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宗教なんて趣味でやってる自己満足じゃない?
- 宗教は趣味の一環であり、自己満足を追求していると言えるのではないでしょうか。
- 宗教には価値観や信仰があり、それを他者に押しつける傾向があるようです。
- また、宗教の存在意義については様々な意見があります。
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質問者が選んだベストアンサー
お疲れ様です。家族が宗教に憑かれていると大変ですよね。 私の学生時代のクラスメイトは、毎日、早朝に登校していました。 母親が新興宗教にハマっており、毎朝、高笑いの声で目覚めることが苦痛で、母親が起床するより先に、姉と一緒に家を飛び出ていたそうです。 今の日本では、「信仰の自由」が保障されていますが、それはあくまで、「日本には、『国教』として確立された宗教など存在しませんよ」と謳った条文に過ぎないと自分は考えています。 私自身は、信仰はしていません。 その理由は、「宗教」の存在を否定するからでも、軽んじたいからでもありません。むしろ、逆です。 私は、宗教の存在を怖れています。 質問者様と同じく、強い信仰心を持つ人間を身近で見てきたせいか、特定の宗教に依存している人は、ある程度、外見で推察できるようになったからこそ、「宗教の底知れぬ影響力を侮るなかれ」と考えるのです。 質問者様や私のように、「信仰しない主義」を貫く日本国民は少なくないかも知れませんが、残念なことに、それぞれの家系に「家紋」が存在するのと同様、それぞれの家系に「帰属する宗教」は存在します。 人生最後のセレモニーとされる葬儀の場面で、それが浮き彫りになりますね。 我々生きている人間には、死後の世界のことなど解りません。 だからこそ、質問者様のご尊父は、自身が信じ愛した宗派に見送られ、自身が信じ愛した存在の許へ召されることを望み、信仰にすがりついておられるのかも知れませんね。 宗派問わず、信仰心の強い人は、我々人間が忌み嫌う「死」を不思議と怖れていない点で、共通していますから。 私自身は、どこの誰とも判らない宗派に見送られ、どこの誰とも判らない存在の許へ召されるなんて、まっぴら御免です。 だから、「何でもかんでも、うかつに信仰していい自由」が横行する日本社会を、非常に危ういと、私は考えます。 そして、同時に、「何でもかんでも、うかつに信仰しない自由」も保障されて然るべきだと。 しかし、「何でもかんでも、うかつに信仰しない自由」は保障されないのが、日本社会の現状です。 前述したように、それぞれの家系には、帰属すべき宗派があらかじめ定められていますし、人生最後のセレモニーのみならず、冠婚葬祭の場面には、大抵、何らかの「宗教」が付き物です。 そうした「無責任な宗派」に振り回され、親子間でさえも、交流の断絶が生じてしまう世の中なら、いっそ、我が国の憲法にも、国教としての宗教を制定させ、「信仰」の統一化を図ればと、ヤケ気味に考えてしまう自分がいます。 もっとも、某宗教政党は、そうした野望を背景に、寝食を忘れるほどの熱烈な選挙活動に取り組んでいるらしいですけどね。 憲法96条の改正は、彼らには願ったり叶ったりの政策かも知れません。 子どもの頃から、あらゆる宗派からあらゆる入信の勧誘を受けた影響で、私は現在、筋金入りの「宗教アレルギー」を患っています。 特に霊感が強いわけではありませんが、宗派、そして、それに付随する「人の念」が集中する場所や物に触れると、気分が悪くなります。 神社、仏閣、寺院、教会、御守り、十字架、パワーストーン…すべて生理的に受け付けられません。 観光案内で「宗教」が絡むスポットを紹介されそうになると、理由を付けて断ります。 冠婚葬祭は拒めませんが、参加した後は、いつも体調不良に陥ります。 「宗教」が絡むグッズは、その場では(贈ってくれる先方の気持ちを否定したくないので)受け取りますが、利用はせず、後日、処分しています。 自分がこうした特異体質だから、(宗教に)過敏になり過ぎなのでしょうけれど、「信仰の自由」の名目をいいことに、今の日本は、あまりにも「宗教」を軽々しく扱い過ぎだと、私は考えます。 質問者の「信仰しない宗教の御守りは迷惑」という思考、大多数の人は否定的でしょうけれど、私は至極妥当なように感じます。 こういう風に、「宗教」を真剣に深刻に受けとめる人が増えてくれないかなと、私は思います。 どこの世界に、我が親の「子を思慕する気持ち」を、敢えて否定したい子どもがいるでしょう? 誰だって、「お父さん、私のために、ありがとう」と、子どもらしく無邪気に感謝感激したいはずです。 質問者様は、ご尊父の「信仰という名の奇行」に、苛まれたくないだけ。 ご尊父からの愛情や誠意が、理解できない質問者様じゃない。 「ごく普通の子ども」らしく、親の想いを受けとめ甘えたい願いを、「人を幸せにするはずの宗教」が阻んでいる。 質問者様の苦悩は、それを経験した人同士でないと、なかなか分かち合えないものなのかも知れませんね。
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あの・・・言っていることが矛盾していると思うのですが・・・。 >私は宗教が大嫌いです。 >父の姿を見てると宗教に振り回されてるのってどうなんだろうかと思ってしまいます。 >宗教やってる人はどうして考えや価値観を押しつけたがるのでしょうか。 >そして自分の宗派が一番だと思い込んでいます。 >ほんとどうかしてますよ。 >私が精神的に落ち込んでる時、父は私にお守りを持たせました。 >私のためと思ってもありがた迷惑です。 >正直いらないと思いました。 宗教に振り回されるな、宗教を押し付けるなと言いながら、無神論と言う思想を押し付けるのはありなのでしょうか。 それはただの独善ではありませんか?「無神論と言う名の宗派」が一番であるのですか。 私の考えでは宗教も無宗教もただの思想だと思います。 思想である宗教の存在意義は「人間は何故ものを考えるのか」と言っているようなもので難しい問いですね。
お礼
あなたはわかっていない。 宗教がいかに他人の人生を振り回すか。 宗教なんてものはこの世にいらないんだよ。
- hyakkinman
- ベストアンサー率16% (738/4426)
宗教は、私たちが人間らしく生きるために、先人たちが説いた教えにすぎません。 学校で教える道徳みたいなものです。 それを、自分たちだけが正しいと盲信し、洗脳されてしまうところに、大きな間違いがあります。 宗教の違いだけで戦争をしてしまうほど愚かな生き物が、人間です。 祈れば叶うと勘違いして、武器を持った殺し合いをしたり、言葉の暴力(他人への押し付けなど)をふるう人間たちは、宗教など捨てるべきです。
- 5S6
- ベストアンサー率29% (675/2291)
自己満足ではなく、心の支えなのです。 私も信仰心はありませんよ。 悪いことをしている人はたくさんいるのに、なんで神様はバチを当てないの? とか素朴な疑問です。 でもこんな質問すると、なんか宗教信じているの?とか質問自体を否定というか、 あまえ頭やばいんじゃね?となりますよね。 悪いことをすると、逮捕されるかもしません。 でも逮捕されない人もたくさんいます。そもそも悪いことって何? 法律がすべてなの?いやそうじゃないよ・・・と議論する気はありません。 心の支えというのは、リラックス、安心です。 宗教に強くはまっている人から勧誘を受けたことがきっかけでしょう。 他にも先祖代々で、子供の頃から洗脳(教育)されたという人もいるでしょう。 なんというか、信じていると言うよりは社会に見捨てられていて、ほかに頼るものがないから。 って感じでしたよ。その人は。定時制高校を出て肉体労働みたいなことをしていました。 小学校時代はよく遊んだ人でしたがまさかそうなっているとは思いませんでしたね。 大人になってから考えてみると、その人は仲のいい友人でしたが家は貧乏でした。 当時はまだ自分で働くとか知らないし、金を使うとしても親にもらった100円、200円の世界。 1000円なら大金でした。 ちょっと小さな借家でしたが、別にそれで貧乏だとか、大きな家に住んでいるから金持ちだ。 とかは思いませんでしたけど、大人になるとああ親の給料は知らないけどたくさん寄付してたのかな? と思いますよ。 あとは金持ち、社会的地位のある人もでもいます。 病気が治らない。病院はいくつか行ったがちっょと現代の医学では回復が難しいようだ。 宗教なんて信じていなかったが、ちょっとしたきっかけでやってみたら治った。 という場合です。この場合医学的には宗教、信仰心で治ったとは言えませんが 病は気から・・・というか、本人が回復する気力もないなら治りにくい。 リハビリも本人のやる気次第。というのもあります。 まあ信じる信じないは自由ですが、日本の場合宗教は金がかかります。 高額の寄付、お布施をすると幸せになれる。 生まれ変わった人生も幸せ。 ・・・もちろんこんなの嘘だと思いますが、なにもないところから宇宙が誕生し、 地球ができて生命ができて、今では食事もこんなに豊かでスマホもある。のはどうして? 江戸時代の生活などは多少歴史で学んでも、それが本当かどうかは実際わからないし それより大昔の記録は猿だったとか、その程度に過ぎませんから。 宗教の始まりは科学の発達してないころ、カレンダーとかもまだないころ。 例えば日食などは、天変地異だと思うでしょう。 突然の雷雨。天気予報で今は予測できますが、まだ発達してなければ神がお怒りになっている! などと言えば説得力抜群でしょう。 生け贄でも捧げて、解決すれば、その人は神のお告げを聞いた神官や代理者だと思ってもおかしくありません。 当時は否定する理由、証拠もないですからね。 これの亜種というか振り込め詐欺みたいに、信じる者を騙して儲ける人がいるから日本では悪く思われます。 ---------------------------------------------- あと世界的に見ると宗教は当たり前で、逆に信じない方がおかしいみたいですね。 アメリカでもいろいろ宗教ありますが、若い世代(20代)は信じない人も3割とかいるそうです。 こんな時代でも信じる方が多いみたいです。 信じない国は旧社会主義国です。 日本は現在でも実際は社会主義なので信じない人のほうが強いみたいですね。 繰り替えしますが私も信じません。
- kolon_
- ベストアンサー率0% (0/2)
ただの個人的な見解ですが、 宗教なんて趣味でやってる自己満足じゃないですか? ただの個人的な自己満足です。 父の姿を見てると宗教に振り回されてるのってどうなんだろうかと思ってしまいます。 本当は、振り回せれているは、良くないと思います。 でも、父が入信してる宗教は私から見たら霊感商法と変わらない気がします。 それが本当に、霊感商法なら、それは止めさせたほうがいいです。 宗教やってる人はどうして考えや価値観を押しつけたがるのでしょうか。 自分の価値観を、他人に押し付けるのは、良くないと思います。 父がそういうのを押し付けてきたら、自分はいらないって、ちゃんと言ったほうがいいを思います。 そして自分の宗派が一番だと思い込んでいます。 本当に、宗教を愛してたら、自分のとこ一番なんて、思わないはずですが。。 私のためと思ってもありがた迷惑です。 本当に迷惑なら、断っておくのが、無難かと。。 あなたはどうしてこの世に宗教なんて存在するのだと思いますか 宗教を、みんな、必要としてるからです。
お礼
本当に、宗教を愛してたら、自分のとこ一番なんて、思わないはずですが。。 いえ、愛してるからこそ一番だと思うのですよ。
- berntakii
- ベストアンサー率12% (117/957)
>>宗教なんて趣味の自己満足だとは思いませんか? 困ったときに頼るものですから、趣味という心に余裕のある人のものではないと思います。 自分の価値観や考え方、自分の置かれた立場や環境などいろんな要素を踏まえて自分で選ぶ道ですから、 他人に勧めずに「自己満足」で完結すべきものです。 >>あなたはどうしてこの世に宗教なんて存在するのだと思いますか? 宗教というのは何も組織化された教団、という形でだけ存在するものでもなく、 ちょっと古臭い言い方ですけど「お天道様が見ている」というのもそうだと思いますし、 先人の残した名言に心を打たれて、自分自身を見つめ直すことができた、というのも一つの形だと僕は考えています。 悩んだり迷ったりする人がいる限り宗教は存在しますが、教団に入る必要はありません。
>あなたはどうしてこの世に宗教なんて存在するのだと思いますか? 住んでる世界が狭いと「地図」はあたまのなかにはいっていますよね。 ところが知らない世界に入っていくと地図がほしくなります。 宗教は地図のようなもの。べつに何々教の教えでなくても、サイコロやコイントスで決めてもそれは「宗教」。自分の選択に迷うことはいくつもあるし、決めかねること、どっちに決めてもかわらないことがこの世に多いから、人はオートマチックに生きていきたくて宗教を選ぶのです。
- kyo-mogu
- ベストアンサー率22% (3398/15358)
私も宗教は嫌いですが、宗教をまず知ることからです。それから考えないと自己満足とか言えません。 元々、人間は考える知恵を持っていることで、多くの疑問を感じて居ます。その時に、死を理解出来る生き物であったこと。死とは何か。また自然などの驚異はなんだろうかという疑問。そういった科学的な疑問も含めて考えた答えが、宗教だと思います。世界には原始的な宗教などもあります。 宗教は法律でもあり、科学でもあり、心のよりどころでもあります。しかし、次第に人が神となり、人の言葉を神の言葉とした事から、今の宗教の形になっていったと私は思って居ます。 目に見えるのもに対して、今の科学が対応出来ました。しかし精神的な部分はまだまだ分からない事だらけです。そもそも何故考える事が出来るのか?疑問に感じませんか?新しい発想はどこから? ここで、宗教がある意味答えを導いてくれるのです。今は科学と宗教が分離していますが、思考によって科学的に近い答えを出してきています。また、どうすれば人として生きていけば良いのかなど。 社会のルールとしての物もあります。 基本的に宗教は感謝するためのものだと思いますが、昨今の新興宗教の活動が集金を目的として、また信者とよばれる、盲目に信じるだけの人々が増えたことも問題ですね。本当は元の教えから何を学び取るかが大切なんですがね。これが無い。だから宗教はおかしな事に成っています。 私は宗教は杖と考えて居ます。人は弱いから倒れないように杖を持つ。しかし杖ばかりでは自分の足では歩く力が弱まるので、安心感としても杖が宗教。本当に必要だと思った時に宗教の力、言葉の力かなを借ります。でも、立ち直れば、また自分の足で歩くべきだと。 でも、人は元気なときには自分で進むことができる。しかし、弱ったとき、困難に成ったときに、宗教を意識する物です。 私自身神や仏を信じて居ます。ただ見守ってくれるだけの存在ですが。それだけでも安心感を得ますからね。また見ていると言う状態は悪事も出来ないでしょう。だから信じる事にしています。 宗教を知るには原始的な宗教観を知ることかな。日本の神道などが参考に成るかな。山や岩などをご神体としてあがめるように。富士山もそういった意味ではご神体でもありますね。 それと、数々の行事なども宗教と言えば宗教なんですよね。端午の節句でお祝いすることも、初詣もそうですね。 それと、自分の宗派が一番と思うのは、考え方として、あなたの仲のいい友人達の決まりがありますね。他のグループがあって、それに対して批判とかしないかな?それと同じなんですよ。政党などの人が集まることで、共通のルールが生まれ、別のグループを批判するのです。みんな自分達の考えが正しいと思うからですよ。
- Torasiba
- ベストアンサー率66% (4/6)
よく世界では信仰があるのが当たり前とか言われていますよね。 私も実際外国の人と話したとき 「人が猿から進化したなんて本気で思ってるの?」 と言われたときには気絶しそうになりましたw 大震災も神様信じてないから起きた(ある意味バチがあたった) と本気で信じてる人もいますからね。 一人や二人ならともかく、こういう人がいるわいるわ、ほんとびっくりします。 実際友人は、アメリカのある州(どこか忘れました;;)で、 「人間がアダムとイヴから生まれたわけないだろ」と、喫茶店で話してたら なんか州法に違反したらしく(は??ってかんじですが) 保安官に捕まってしまって、両親が渡米したり弁護士を呼んだり 大変な騒動になってましたよ。 世界の常識っていくら言われても、実態がこれじゃ・・・。 宗教には神秘的な魅力って確かにあるとは思います。 私も神社や宗教的な遺跡などは、なんだか神々しい魅力は感じますから。 でもそれは魅力の一つであって、信じる対象じゃないですよねw 科学的な物の理解が、技術的に難しい時代には本当に救いだったと思います。 そして、他者を敬ったりする教えなどがとても道徳的で、人道的だったと思います。 でも宗教信じてなくても現代には科学があって、それは学問と同じです。 学問だから実験とデータと試行錯誤により世界の真理を解明していけるんです。 思いやりや他者を敬うことも信仰とは直接関係ないことも明白です。 無神論者は家族を大事にしないんですか?いやいやしますよね。 現代はもう宗教というものを1歩2歩、、、 10歩ぐらい下がって見つめるものだと思います。 殆どの場合、宗教は教祖や幹部の私利私欲を満たす道具ですし 今の時代にとりわけ宗教でなければ救えないモノなどありません。 害のほうが多いです。 そして宗教の理論なんて初めから崩壊した理屈ばっかりです。 私は宗教という文化を理解はしますが、信じる対象には到底なり得ません。 たとえ世界の常識であってもです。 もう人間はそろそろ宗教の縛りから卒業する思考に移行すべきだと思います。 長文失礼しました。
お礼
回答ありがとうございました。
- Devil-Ear
- ベストアンサー率21% (738/3448)
趣味なんて全部自己満足じゃんw 押し付けるのが嫌って言ってるけど、否定している貴方も押し付けようとしてるんじゃないの? >あなたはどうしてこの世に宗教なんて存在するのだと思いますか? 必要な人が居るからでしょ。 まあ、ほっときゃ良いじゃんw 迷惑なら家を出れば?
お礼
こっちの家庭の事情も知らないで易々と家を出ろと言わないで下さい。
- B-juggler
- ベストアンサー率30% (488/1596)
割と敬虔な仏教徒、曹洞宗・代数学の元非常勤講師(o`・ω・)ゞデシ!! 現人神じゃないだろうね! だったらすぐにでも辞めさせることだよ。 それは宗教じゃないのだから。 主意。 去年家の婆さんが死んだ。89かな。大往生だよ。 49日、初盆、1周忌、まで終わったかな? この前の法事だから、1周忌かな。 和尚がこういいました。 「ご安心さまでした」 これでようやく分かったよ、σ(・・*)も。 ご先祖大事、まずこれ。次に生きているσ(・・*)たちが、いずれ死ぬ。 そのときにちゃんと供養してもらえることを見られる。 それと、やっぱり気にはかかる。ばぁさんいないんだ~。 はっきりさせるというのもおかしいけれど、もう一年なんだ! って、理解できるわけ。諦められる。 そういうのが多分全部ひっくるまって「ご安心様」なんだと思う。 そりゃそうだよ、死んだ後の世界なんて、σ(・・*)たちは分からない。 坊さんだって分からんよ~。 怖いんだよ、死ぬことはね。 だから、ともらう。それでσ(・・*)たちもこうしてもらえると思う。 そこで安心するんだと思う。 広い意味でいえば自己満足だと思う。 ちょっと限定すると、「精神の保険」だとおもう。 そういう意味では、一神教よりも、八百万の国でよかったのかもしれないね。 ヾ(@⌒ー⌒@)ノ イマジン 聞いておく? http://www.youtube.com/watch?v=XLgYAHHkPFs&feature=fvwrel (=^. .^=) m(_ _)m (=^. .^=)
お礼
回答ありがとうございました。
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お礼
大変、貴重なご意見ありがとうございました。 ほんとその通りです。