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栗田艦隊はなぜ「反転」という判断をしたのでしょうか
第二次世界大戦のレイテ沖海戦で栗田健男が率いる栗田艦隊は、レイテ湾突入直前に「反転」という決断をしました。 普通に考えれば、「レイテ湾突入」以外はあり得ないような状況だったと思うのですが、栗田健男はどういう考えで、「反転」という結論を出したのでしょうか?
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http://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=1050 海上自衛隊佐世保地方総監の山下万喜氏が、栗田健男はどういう意思決定プロセスを踏んで反転するという決定をしたのかを解説しています。以下、一部を抜粋します。 しかし栗田長官は、突入継続ではなく反転を選んだ。それは彼が、突入を継続して敵の餌食になるよりは、新たな敵を求めて北上反転する方が有利と考えたからである。この決断の背後には、敵主力部隊撃滅のチャンスがあれば、それを祖国存亡の最終戦と捉え、それに専念すべしという栗田自身の見解があった。しかし連合艦隊に与えられた攻撃目標は、敵主力部隊ではなく輸送船団だったことを考えると、この栗田の判断は、それに沿ったものではなかった。この判断は、意思決定の入り口である使命の分析を誤ったことで引き起こされたものだったと言える。
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- あずき なな(@azuki-7)
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むしろ栗田長官は状況を分かってたから反転したのでは?と思います 「この状況でレイテに突入しても無駄(何の成果にもならない)」と思ったのだと思います それよりは天皇陛下から預かっている艦隊を無駄にさせないように 次の戦いに備えよう と考えたのだと思います 現代では栗田は「レイテを目前に逃げ出した卑怯者」とか「弱腰の軍人」などと言われていますが むしろ状況を的確に判断して引き返したのだとしたら彼は「名将」だったと言えると思いますよ
お礼
ありがとうございました。
- edogawaai
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この作戦は、フィリピンの日本陸軍を助ける為のもので 有りました 栗田健男 日本海軍中将は、陸軍の為に働く事が嫌だったのでしょう 当時、日本の陸軍と海軍は犬猿の中だったのです 作戦のまま、突撃すれば 全滅も有りましたしね 殆ど敵の、日本陸軍を助ける為に 自分の艦隊が全滅する作戦を 拒否する事は、違和感無く 受け取れます 部下の将校達も、この判断を当然として 受け入れました 建前として、二次的に 米艦隊を探し これを撃滅せよ との命令も有りました 敵である、日本陸軍の為に 仕事するより 手柄になる米艦隊と 戦い、功績を求める方が 当然の判断と思われます
お礼
陸軍と海軍の対立という見方もあるんですね。ありがとうございました。
- eroero4649
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栗田提督本人が戦後もそのことについては黙して語らず、そのまま鬼籍の人となったのでその真実は永遠の謎となっています。ですから、答えは永遠に出ませんので我々は推測するしかないのです。 そして私の推測ですが、私は栗田提督が「仮にレイテ湾に突入したところで戦争そのものには勝てない」ということを理解していたからではないかな、と思います。 戦艦というのはだいたい乗組員が3000人くらいいるんです。戦艦が沈むと、20代の若者が何千人と死んでしまうんですね。 もし、栗田艦隊がレイテ湾に突入したら、かなりの確率で艦隊は全滅したと思います。それに引き換えて米軍の輸送艦隊は大打撃を受けたかもしれません。 しかし、それってものすごい小さな戦術的勝利なんですよ。というのは米軍の海上戦力そのものは損害を受けていませんから、フィリピン作戦に遅延が発生したとしても追い落とすところまではいけません。フィリピンに展開した陸軍は中央の無理な作戦指導をされたせいで反撃戦力を無駄にすりつぶしてしまったので、仮に栗田艦隊が艦隊全部と引き換えにレイテ沖の輸送艦隊を全滅させて、それに呼応して陸軍が反撃作戦をしたとしても、米軍を海へ追い落とすことは実質的に不可能だったでしょう。 また仮に、仮にその反撃で米軍を海に追い落とせたとしても、その時点で栗田艦隊と志摩艦隊は全滅していますから、残るは航空機がほとんどない小沢艦隊(空母機動部隊)のみ。 米軍が再編してフィリピンに再攻撃をかけたときにはもう反撃の戦力はありません。 日本のミリタリーマニアのいけないところは、戦術的勝利に異常にこだわることなんです。囲碁でいうなら、目先の石をとることにこだわるんですね。将棋なら、王をとるより飛車を追いかけ回すようなものです。 「ミッドウェーで仮に勝ったとしても、その後どうするのか?」「レイテで輸送艦隊を全滅させたところで、その後どうやって戦争そのものにあの場面から勝利を目指すのか?」という視点はないのです。それはよろしくない。 レイテ海戦が起きたのは昭和19(1944)年。はっきりいって、もう戦争の優勢がどちらかは明らかな状況です。いち軍人としては、「まだ我が方に戦力があるうちに政治でどうにか講和を結んで欲しい」という思いもあったのではないかなと思います。 レイテ湾に突入しろっていうのは、子供の給食費を万馬券に突っ込んで一発逆転を狙えってくらいの無謀な賭けに過ぎないと思います。
お礼
ありがとうございました。
- ithi
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shimanaka885 さん、こんにちは。 今の説では南西方面艦隊司令部から打たれた電文で、北方機動部隊の反転によるものとされています。そして、レイテの輸送船はカラ船だと思われたようでした。 栗田健男 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%97%E7%94%B0%E5%81%A5%E7%94%B7
お礼
wikipediaの発言録が非常に興味深いものでした。三日三晩ほとんど寝ていない状態での判断だったんですね。勉強になりました。ありがとうございました。
- 麗 李(@reisinki)
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それが分かればねぇ~ 「栗田艦隊謎の反転」っていう歴史上の謎ですから^^ 栗田提督は死ぬまで黙して真相を語らなかったし。まぁ軍部上層には報告義務あったはずだから詳細は報告したはずなんだけど。してなければ軍法会議ものでしょうし。 【以下yahoo智恵袋より抜粋】 作戦は、小沢・西村両艦隊の犠牲(西村艦隊も事実上の囮艦隊だ)の上に成立していた。戦闘機による特別攻撃もこの攻撃を支援するものだった。すべてが栗田艦隊突入のための作戦行動だった。そしてそれらはことごとくうまくいった。小沢艦隊は米軍機動部隊を釣り上げ(米軍司令官は知ってて迎撃に向かったようだが・・)、西村艦隊は戦艦部隊をひきつけ、特別攻撃隊は空母に大損害を与えていた。(護送空母ではあったが、日本軍からすれば空母に損害を与えていたのだ)それがあるから、予定通りの突入をしなかった栗田提督に非難が集まるのだと思う。 この作戦で栗田艦隊がレイテ湾に進めば、間違いなく全滅していたはずだ。つまり、この作戦行動も「特別攻撃」にほかならなかったのだ。栗田提督はそれを拒否したのだ。 もし、栗田艦隊がレイテ湾に進み全滅した場合、この海域は完全に米軍の支配化におかれただろう。日本軍の有力な戦闘艦はいなくなったはずだから。一方、米軍の損害は計り知れないが、輸送艦を沈める前に米軍艦隊と撃ち合った末に全滅しただろうから、輸送部隊に大損害を与えることはかなわなかった可能性が高い。奇跡的に損害を与えたにしても、ほんの数隻程度だったろう。 フィリピン戦の推移に大きな影響を与えた可能性は実は低そうだ。輸送船団は別から回航させただろうし、日本軍はこのあと作戦ができる状態ではなくなっている。兵力の増員も物資の輸送もほぼ不可能になったはずだ。つまり、この作戦の成功をもってしてもフィリピン戦が優位に進むとは思えない。 史実は栗田艦隊が生き残ったため、この海域は米軍の支配化におかれたわけではなかった。そしてフィリピンは米軍の手に落ちた。いずれにしても結果が大きく変わったようには思えない。
お礼
Yahoo知恵袋に詳しいコメントが書かれていたんですね。 ありがとうございました。
お礼
帝国海軍のDNAを受け継いでいる海上自衛隊の方のお話で、とても勉強になりました。史実に基づく推測ではなく、彼がどういう思考で結論を出したのかまでよくわかりました。ありがとうございました。