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松本たかしの「真つ白き障子の中に春を待つ」についての質問です。
松本たかしの「真つ白き障子の中に春を待つ」についての質問です。 学校でこの句について調べてくる、という宿題が出されました。 分からないところがあるので教えてください!! (1)松本たかしとはどういう人物なんですか? (2)この句の大意はなんですか? (3)この句の背景とは? (4)この句の特徴はなんですか? (5)この句のいいところを教えてください。 一気にたくさんの質問、すいません。 できるだけ詳しく教えてください!! お願いします!!
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俳句は、一般に、読む人が自由に想像を膨らませていいものです。したがって、いろいろな答えがありえます。むしろ、それが作者の期待するところでもありましょう。 私は、病弱な人が春を待ち望んでいる情景を想像します。 「白い障子」は、朝晩でなく日中を思わせます。作者は、たぶん病床に寝ていて、どこまで春が近づいたのかを知りたがっています。健康な人なら、自分で障子を開ければ、すぐに外界のようすが見えるはずです。作者は、さほど重い病気ではないが、サッと布団から出てみるほどの気力もない、というところでしょう。 「白い障子」は直射日光が当たっているでもなく、しかし十分に明るいのでしょう。つまり、外は雪景色ではないかと想像されます。
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- te12889
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3番さんに1票。 基本的に根暗な私としては、「春を待つ=冬=暗い・つらい」という観念が強くて、「真っ白=新しい」「春=新年・初春」というところに思い至りませんでした。 明るいイメージの句なのに、対極的な暗いイメージを抱いてしまいました。
補足
te12889さん、ありがとうございました!! 私も最初は「なんだか暗い句だなぁ」と思っていました。 しかし、大意を聞いてみると思っていたより明るい句なんだ、と思いました。
この句のポイントは「真つ白き障子」です。 反対の白くない障子とはどういう障子でしょうか。 障子を何年も張り替えずに放っておくと、紙が日焼けし、埃が付いて薄黒くなります。 また、桟にも埃が積もって見るからに不潔です。 昔は、普通のキチンとしたお家は、年末になると(12月13日がすす払いの日で一般的)、竹竿の先に藁を付けたハタキ状のもので、家の煤を払ったり、畳を上げて埃を叩き出したり、家の隅々まで雑巾をかけたりして大掃除をしました。 家中総出の大作業です。 仕上げに障子をすべて張り替えます。 こうした大作業がやっと終わり、障子を張り替えた部屋の中央に座って、ほっと一服したときの心境を詠んだ句でしょう。 これで、すがすがしい気持ちで春(新年)を迎えられるわけです。 「真つ白き障子」がそのすがすがしさを上手に表現しています。 この大掃除の経験をした者にはよくわかります。 今の若い世代の人は、このような年末の大掃除の経験はないと思います。 質問者さんのお爺さんやお婆さんなど、70~80歳以上の方に聞いてみてください。
お礼
OKWavejcomさん、回答ありがとうございます!! 『質問者さんのお爺さんやお婆さんなど、70~80歳以上の方に聞いてみてください。』 >ハイ!一度聞いてみたいと思います。
- te12889
- ベストアンサー率36% (715/1959)
(1) 明治39年、東京都出身の俳人。あとは、ウィキペデイアなどでどうぞ。 (2) 「春への期待、憧憬」かな? あるいは「若さ・健康への憧憬」? (3) 「厳冬期の和室」かな? あるいは「厳冬期の病床」とか? (4) 技術的なところは、パス。 (5) 障子紙が白いのはあたりまえ。その障子紙の向こう側にあるであろう雪景色の情景までもイメージさせるところ。 ・・・以上、個人的見解でした。無責任な回答ですので、そこのところご了承願います。 この俳句をそのままキーワードにして検索すると、いいネタが拾えると思いますよ。 宿題のアシストですので、このくらいにしときます。
お礼
te12889さん、ありがとうございました!! 参考にさせていただきます。 ちゃんと調べもせずに質問してすいませんでした。
お礼
Ishiwaraさん、ありがとうございました!! とっても詳しく書かれてあって分かりやすかったです。 『「白い障子」は直射日光が当たっているでもなく、しかし十分に明るいのでしょう。つまり、外は雪景色ではないかと想像されます。』 のところはなるほど、と思いました!!