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作品中に「文学論」が展開される
源氏物語の中に、「文学論」?というか、物語への付き合い方のような議論が追及される段があると聞きました。 私は、菊池寛の「真珠夫人」の中で、大衆小説V.S純粋小説の議論が、登場人物の中で展開される章があるのを知りました。 ほかにそういう例はあるでしょうか?
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ギャルソンさん、こんにちは。 古い方では、『蜻蛉日記』、『更級日記』に物語への論及が認められます。 作者は、かつて物語を読んだことが自分の人生にどういう影響を及ぼしているか、について反省的に捉えようとしています。 『ドン・キホーテ』、『ボヴァリー夫人』も物語によって人生を狂わされた主人公を描いていますが、これは、とりもなおさずこれらの小説が作者による一種の物語批評をモチーフにしているということでもあります。 小説とは何か? 小説を書くとはどういうことか? という作者の問題意識がモロに出ている小説となると、アンドレ・ジッド『贋金つくり』、三島由紀夫『禁色』がその典型例だと思います。 なお、アルベール・チボーデという批評家は、優れた物語・小説というものは必ず何らかの意味で前代の小説批評というモチーフを内在させていると説きましたが、「なるほど!」と大いに頷かされました。
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- ultraCS
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回答No.1
中井英夫「虚無への供物」などは、そんな感じだったような(30年以上前に読んだので記憶が怪しいです)