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価値システムとしての宗教

宗教は価値のシステムだと思うのですが、これをもう少し うまく説明できないでしょうか? 僕がいう価値システムとは、価値の生成装置のようなもので それは、ある一定の洗練された価値観で成り立っています。 人はこれに自らの存在をゆだねることにより、同じように 洗練されていくということです。 上記の説明はわかりにくいと思います。 もう少しわかりやすく説明していただけないでしょうか? 宜しくお願いします。

みんなの回答

  • myeyesonly
  • ベストアンサー率36% (3818/10368)
回答No.2

こんにちは。>洗練され・・・の部分が余分かな?と思います。 洗練よりは、特定の価値観でしょうね。 洗練されているかどうかは、不明ですし・・・(爆) 私なら、生成装置ではなく、一つの価値観のシステム体系みたいなもの・・・とでもするかな。

Evianus
質問者

お礼

うーん。 大企業ってありますよね。 仕事の仕方は洗練されているといわれます。 私は、長く生き延びてきた宗教の思想も洗練されていると 思います。長い時代の変遷にも耐えてきたのですから。 ちがうかな? (今のところ僕は無宗教[日本無宗教教かな?]ですが。。。)

noname#5186
noname#5186
回答No.1

>価値の生成装置・・・例えば製造工場が最も分かり易いと思います。生産活動は最も単純な価値のシステムですよね?>人はこれに自らの存在をゆだねることにより、同じように 洗練されていくということです・・・工場で生産される製品が価値であるとすれば、宗教が作り出す価値とは、何でしょう?それは一言で言えば、価値観、だと思います。宗教は価値観に一定のベクトルをもたらします。製品が製造工程上で除除に洗練されてゆく過程は、信仰者が除除に洗脳されてゆく過程とたぶん似ているのだろうと思います。  こんな感じではどうでしょうか?ちょっと反信仰の立場になってしまったようですが、まずいかな?

Evianus
質問者

お礼

僕は今のところ無宗教です。そして、今後もいかなる 宗教に入信することはないでしょう。 しかし、最近宗教の重要性を感じてきました。私たちは 何かを基にして価値判断をしています。しかし、無宗教 の場合それはとても貧弱なものだと思います。 宗教に入信している人は、その宗教独自の洗練された 価値システムの中に組み込まれていて、それらの磐石なる 土台の基でなされる価値判断はとても強固なものだと 思います。 私たち日本人は、宗教というと無批判に毛嫌いする傾向 がありますが、諸外国ではタイ・モンゴルの仏教、インドネシア のイスラム教など国民のほぼすべてが信仰している ものもあります。私たちは彼らを受け入れることが できるのに、どうして自国民の宗教家を受け入れることが できないのか。それとも、僕がそう思っているだけで、 ほとんどの人は受け入れているのでしょうか? 私は、筋の通った考えを持っている宗教家は尊敬に 値すると思います。 なんだかまとまりの無い回答ですいませんでした。

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