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レイテ海戦時、西村部隊の戦艦は燃料が片道だった?

西村部隊がスリガオ海峡を短距離で囮部隊として突入していったのは速度の関係ではなかったと思います。おそらく、燃料が片道分だったんではないのかと思います。あまりにも距離が栗田艦隊よりも短い距離だった感じがします。もし、栗田艦隊が西村艦隊と逆だったら、十分な勝機があったと思います。それから、志摩艦隊は栗田の先鋒隊の方が格好がついたと思います。

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  • tak7171
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回答No.5

西村艦隊は10/25早朝に栗田艦隊と呼応してレイテ湾に突入する、分進合撃の計画になっていました。まあ、囮の意味もあったかと思います。また、稼働している給油船が少なかったのでブルネイ出発以降の補給が期待できず、西村艦隊麾下の駆逐艦が航続距離の短い白露型・朝潮型だったため、短いコースを選択せざるを得ないこともあったかとも思います。片道燃料のご推測ですが、沖縄特攻時の大和のような、行く先が知れている場合(陸上砲台化なので沖縄までいければよい)なら解りますが(それでも片道分ではなかったそうですが)、レイテ沖海戦の場合、第一遊撃隊には水上部隊撃破と輸送部隊撃破の2つの目的があり、戦況によっては長期化する恐れが十分に考えられます。前にも書きましたが、ブルネイ出発後の栗田・西村両艦隊に十分に補給できるほど給油船がなかったので、ブルネイ出発までに燃料を積めるだけ積んで出港したかと思います。以上のことから西村艦隊の片道燃料はあり得ないかと思います。栗田艦隊と西村艦隊が逆だったら、との意見ですが、上の駆逐艦の航続距離の問題、山城・扶桑の速度、囮としての意味合いを合わせてあのコースを西村艦隊が選択したわけで、警戒の厳しい正面玄関に飛び込むようなものでした。それでも小沢艦隊を含めて3方向からの侵攻だったので、米軍を多少なりとも分散・混乱させたかと思いますが、主力の栗田艦隊をスリガオ海峡に向けることになれば、戦場が限定化・単純化して米軍も戦力をそこに集中しやすくなります。栗田艦隊の勝機はあり得ないでしょうね。ちなみに志摩艦隊ですが、捷号作戦立案時には山城・扶桑を含めた「第2遊撃部隊」として「小沢艦隊」の前衛を務める計画で、その主任務は「米軍を北に誘い、第1遊撃部隊が輸送部隊を叩くのを間接的に援護する」ことでしたが、台湾沖航空戦で米軍の損害を誤認した連合艦隊司令部が米軍掃討を志摩艦隊に命じたため、台湾周辺~南西諸島を右往左往する羽目になり、結局十分な連絡も取れず連携も図れないままスリガオ海峡に突入することになりました。

ithi
質問者

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ご回答ありがとうございます。 ただ、西村艦隊の受けた空襲は1回きりです。栗田艦隊だったら、楽に抜けれるでしょう。囮は遠回りしたほうが囮になります。やはり逆のほうが効果が出ると思います。米機動部隊主力は小沢機動部隊につられた格好だったんですからね。

その他の回答 (5)

  • tak7171
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回答No.6

>ただ、西村艦隊の受けた空襲は1回きりです。 10/24朝、栗田・西村両艦隊はほぼ同時刻に米軍に発見されていました。そしてその戦力を計った上で、栗田艦隊にはハルゼー機動部隊を、西村艦隊にはキンケイド艦隊を向かわせています。実際、24日はハルゼー部隊の航空攻撃で武蔵撃沈他各艦相当な被害を受けています。栗田艦隊と西村艦隊が互いの逆のコースになったとしても、米軍の配置も結果は変わらなかったと思います。また、小沢艦隊の誘引も24日の時点では効果がなく、あまりの損害に栗田艦隊は一時退避反転せざるをえず、25日早朝のレイテ湾突入に間に合わなくなりました。25日になってハルゼー機動部隊はその主力を小沢艦隊に向けましたが、キンケイド艦隊は健在で、終日航空攻撃に晒された栗田艦隊はその護衛空母群を捕捉しきれず、かえって大打撃を受けています。そもそもこの海戦を通し、日本軍の通信事情が極めて悪く、相互かつ緊密に連絡・連携できておらず、結果的に戦力の分散投入・各個撃破になってしまいました。多少条件を変えたとしても、やはり日本軍に現実以上に良い結果は出なかったと思いますよ。

ithi
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 この作戦がかなりち密に作られていたという計画だったという説がありますが、その実行き当たりばったりだったというのもうなずけるかと思います。 私なら、短兵急にそのまま直進コースで栗田艦隊をレイテへ出撃させます。 ハルゼーの機動部隊が一生懸命出せるといっても、護衛空母部隊もあることですしね。それから小沢機動部隊が出撃した場合、攻撃隊をある程度は確保しないと大変なことになります。ただ、史実より、ある程度の損害を負わせる程度と考えます。

  • eroero4649
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回答No.4

#1っす。 >昭和18年1月時点でガダルカナル島作戦終結時には150万トンに減っていたという事です。つまり、艦隊を動かすエネルギーが絶えず不足がちだったという事です。 それは本土分てことですよ。前回の回答でリンガ泊地のURLを載せておけばよかったですね。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%AC%E6%B3%8A%E5%9C%B0 Wikipediaにも「大戦末期まで燃料補給に苦労しなかった」とありますでしょ。連合艦隊もリンガ泊地に大集結したこともありますが、それは燃料補給をするためでした。 じゃあなんで本土に石油が足りなかったの?っていえば、作戦用にタンカーをとられていて軍需用のタンカーが足りなかったからなのです。おまけに途中からそのタンカーが通商破壊戦でボカスカ沈められましたから、ますます本土は石油が足りなくなったのです。 日本は大量の石油が必要だから南方に進出したわけですよ。それはご存じだと思います。ところが、そのせっかく占領した南方から、どのくらいの石油をどう艦船を回してどう運ぶかっていう計画が全くナッシングだったんです。これ実はあの阪神淡路大震災で似たようなことが起きていました。日本全国から援助物資が兵庫に届いたのですが、その届けられた物資を被災地にどう回すか全く無計画だったので被災地の現場では物資が足りないのに、全国から物資が届くところには封も開けられていない段ボールが山積みになっているという状況になったそうです。この反省から東日本大震災ではあのヤマト運輸が補給計画を立てたのでかなりスムースに効率よく被災地に必要な物資を届けることができるようになったのです。 本来はそういう計画というか戦略は当時なら企画院がやるべきだったとは思いますが、ナチスドイツで軍需大臣をやったシュペーアに相当する有能な人材が日本にはいなかったんですね。しかもその企画院は戦争中の1943年に解体されていますしね。 とにかく、国家戦略っつーのがなかったんですね。当時の日本は。「どこで戦争を終わらせるか」って考えは東条英機の頭の中にもなかったんですよ。まあ彼ひとりを責める問題ではないですけどね。 だからレイテ海戦の勝利なんていうのは、プロ野球のペナントレースに例えるならオールスター戦も終わった後の後半戦に首位と10ゲームくらい離されている状態での試合に勝ったか負けたかみたいなものなのですよ。そこでのたった一戦で全てのピッチャーを投じて勝ったとしても、翌日の試合はどうすんだってなるじゃないですか。 全くね、日本らしい話なんですよ。先立つ台湾沖航空戦で海軍が大ボラ吹いちゃって、陸軍もそれを信じてレイテ島での決戦計画になっちゃって、海軍も「すいません、あれ、ホラでした」ともいえず「台湾沖航空戦に勝ったからこそのレイテ決戦計画」だったのが動き始めちゃって止まらなくなっちゃって。まさにお役所仕事ですよね。「一回決まっちゃいましたので、もう止められません」て。そしてそのまま絶望的な計画が前に進んじゃう。いえ、私は原発の話も東芝の話もしていないですよ。粉飾決算しちゃったもんだから、今さら粉飾決算しちゃったもんでといえず、どんどん傷口が広がって誰もどうしていいか分からなくなって会社全体が沈んでいくってね、東芝と全く同じ流れなんですよ。これが日本人の宿痾ってやつなんですかね。日本軍が負けていく流れと、東芝などの大手名門企業が落ちていく流れって全く同じなのです。決められない、情報公開できない、誰も責任を取らないの三拍子。 上にいけばいくほどアホになって、結局現場の人たちが不眠不休で働いて戦死者続出で現場だけが疲弊していくってね。

ithi
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 ごめんなさい。サイパン島陥落で東條は責任取って辞めてます。次は何かと問題の多い小磯国昭です。所詮クーデター計画程度の男ですよ。それから、万々燃料が使えるなら、19ノットなんてせこいスピードじゃなくて、平均速力21ノットは出してもらわないと、話にならないです。おそらく、石油は取れるけど、其れを精製する工場がなかったというのが、私の見解です。 だって、原油をゴムに詰めて捨ててたという話を聞いたことがあります。企画院総裁鈴木貞一も所詮は大臣になりたかった男で評価されそうですね

  • r3350
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回答No.3

片道燃料ではないと思います。 西村艦隊はブルネイから出撃しています。 ブルネイからレイテは約700海里、西村艦隊の旗艦山城の航続距離が14Kt8,000海里。 往復巡航1,400海里、全速の燃料消費率を巡航の10倍とした場合、戦闘時全速で10時間走行として240海里で巡航の2,400海里。 1,400+2,400海里=3,800海里 満タンの半分で足ります。 燃料の到着を待っていますので、半分以下で出撃はする事は考えられません。 なお、西村艦隊は囮部隊ではありません。 囮部隊は米艦隊を北に誘導した小澤部隊です。

ithi
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 実は上陸部隊の護衛艦隊を引き出す役割を志摩艦隊と合同で行うという風に考えていました。速力は少なくとも19ノット以上でしょう。潜水艦に狙われない最低限度の速力です。3日程度はかかったと思います。

  • eroero4649
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回答No.2

西村艦隊はほぼ全滅してしまったので当事者の多くが戦死し、今となってはそれを確かめる術もありません。だから、質問者さんのお説を完全論破する証拠はありません。 ただ、当時西村艦隊はリンガ泊地から出撃しました。当時のインドネシアは石油の生産地でインドネシアにいる限り燃料は豊富でした。なにしろ、ガソリンを捨てるほどでしたから。 石油精製工場を止めるわけにはいかないので生産はされる。でも物資輸送用のタンカーがなくて本土に送れない。だから捨てる。という非効率極まりないことが起きていました。なにしろタンカーは作戦用にガンガンとられましたから。マリアナ海戦の前くらいの頃に、作戦用のタンカーがボカスカ沈められて足りないから、軍需用のタンカーを作戦用に回せって当時の作戦部長が東条首相に直談判に行ったことがあるんです。でも東条首相は戦争全体を見ているから、それをやったら生産が持たないと断ったのです。そしたら作戦部長はキレて「バカヤロー」と怒鳴って更迭されたってことがありました。結局軍需用のタンカーが作戦用に回されて、そのうち軍需用のタンカーもアメリカの潜水艦にボカスカ沈められて日本の戦争経済は破綻しました。 ですから当時の状況を考えると、リンガ泊地に燃料がなかったってことはまずあり得なかったと思います。 栗田艦隊と西村艦隊の位置が逆だったら?さあ、どうでしょうねえ。でも西村艦隊は船足が遅い寄せ集めの艦隊でしたからね。痩せても枯れても栗田艦隊は大和、武蔵以下の一級戦艦揃いですよ。 それにさ、レイテ海戦の「勝利」ってなんなんでしょうね。いや仮にですね、栗田艦隊がレイテ沖に突入してアメリカ軍の輸送艦をコテンパンにしたとしてですよ。それでアメリカ軍を追い落とせたかというとそれは無理です。だってアメリカ軍の空母航空隊は残っているんだもん。それが支援したら陸軍の反撃も限界があったでしょう。そうすると戦役を長引かせるくらいはできても、フィリピンからアメリカ軍を追い落とすってところまでは不可能なわけですから、どのみち「戦術的(自己満足的)勝利」しか得られなかったと思います。 突入すればそれはそれで栗田艦隊も袋のネズミになって全滅を引き換えにした可能性もあるので、「100万円宝くじに突っ込んで、1万円分当たった」みたいな結果になった可能性もありますね。

ithi
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 重油はたくさん豊富だった。精製して捨てるほどあった。私はちょっとおかしいと思います。というのはアメリカと手切れになった時のために必死でためた海軍の重油600万トンのお話です。回線当時これほど豊富だった、重油が、昭和18年1月時点でガダルカナル島作戦終結時には150万トンに減っていたという事です。つまり、艦隊を動かすエネルギーが絶えず不足がちだったという事です。

回答No.1

そもそもレイテ沖海戦て何のためにやったのか? と現代でも謎のままです 栗田艦隊がレイテ湾突入前に引き返したのは 恐らくこの作戦の無意味さ 無謀さに気づいて艦隊を温存させようと思ったからだと思います 西村艦隊も小沢艦隊も志摩艦隊も 栗田艦隊を突入させるためのおとりでしか無かったわけですから 確かに燃料満タンである必要はありません 敵艦隊にあえて発見されて 撃ち合いをしてる間に栗田艦隊がレイテ湾に突入してくれれば作戦は成功だったわけですから

ithi
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 台南航空戦という作戦が戦われています。ここでアメリカの機動部隊を相当痛めつけたと日本軍は思っていました。だから、残敵掃討用に第五艦隊まで出したんです。ここで連合艦隊の全力出撃をすれば、アメリカ機動部隊を相当叩きのめせると考えたんです。 栗田司令官は最初は大和で指揮を執っていませんでした。第二艦隊の旗艦愛宕で指揮とっていました。ただ、この重巡洋艦は潜水艦にものの見事に撃沈させられてしまい、第一戦隊のヤマトに移ってきたというのが本当です。このほかにも軟石化の従順が潜水艦に攻撃されたり、護衛空母部隊の駆逐艦により、撃破され、重巡洋艦が半分使用できなくなったりしました。 それなら、最初からオルデンドルフ少将の部隊を叩くべく、栗田艦隊で短兵急につくべきでした。西村艦隊と志摩艦隊をもとの栗田艦隊のコースを取らせても十分囮になったはずです。

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