 素人を極めた者が、一番優れているかもしれませんよ?(笑。
- babuo
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このカテゴリーで助言を賜ったものです。 >哲学をするあなた、あなたに真剣白刃取りができますか? 命のやり取りはできます・・・一度は死のうと決めていましたので・・・。 >そして、哲学を愛でるあなたの必殺技は、なんですか? 必殺技は必要なのでしょうか?必殺というからには仕留めないといけにんですよね?私が未熟な為、未だに必殺技は会得できておりません。 回りくどい回答をしている方は悲しいですね。 一番大切なのは、自分が伝えたい事を質問者に理解してもらう事です。要は、質問者のレベルに合った回答をされてる方が、真の知性を持ち合わせてるのではと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 >必殺技は必要なのでしょうか?必殺というからには仕留めないといけにんですよね? いや、そういうわけではなく、秘儀!いづな落とし!のようなかんじで、白刃取りにしても、相手を倒したわけではないです。見所と言うか、ハイライトショットのような感じです。見所。見せ所。 あなたの必殺技は?↓ あなたの見せ場はどんな感じでしょう? それにあなたの知性はどのように関わっていますか? とも、言い換えれるかもしれません。 それで、例には、真剣白刃取りをだしてあり、他の必殺技はありますか?という感じです。 夜の砂漠を静かに歩く姿などがハイライトになる場合もありますが、現代人には、ハイライトと言えるような見せ場が足りないのではないか?とも、思っています。見たくないものばかり見て、見せれるものを見せれない、そういうジレンマが、現代人の意識に埋もれているように思います。白刃取りは、見世物ではありませんし、空中ブランコも、野球も、その本質は見世物にあるわけではないと思います。 生き生きとしたその姿を、見たいと思えるということです。必殺技とは日常に隠れえるものでもあり、それの発現する場は、日常にあふれていると思うのです。 >一番大切なのは、自分が伝えたい事を質問者に理解してもらう事です。 伝えたい思いがありえるというのは事実でしょうが、本音というのには、レヴェルは存在しないと思います。質問者は、お客さんではないし 回答者も、押し売り業者ではないので。 しのばされた本音を察知できるかというのも、知性の関わるところだと思います。感知する、察知する、感覚する、知覚する、覚悟する、 必殺技は、諸々が合わさり、澄んでいることで、もろもろとして出現し、いつの間にか相手を倒していたり、マトリクス世界で車を切ったり、そういうようなことになるのだと思います。 忙しい、心亡き現代社会とは、端的に、時間が無い、そういう見せ場を得る時間すらも奪われてしまっているのではないか? 昔の話になりますが、小説「モモ」に出てくる時間泥棒は、いたのであり、いまもその末裔がしぶとくいるのだと思います。 話が広がりましたが、。
- BadCompany
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羽生名人の一瞬のひらめきが訪れるまでの間に数時間から数日にわたる思考の連続があると思います。 生物界においても一瞬のハンティングチャンスのために、飲めず食わずで数日間じっとしていることも珍しくないでしょう。 真剣白羽取りの極意は、長年にわたる努力に尽きると思います。どんな生物でも持っている必殺技は、生きるために不断の努力を怠らないことかと。 人間は、食物連鎖の頂点であるがゆえに、怠惰になりがちや。だから、文部省などが生きる力とかほざかにゃならん世の中にある。いま、不景気で弱肉強食の度合いは増してる。自殺者多いのも種として弱まってきているのかもしれん。 しかし、草食動物のような生き方もありかなと思う今日この頃であったりする。
お礼
アドバイスありがとうございます。 >羽生名人の一瞬のひらめきが訪れるまでの間に数時間から数日にわたる思考の連続があると思います。 将棋はあまりしませんが、ひらめきとは、長年に渡り蓄積されてきた情報と、作られてきた思考方法、そして、そのときの集中力が生んでいるのではないかと思っています。 >しかし、草食動物のような生き方もありかなと思う今日この頃であったりする。 雑食の人としては、どちらの生き方も含んでいるのかもしれません。 以前、道端の雑草などを食べれないことを、悔しく思っていたことがありますが、キバ(犬歯)の残る鹿などもいますし、何を食べているかと言うのは、案外、最近あらわれた多様性かもしれません。 ありがとうございました。 >種として弱まってきているのかもしれん。 偏った生活がそうさせているのだろうと思います。 夜に電気、自動車、街、 車や街を使った必殺技と言うのもあるかもしれませんが、どうも、生きるのに馴れ馴れしすぎるような気がします。萎えていると。 草食動物だって、野生のものはその輝きがあります。 現代人は、生命の輝きと言うものを見失っているのではないか?と、思います。 必殺技に、都会人にも甦りえる、生命の輝きの一端を、見るような思いがします。 >真剣白羽取りの極意は、長年にわたる努力に尽きると思います。どんな生物でも持っている必殺技は、生きるために不断の努力を怠らないことかと。 確かに、他生物の必殺技は、何世代、何万世代にわたって真剣に生きてきたことで、獲得してきたものであろうと思います。 白刃取りは、そのように、その人にダイナミックに受け継がれ、更に飛躍した本能的知と、その人のその他知性とのコラボレーションによる必殺技かな?とも思います。 ありがとうございました。
- cse_ri2
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No.2の補足。 >哲学をするあなた、あなたに真剣白刃取りができますか? 私は逆に聞きたい。あなたは真剣白刃取りが出来るのか? 私は練習したことがあるから、その経験をもとに語ることが できます。 しかし、自分でできないのであれば、真剣白刃取りを語る 資格はありません。 哲学どころか、子供の言葉遊びにすぎません。 武道をするのは人ですから、もちろん知性は必要です。 しかしもったいぶった哲学的思考をしなくても、武道はできます。 ただし達人ともなると武道に精神修行を取り入れるので、 哲学的な側面も出てくるのは事実です。 日本人では、宮本武蔵や山岡鉄舟が代表格でしょう。
お礼
>しかし、自分でできないのであれば、真剣白刃取りを語る資格はありません。 さっきあなたは語っていたのではなかったのですか? できないのに、「無念の境地が必要だ」と言ったのはあなたでしょう。 >私は練習したことがあるから、その経験をもとに語ることができます。 そうですか。できなくても、練習しておればいいのですか?私は、漫画で見たから、真剣白刃取りがどういうものか想像しています。それを元に、語っています。イメージトレーニングはできています(笑。 >ただし達人ともなると武道に精神修行を取り入れるので、哲学的な側面も出てくるのは事実です。 私は、素人のときから、精神的なものが多分にあることを感じていました。よく言うように、心技体なのです。これらが、おのおの独立しておるものではなく、複雑に機能しあってアクションしているであろう事は、経験上、明白です。 達人の見せた一瞬の閃く知性、必殺!真剣白刃取り!には大いに知性が関わっていると言うことでよいでしょうか? できるできないに関わらず、それを考察することは可能です。 考察するのに資格を持ち出すのは、意味がよく分かりません。体で覚えるとはどういうことか?などというのは、考察できます。 禅僧だって、少林寺だって、坊主が武道をやっているでしょう。アラビアだって、盗賊は武道をしていたのです。それらの極みの一つである真剣白刃取り。 それに関わっている知性のことを、考えています。 斬岩剣と、石を切る機械。 デジタル、アナログ、 アリゥープ、ホームラン、空中ブランコ、イカサマ師、 人の体とその知性。 ある女性が、川に下りていたときに、剣を持った山賊に襲われました。空手三倍段とはいいますが、その女性は、自分の腰帯を水に浸し、それで山賊と戦ったのです。 闘いにおいて、そういう知性のひらめきが、勝敗を左右することはよく言えます。 また、日々練習していた型、それがそのまま出たとき、そういうときも、威力を発揮するのは事実でしょう。それは、身についていると言うことです。 白刃取りは、そういうものではないと思います。 あれは、型破りなのです。ある種、伝説的なものを感じます。
- cse_ri2
- ベストアンサー率25% (830/3286)
ごめん。ハッキリ言うけど、質問者の認識は間違いです。 剣道やってて仲間と半分冗談で白刃取りの練習をしたことが あるのですが、生半可な練習ではできないことがわかりました。 あなたは竹刀が相手でも、実際に試したことはありますか? 必要なのは「無念」の境地です。 考えていてはダメ。反射神経だけで行動できるようになrないと とても白刃取りはできません。 繰り返しますが、真剣白刃取りをするには知性は不必要です。 心身を鍛えることと、実際に行うときには実戦さながらの 覚悟をもつこと、雑念を払い無念の境地に達することです。 俗に『空手三倍段』といいます。 剣道初段の相手に勝つには、空手では三段くらいの腕前が 必要ということです。(真剣白刃取りは空手の技) 知性うんぬんの前に、武道の勉強と練習が必要でしょう。
お礼
>知性うんぬんの前に、武道の勉強と練習が必要でしょう。 武道の勉強と練習が必要だとしても、その勉強なり練習は知性によるものではないですか? 白刃取りは、「型」ではないと、考えています。 アドバイスありがとうございます。 >繰り返しますが、真剣白刃取りをするには知性は不必要です。 ということは、蟷螂のアタックになんらかの知性を感じないということでいいでしょうか? 蛇拳、蟷螂拳など、演舞でありはすれど、あれは蟷螂を観て感じた達人達の表現であり、また、同時に、子供の真似事であるとも思うのです。 アドバイスありがとうございました。
- H-hoko
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●演武においては 真剣白刃取りは可能でしょうけど 実践に於いてはむずかしいと思います。 戦争の白兵戦に於いては 銃剣とよばれる 硬い刃がつかわれますので 日本刀のように やわらかな刃ならまだしも 無理ですよね。 つまり極意もケースバイケースでしかないわけです。 知性とは人間の知的能力を指します。 知的とは頭脳の働きに関するさまを指します。 一言で知性といっても ソフト対応のもの(ミーム)と ハード対応のもの(脳)があります。 現代哲学において たびたび語られる ミトコンドリアイヴと現代人の知性・理性は おおきく異ならないという見解は 知性・理性というものの本質を脳の働きに 観ているかだと推測いたします。 知識を背景にしたソフト対応の知性というものは 論理にもとづいて思考をすすめることで だれども同じ結論を見出すことができてしまう きわめて機械的な作業ではないでしょうか? わたしの考えでは 知性の本質とは 情報のデータベース化の個性(潜在意識)と 顕在意識におけるデータの扱い方の個性だと 把握しております。 これを達人のレベルでできた人間が 真剣白刃取りなどの妙技を見せるのだと思います。 それは瞬間につむぎだされるその人の キラメク個性にほかなりません。 日本刀で車を切るモーフィアスの姿に わたしは知性をあやつる達人のひとつの姿を観ます・・・。
お礼
銃剣で顔面を突かれそうになったとき、もうよけれない。 そんな時、真剣白歯取り!ということも、あり得ると思っています。 歯で、噛んで、それを止める。 達人。。 >つまり極意もケースバイケースでしかないわけです。 極意であろうが無かろうが、武道も学問も、その発現は全てケースバイケースだと思っています。むしろ、ケースバイケース(本番)で、力を発揮できるか。日々の修行(研究)の中に、それ(本番)を感じれるかが、達人になれるか、練習生で終わるかを分け、生きた知性を得れるかどうかを、すくなからず握っているでしょう。哲学を語るときにも、それは同じようにいえると思います。 真剣白刃取りの練習などは、無いのです。 演舞のあれは、真剣白刃取りではない。おそらく、寸止めを打っているでしょう。 蟷螂の精神はすんでおり、かつ、リアルタイムの情報把握能力に長けており、蟷螂の知性は、あの体そのものであると思います。 真剣白刃取りや、サーカスのブランコ。 バスケのアリゥープ。ホームラン。サーフィンのチューブ、イカサマ師。 人の体、その知性。 >それは瞬間につむぎだされるその人の キラメク個性にほかなりません。 磨きぬかれた豊かなオリジナリティ。現代人の日常に、それが発現される機会というのが、あるか? アイデアを思いつく。それはそうといえるが、真剣白刃取りは、アイデアが即具現しているのであり、ああいう生き方を、可能にするあり方というのは、「いいね。」と、思うのです。 知性と体の合一。 それが、人間の知性を垣間見ることになると思います。 ありがとうございます。
お礼
その経験談を聞いて、かっこいいと、思いました。そのとき、mmkyさんは必殺技を繰り出したのだと思います。武道は面白い。 必殺技とは、ほかならぬその人の総合知の凝縮でもあり、達人は、爆発的なポテンシャル(知性)を内在しており、多種多様なシーンの中で、然るべき機に、然るべき様に、それを発動させれるのでは無かろうかと思います。ある種自動操縦ですが、それはやはり、知性のなせるものだろうと思います。見えていると言うことは、知覚していると言うことです。 質問にもあるとおり、知性とは、またそれが生み出しえるものはずいぶん幅のあるものだと、今は思っているので、他にある必殺技なども知りたいと、思いました。 ありがとうございました。 読んでいて楽しい思いをさせていただきました。