比較するに、西アジアやオリエントなどでは、紀元前1-2千年期のあいだに森林破壊が行われ、灌漑農業の結果、いわゆるメソポタミアの「肥沃な三日月地帯」は、かつては穀物倉でしたが、その後、土中より塩分が染み出て、いまは不毛な砂漠となっています。また古代ギリシアも、森林破壊を行いすぎて、現在はオリーヴ程度しか栽培できない、荒野の土地となりました。
しかし、ヨーロッパは、中世においてもなお「森の大陸」で、人々は、森を開拓して居住地を作ったものの、再度侵略して来る森林との戦いに明け暮れていたというのが実情です。
中世も末頃になって、ヨーロッパは終に森を征服し、当時、森林に居住していた野生の牛(オーロックス)の一種を滅亡させ、また大型動物を絶滅に近くまで追い込みました。森林は破壊され、大部分は農業用の土地とされ、また牧畜も行われました。
フランスは、中世には、大部分が森林に覆われていたのですが、近世には、農業用地が増え、森はほとんど破壊されました。ヨーロッパでは、ボヘミア地方のシュヴァルヴァルトの森がかろうじて元の形で残り、その他各地に、森の痕跡が散在する状態となっていました。
強固に抵抗する森を駆逐して、農業用地としたのはよいのですが、元々が森林地帯ですから、土壌構成が、一旦農耕地に変えられると、元の森林の回復は難しいのです。ヨーロッパに残った森は、元の森林の痕跡と、人工的に作った森となりました。
ヨーロッパは、面積的にはそれほど大きくないのであり、この狭い土地で産業革命が起こり、重工業が起こり、環境を破壊する色々な活動がなされました。中国やアメリカでも、例えば、農耕地の土砂の流出は激しく、砂漠化も大きいのですが、全体の土地の広さが、ヨーロッパと比較になりません。
またヨーロッパは啓蒙思想の発達した世界で、人権思想と共に、動物愛護などの考え方も発達しています。それは中国には望めないものです。
狭い領域のヨーロッパで、近代産業が発達し、化石燃料などを大量に消費すると共に、有害合成物質などを作り、拡散させた結果、例えば、大気汚染は、酸性雨などの形で、ヨーロッパの自然に影響を与え、シュヴァルツヴァルトの森が、酸性雨でほぼ全滅するというような事態になり、各地に残っていた森林の痕跡も被害を受けました。
また、北欧には多くの湖沼があるのですが、これも酸性雨の影響で、水の酸性度が上昇し、魚などが生息できない現状となりました。
元々の森林が消えると、次に起こるのは、人工的に作った広大な農耕地の土壌流出で、アメリカや中国のような広大な空間を持たないヨーロッパにとって、これは深刻な事態であり、多数の国に、この地域が分かれているので、国家単位で見ると、膨大な損失になるのです。
何より、森林が消えてしまうことは衝撃であり、酸性雨被害が出始めて、ヨーロッパは、事態が重大なものであることを自覚し、環境保護や環境保全、環境の回復に努め始めたというのが現状です。発展途上国は、中国も含めて、環境破壊と発展とどちらを選ぶかと言えば、発展の方を選ぶのが実情です。
アメリカは、広大な空間を持つので、まだまだ余裕があるので、二酸化炭素排出削減問題でも、経済発展の方を優先するというような選択が行えるのですが、ヨーロッパはすでに先進国で、経済・技術発展などは十分に行っており、開発か環境保護かということになれば、環境保護の方を優先せねばならない状況にあるのです。
発展途上国のなかには、環境保護にもっと力を入れないと、遠からず破滅が訪れる地域が多数あるのですが、何よりも当面の問題は貧困の脱却と開発・発展にあります。それでないと、地球経済のなかで、位置を占めることができなくなるのです。
ヨーロッパは、環境破壊の歴史を痛切に反省しており、また開発ではなく、反公害、反環境破壊の政策を取れるほどに、国民意識が進んでおり、また、経済などの社会発展段階からして、そのような政策を取ることができるのです。
日本はまだまだ森林が多数残っており、悠長にも、ダムを作って、森林破壊をしようなどと、馬鹿政治屋たちが画策していますが、ヨーロッパでは、森林破壊どころか、破壊する森林もない状態で、これ以上の環境悪化は、環境の回復を不可能にするという意識があるので、環境保全等に熱心なのです。
結局、ヨーロッパは、1)森林を近世になって破壊し、工業化等を進めた結果、環境破壊先進国でもあった。アメリカのように広い空間がなく,残された自然資源も少なく、余裕がない。2)すでに十分に発展した地域で、開発か環境か、という問題になると、開発を犠牲にしても、環境保全に力を注ぐ余裕がある。この二点でしょう。
また、技術によって、自然を意図的に変えてきた歴史を持つ地域なので、その危険性についての認識がより身近なのだとも言えます。
リサイクルではありませんが、ヨーロッパでは、フランスが最後まで拘りましたが、原子力発電を放棄しました。あのように狭い地域で原子力事故が起これば、ただでは済まないという認識と、結局、社会の豊かさが、原子力を放棄してもやって行けるという選択になったのです。