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ニート肯定論とニート否定論の論拠を教えてください

ニート肯定論とニート否定論の論争に興味があります。 2004年くらいに「働いたら負け」発言があったりして、いろんな議論が出て、盛り上がったみたいですが、今は多分沈静化して議論も出尽くしたころと思います。 いろいろネットで調べてはみたのですが、どうも議論のまとめ、みたいなものが見つかりません。 そこで、この議論に詳しい方、どのような議論があったのか、まとめていただけると助かります。 よろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

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  • renon2
  • ベストアンサー率29% (23/78)
回答No.3

そもそもニートとは、政府が雇用政策の失敗による失業率の悪化から、国民の目を背けさせるためのスケープゴートとして考案された言葉で、「仕事なんていくらでもある、働こうとしないやつらが悪いんだ!」という世論形成を図ることが狙いでした。結果それは大成功を収めたわけですが、その最大の誘因となったのがマスコミです。ニートという聞きなれない新語は、マスコミによってその原義が歪められ「働く意欲の無い若者」として定着しました(視聴率を稼ぐには、よりセンセーショナルに伝える必要があったのです)。すると今度は厚労省が「対策費」の名目で新たな予算枠を獲得し、さらに文科省も、学力低下につながると反対されていたキャリア教育の導入を「ニート対策」の大儀で断行するに至りました。こうした諸々の権益が入り混じったものが現在のニート論争なわけですが、多くの人はこの事実に気がついていません。私はニートを精神論で語り合うことを否定するつもりはありませんが、少なくともそれは問題の本質を弁えている人にしてほしいと願っています。

reikasuzu
質問者

補足

貴重かつ本質的な情報をありがとうございました!! 政府の金の流れについてはまるで知らなかった!アホな衆愚である私を再発見しました。ありがとうございました!!! ニート議論に乗っかること自体が、官僚同士の権力争いや税金をめぐる権益闘争に巻き込まれることだったんですね。 ただ、問題の本質として、そうした権益闘争が一役買っているにせよ、ニート論争というのは、「働くこと=善」という価値観を巡るものでもあったのではないかと予想します。 個人的にはニートというのは、戦後から続いた一億総ワーカホリック状態に対する反動なのでは、と思っていて、社会の成熟に寄与するスパイスではないかと思っているのですが。

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回答No.5

こんなのやってます。 引きこもり肯定論 http://blog.goo.ne.jp/ailecafard/

参考URL:
http://blog.goo.ne.jp/ailecafard/
  • renon2
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回答No.4

どうでしょうね、私はむしろニートという言葉が登場してから「猫も杓子も働け働け」となったような気がしていますが…。少なくとも昔は家事手伝いなんていうのは受け入れられていたんですが、今はそれさえも怠け者扱いですからね。…それはさておき、ニートを敢えて精神論で語るなら、やはり働かない事を悪とする社会の風潮に抵抗しているのではないかというのが1つあると思いますよ。考えてもみて下さい、失業者が全員、仕事の内容も選べずに働かなくてはならないとなったら、雇用主はやりたい放題です。労働条件は確実に悪化しますし、就職氷河期のような人を人とも思わないような待遇に苦しめられる事は目に見えています。特に現在30歳前後の人たちは、そういう事を肌で体験してきた人たちばかりですから、なおさら警戒しているんだと思いますよ。イデオロギーとかそういうことではなく、自分が生存するための防衛本能が働いているのでしょう…おっと、ここは議論をする場所ではありませんでしたね。私の意見は参考程度に聞き流して下さい…

  • cdsdasds
  • ベストアンサー率52% (114/217)
回答No.2

>一方で「働くことを良しとしない若者がふえている」というのは、実態ではないのですか? 実態ではありません。 内閣府の調査も厚生労働省の調査(定義が変更(追加)されているので、定義の変更前後の数値の増加は定義の追加分を考慮する必要があります)もどちらも氷河期といわれた90年代後半に前後より多いグループがいるのは事実ですが、それを別にすると経年的に増加している事実はありません。むしろ(おそらくは景気回復にともなう就職環境の好転によって)緩やかに減少していると考えていいと思います。(年齢別では若年層で減少が見られます。) また、 >「社会のために働くのは義務でありかつよいことである」というモラルが崩れた 少なくともこのモラルが崩れたとすれば、それはバブル期であってここ数年のことではないです。すでに述べたように内閣府の調査によれば、1992年以降就職を希望しないニートの数はほぼ一定して約40万人で増加しているとはいえないです。 >「がむしゃらに働くのはよいこと」という戦後のモラルに対するアンチテーゼ を主張されるのであればニートの問題ではなく、労働政策的には労働時間や就業体系、非正規労働をどう考えるかというスタンスで考えるべきで、ニートについての議論とはスタンスが違うかと。 また、私見ですが、就職をそもそも希望しない約40万の大半は「家事手伝い」等の実家で生活の面倒を見てもらっている(ひきこもりではなく、家族や地域社会と友好的な関係を築けている)人々で、それが可能なのは富裕層が厳然と存在しているからです。 また、実家での支援を受けている層に次いで多いのは遺産相続等で生活していく上で十分な不労所得を持っている人々であると思われます。(家事手伝いは厚生労働省の調査ではニートになるので、ある程度の推計が可能です) 「家事手伝い」がひきこもりでないというのは、調査員に対してひきこもりのひとが応答しないと思われるからで、ひきこもりとニートは統計上分離して考えるべきです。 結局質問者が問題にしたい若者とはフリーターとか非正規労働に従事している人々の一部ということになると思われます。

reikasuzu
質問者

お礼

素晴らしい回答ありがとうございました。 データに裏付けられた、冷静かつ厳密な論理に感動すら覚えました。 なるほど、労働政策的にはそう考えるべきだと納得いたしました。 ただ私がお聞きしたかったのは、労働政策の部分もそうなのですが、cdsdasdsさんがおっしゃる「実態の伴わないところで感覚だけで述べている議論」の方も含めてなのです。cdsdasdsさんはとてもリアリストであるという印象を受けました。私のほうは、どちらかというと夢想主義者でww「現実」というのは実態のない夢想や思い込み、幻想や欲望や感覚によって解釈されるほかない、という立場です(cdsdasdsさんが「真理」や「現実」といった概念についてどのようにお考えになっているか分かりませんが、私は、歴史的にいって「真理」という概念はキリスト教的、あるいは形而上学的な夢想でできていて、現代の科学、学問全てそうした理想の上に乗っかって成立しているものだと考えます)。そうした解決の見えない形而上学的不毛な議論を捨象した、政治学的、経済学的な現実的視点は、一つの見方だと思いますが、あまり惹かれません。むしろ、「社会のモラル」や「社会にとっての真理」などという、理想主義的、プラトン的な、たわけた文学的哲学的視点での議論の方に関心がありますww。そうした視点からニートの議論はいかに問題となったのかな、とお聞きしたかったのです。(ご指摘の通り、労働政策的には私の問いは誤った問いの立て方で、否定も肯定もされるべきものではないですが、「社会のモラル」的な観点からは、否定か肯定されるべきものだと考えます。ご指摘の通り、ニートそして労働政策とは、こうした社会のモラルというものを暗黙の前提としていると思っています) いずれにせよ丁寧な回答ありがとうございました。大変勉強になりました。

  • cdsdasds
  • ベストアンサー率52% (114/217)
回答No.1

まず確認ですが、 日本におけるニートの定義は 厚生労働省「非労働力人口のうち、年齢15歳〜34歳、通学・家事もしていない者」 内閣府「高校や大学などの学校及び予備校・専修学校などに通学しておらず、配偶者のいない独身者であり、ふだん収入を伴う仕事をしていない15歳以上 34歳以下の個人」 です。 巷間言われる「働く意欲の無い若者」のことではありません。 マスコミ等によってかなりステレオタイプ的に作られた議論がありますが、実態を反映していないのでこうした議論には意味は無いです。 ニートとは労働政策上の用語で、つまり、教育機関に所属しているわけでも、職業訓練を受けているわけでもない若者で働いていない人というだけのことですから、別に肯定とか否定とかすべきものではありません。そういう人は15年前にもいましたし、今もいますし、15年後にもいるのです。 ただ、15年前はバブル絶頂期で人手不足の時代ですから、その総数は67万程度でしたが、長引く不景気と就職難のため1990年代後半に就職できなかっった人々の存在によりその数が増加し一時は将来的に100万を超えるとまで予測されたのですが、現在ではバブル期程度の水準に減少しつつあり、長期的にはある一定水準以下になると考えられています。 ニートを就職を希望しながら求職活動をしない人とそもそも就職を希望しない人に分けた内閣府の統計によれば、就職を希望しない人は年によらず一定数いるのに対して、就職を希望しながら求職活動をしない人が増加しており、こうした人々はいわば正規の就職をあきらめた(あるいはあきらめざるを得なかった)人々であるということなので、こうした人々を就職できるような環境の整備が必要であるとする議論が政府でもなされています。 ただ、特に90年代後半に増加したこうした正規就職をあきらめた層については、その相当数が就職することなく高齢化しつつあると考えられており、この層の高齢化の状況については将来的的な問題と思われています。 また、就職をあきらめるという行動の裏には、日本特有の新卒の就職が圧倒的で、転職市場が十分でなく、新卒と転職者の扱いに大きな差があることがあげられており、これについても検討がなされています(杉村太蔵衆議院議員が新卒採用が無くなればニートはなくなるといっていたやつですね)。 ニートに関する議論はいずれにしろ日本固有の議論であり、かつ、労働政策的な議論としては、格差社会、ワーキングプア、非正規労働力へのシフトといった問題の一部として議論される部分が多いので、沈静化しているように見えるのであろうと思います。 質問者がいっているニート肯定論(働いたら負け)とかニート否定論(その気になれば、いくらでも仕事はあるはずなのに働こうとしない)というのは無知のためかか、あえてそうしているのかともかく現実の実態を見ずに「働くことを良しとしない社会に寄生している若者がいる」というモデルを作って、それが新しい若者の動きであるかのように議論しているところに無理があるので、長期的に議論を重ねることができず、自然消滅することとなったのです。 こうした夢想的議論は、マスコミ等の追い風を受けると何か時代の先端を行くような議論のように持ち上げられますが、実体の無いところを感覚だけで述べているような底の浅い議論ですから、結局まとめることも付き合うことも無意味です。 そういう言葉あったよね。と10年ぐらいあとに盛り上がるのが正しい付き合い方かと思います。

reikasuzu
質問者

補足

丁寧な回答ありがとうございました。政府によるニートの公式定義がある、という基本的事実すら知りませんでしたw勉強になりました。 ただ、最後の方のお話がいまいちぴんときません。たしかにマスコミは面白半分に誇張したのでしょうけれど、一方で「働くことを良しとしない若者がふえている」というのは、実態ではないのですか?(反論ではなく、純粋な疑問です。別に何かのデータを見て言っているわけではないので)。つまり、戦後の混乱期、働かずして生きていくことが不可能だった社会から、豊かな社会になって、戦後を支えてきた「社会のために働くのは義務でありかつよいことである」というモラルが崩れた、という話の流れは実情に沿うものではないか、と思っていたのですが。 私自身は、ニート肯定論というのは「がむしゃらに働くのはよいこと」という戦後のモラルに対するアンチテーゼという側面もあると思っていたんですが、どうなのでしょうか。

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