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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:体罰肯定論の限界)
体罰肯定論者の限界とは?
このQ&Aのポイント
- 体罰肯定論によって反発心しか生まれない人間も少なからずいるが、その事実を肯定論はどう乗り越えるのか?
- 体罰によって心変わりする生徒は少なく、怒りの感情が先行することが多い
- 義家弘介氏や原口一博議員のように体罰では更生しなかった人々も存在する
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noname#113465
回答No.1
全ての人に、体罰が有効であるとも、無効であるともいえないと思います。 もちろん、体罰によって反発心しか生まれない人間も少なからずいるわけです。しかし、体罰により更正した人もいるわけです。 体罰否定論では、体罰で救える人も救えなくなってしまいます。 体罰肯定論者は、「言ってもわからないやつ」を体罰の対象にしているわけですから、なんでもかんでも体罰が正しいと言っているわけでは無いと思います。 体罰によって反発心しか生まれない人間には、体罰を行わなければ良いのでは?体罰肯定論者が、誰でもかまわず、どんな場合も体罰を行うと言っているのではないと思います。 体罰を相手やケースかまわず行うのは、明らかな間違いだと思います。
お礼
ありがとうございます。 やっと質問趣旨を把握してしていただけて嬉しい限りです。 おっしゃる通りなんですよ。 しかし、肯定論者のなかには「言っても分からないやつは殴れば良い」と定言的に言う人もいるのです。 あげくが、ちょっと校則に違反した程度で体罰を容認するようなことになってしまっているのです。 >体罰によって反発心しか生まれない人間には、体罰を行わなければ良いのでは? 問題は、それをどうやって事前に把握するのか、ということですよね。 体罰によって人を救えるケースもあるでしょう。 しかし、体罰によらずとも人は改心できると思うのです。 人の言葉の力は一般に思われている以上に大きいと思うのです。 また、体罰は、つまるところ権利侵害ではないか。 というのが、私の持論でもあるわけです。 まあ、「子どもの権利」ってやつですわ。 もっとも、権利を語るうえで子供も大人もないんですがね。 近代になり「子ども」概念が生まれ、子どもは保護の対象として扱われるようになりました。 しかし、その「保護」が行き過ぎて、体罰をも容認するようになってしまった。 だから、その極端を是正しよう、と私は言いたいのですね。 まあ、難しいところではありますが、結局この突っ込みを肯定論者が乗り越えることはないのでしょうか。