あくまで個人的な想像ですが。
当時の軍幹部のほとんどが「もう戦争には勝てない」と思っていたと思います。物量の差はあまりに圧倒的で、戦術レベルでひとつふたつ勝ったところで大勢に大きな影響はありません。特にマリアナ海戦で日本軍は日本軍的に理想的なタイミングで出撃した(日本軍は敵を捕らえ米軍はまだ日本軍の位置を特定できなかった)にも関わらず米軍に対し損害を全くと言っていいほど与えられずさらにこちら側はほぼ完全に全滅の憂き目に遭ったわけです。
レイテ海戦ともなると、もうここでちょっと勝利をしたところで結局は敗北することに変わりはないと皆心ひそかに思っていたんじゃないかと思います。
しかしながら、彼らは軍人であり政治家ではないので「もう勝てそうにないですからやりません」とはいえません。現代のサラリーマンも、もう会社が倒産しそうだとわかってもほとんどの人はそれでも真面目に会社に向います。それと基本的には同じです。
であれば、提督としては「引き際はどこか」とどこかで考えていたのではないかと思います。なにしろ戦艦には一隻に数千人もの乗組員がいます。そして、沈めばほとんどの乗組員が戦死します。勝っている戦さならまだしも、負け戦さなら洋上に漂う仲間も置いて帰らなければなりません。つまり、「善戦しつつもちょうど良いところで引き揚げる」というタイミングを見計らっていたのではないかと思います。
実際問題、もしレイテに突入していたとしても、その後米艦隊に包囲されそれこそ一隻残らず全滅になった可能性が高かったと思われます。そして栗田艦隊は護衛空母と駆逐艦で構成された弱小艦隊に善戦されて動きを阻まれてしまいます。戦争も三年目となり、優秀な人材がほとんど失われてしまった当時の日本軍の質も相当落ちていました。栗田提督始めベテランの将官たちは実務を仕切る中間管理職の質が落ちていることも実感していたと思います。
このまま頑張っても戦果は望めないし、むしろ袋の鼠となるより逃げ口があるうちに逃げたほうがいいと判断したのではないかと思います。
お礼
そうかもしれないですね。 作戦自体に相当無理がありましたね・・・