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1840年~1860年の間のヨーロッパ西部、北部の情勢について。
1840年~1860年のヨーロッパでは凶作、飢饉、政治的不安から、アメリカに移住していく人が多いと聞きました。一体この時期にヨーロッパ北部ではどのようなことが起きていたのですか? ご存知の方がいらっしゃいましたら教えて下さい! おねがいします。
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すぐに回答がほしいとのことですが、 まだ間に合うのでしょうか? 19世紀の半ばに移民が増加したのには飢饉のほかにも理由があります。 (1)産業革命で各国の経済が発展し、また海外への投資や貿易が増大したこと。 (2)海外への移住に対する制限が自由主義政策によって緩和・撤廃されたこと。 (3)(2)と関連して、人口抑制のために移民が政府によって奨励されたこと。 (4)アメリカ大陸では殖産興業や未開拓地の開発のために移民を必要とし、彼らに補助や便宜を与えたこと。 などが、考えられます。 なお、西欧・北欧からの移民は1890年頃から減少し、代わって南欧・東欧からの移民が増加します。 両者を区別して、前者を旧移民、後者を新移民と呼びます。
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世界史にはあまり詳しくないんですけれども、御質問文の時期は丁度、小氷河期の最後の置き土産の大寒波が発生した頃だったと思います。 (ちょっと記憶が曖昧で…。もしかすると微妙に年代がズレていたかも ^^;) 参考になりそうな本の情報を貼っておきます。 「歴史を変えた気候大変動」 (ブライアン・フェイガン著/東郷 えりか,桃井 緑美子訳) \2,400 河出書房新社 気候が不安定になれば農業に影響が出ますから、当然飢饉にもなれば政治不安にもなったと思います。
お礼
ふむふむ!それは大きな理由になりそうですね!参考になりました!ありがとうございました!
- SCNK
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この時期、欧州に限らず全地球的に飢饉だったのではないでしょうか。 1840年代にはフランスから東欧にかけて大きな革命が発生しています。1860年代には、たしかプロイセンとデンマークではシュレーゼン地方を巡って戦争があったと思います。各地で民族主義が高揚してますね。1850年代、英国とフランスはクリミアでロシアと戦争を行います。しかし多くの戦争は植民地を巡ってアジアやアフリカで行われています。
お礼
なるほど!これは新情報です!全地球的に飢饉だったとは・・・。参考になります!ありがとうございました!
- cse_ri2
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全部はわかりませんが、1845年から1849年にかけてアイルランドで 主食のジャガイモが不作となり飢饉状態となりました。 なんと、100万人が死に250万人が移民の道を選びます。 (参考URLを参照) 他の北ヨーロッパ諸国のことは知りません。 識者の回答を待ちます。
お礼
回答ありがとうございます!かなり助かりました。まだまだ情報を集めたいと思います。
お礼
まだ間に合ってますよ!ありがとうございました!この手の問題は解答数が少ないので大変です。今度の火曜日に、自分でまとめたものにこちらで頂いた回答を紹介しつつ、発表があります。飢饉以外の理由を教えてくださったことにとても感謝しております。本当にありがとうございました。これで、回答を終了させていただきますね!