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「満州国」の城市について

日本は「満州国」建国以前から「関東州」と満鉄付属地は支配していましたが、その時点で近くに点々と存在する城市は中国人の住む町で、日本の主権は当然及ばなかったですよね。 それで「満州国」建国後はどうなったのでしょう。満州国政府は城市にどのような態度をとったのでしょうか。というより単純に「満州国」建国後も城市は中国人の主権の及ぶ場所だったのでしょうか。

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  • 6dou_rinne
  • ベストアンサー率25% (1361/5264)
回答No.1

満州国成立後は当然満州国の主権下にありました。 満鉄附属地も満州国成立後は満州国に返したと思いますが。

periene
質問者

お礼

どうもありがとうございます。やはり城市も「満州国」の主権下にあったのですね。

その他の回答 (1)

回答No.2

 当時の地理書にあるとおり、満州の地方は満洲国の行政に属しております。  『支那及満洲國現勢地理』下巻 白揚社 1940年(昭15) から引用  地方行政は省公署を以て最高の機関とし、現在十八省に夫々おかれているのものである。省長は省の最高行政長官で国務大臣の指揮監督を承け、各大臣所管の事務に就てはその指揮監督を受け、法律命令を執行し、省内の行政事務を管理する。省の組織は省長及び次長の下に官房及び民生・警務・実業・土木の一官房四庁とされて居るが、地方事情並に事務の繁閑によって実業庁及び土木庁はその一若くは二を置かざることを得しめて特に形式に従することを避けているのである。  省公署の下には県公署があり、県は地行行政区画の基本単位で建国前は殆ど自治の機能を欠いでいたが、政府は大同元年七月県官制公布以来数次の改正を行い、康徳4年二月には全面的にその改正を見て、康徳六年六月現在に於ける県の総数は百六十五、県中黒河省九県を除く百五十六県は官治行政を行うとともに公法人とされている。而してその機構は地方に応じて画一的な組織を廃し、県長・副県長以下の職員を置きその事務を分担させているのである。  同書「満洲國現勢地理 第四章 政治」538・539ページ。執筆は、島之夫。原文は旧仮名遣い。  

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