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アブ・シンベル神殿について、
ラメセス2世のアブ・シンベル神殿には一年に2回朝日が神殿の奥まで届く様になっていると聞きました。1年に二度と言うので春分の日と秋分の日と思いましたが吉村作治先生監修の「ラメセス2世」創元社にははっきりと書いてありませんでした。もし詳しく知っている方がいらっしゃいましたら是非教えて下さる様宜しくお願いします。
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アブシンベル Ab・Simbel ナイル川をアスワンから南へ280kmほどさかのぼった河岸の断崖にきざまれた古代エジプトの大小2つの岩窟(がんくつ)神殿遺跡。前1250年ごろにラメセス2世によってつくられた7つの神殿のうちの2つ。もともと遺跡があったヌビア地方がアスワン・ハイ・ダムの建設によって水没することになったため、ユネスコの援助で1964~68年、両神殿をナイル川より64m高い場所に解体・移築した。 大神殿の正面にはラメセス2世の4体の椅座(いざ)像があり、それぞれ高さは20mをこえる。その内部は55m以上の奥行きがあり、大広間と小室が中央の聖室へとつづく。この神殿にはラメセス2世自身と、ヘリオポリス、メンフィス、テーベの主神であるラー、プタハ、アメンの3神をまつっている。聖壇は東向きで、春分と秋分の日に日の出の光が奥の聖室にあるこれらの像をてらすよう設計されている。 北へ200mはなれた小神殿には、王妃ネフェルタリと女神ハトホルがまつられ、正面には高さ10mほどの王と、ハトホルをかたどった王妃の立像6体がほられている。 大神殿には数多くの碑文やレリーフがあり、エジプトのラメセス2世軍とヒッタイト軍がたたかったカデシュの戦をえがいたレリーフは貴重なものである。ラメセス2世の椅座像のうち2体にギリシャの傭兵が書いたギリシャ語の碑文は、前6世紀までさかのぼるもので、もっとも古いもののひとつである。 …ということですので、春分の日と、秋分の日で間違いなさそうですよ。 下記URLには2月22日と10月22日と記されていました。日本で言うところの春分の日、秋分の日とはずれていますね…当然ですが…。
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- ckt
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大神殿の最も奥にある窓のない漆黒の至聖所の壁には、左から万物の創造主プタハ神、王の守護神アメン・ラー、神格化されたラメセス2世、太陽神ラー・ホルアクティの座像が並んでいます。春分と秋分の日の2回、大神殿の東の入り口から至聖所に朝日が差し込むとき、朝日は60m先の「神々の座」を照らすということです。 (講談社、週間世界遺産No3より)
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回答有り難う御座いました。やはり年に二回と言うのは春分の日と秋分の日だった訳ですね。ただ日本の春分の日は3月20日、今日ですがエジプトだと2月22日と現地に行った人の書いたサイトにあったので少なくとも今年は2月22日だったと思っています。春分の日は夜と昼の長さが同じ日だと思いますがエジプトだと2月22日は本当に昼と夜の長さが同じなのか知りたいと思っています。
お礼
2月22日と10月22日と分かり納得しました。 有り難う御座いました。