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哲学って何かの役にたつの?
哲学って何か目に見えて役に立ったりしてるんですか? それとか、目の見えないところで自分に役立ってるとかですか? 僕は歴史の世界史がすきですが、哲学者の名前がよく出てきます。歴史の教科書に名前が出る人だからすごいんだろうけど、何をしたのかいまいちよくわかりません。 こんな質問をしておこられるのはわかってるんだけど、 おこったらゆるしてください。べつにわるぎはぜんぜんありません。
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『哲学』は『考える事、自分なりの答えを持っている事』に通じます。 何でも良いから、自問自答するんです。そしてその知識を全て連結してしまう。 哲学の何たるやを理解した後でこの世の中を見てください。 『常識』『マナー』『法律』それらの存在の小ささが実感できるかと思います。 上の3つは『大義名分を立てて自分にとって不愉快であるものを排除するための道具』でしかない 法律は『ほぼ全ての人が賛同するから成り立っているだけ』ですが賛同する人が減ったらどうなるか? まさにイラク戦争を仕掛けたアメリカのようなものなんですよ…(解ります?) 何が良いか何が悪いかをとことん考え抜く。 時に『言い負かす』と言う事もできるでしょう。 でも一番は判断力かと思います『判断しない』『考えない』だから自分の首を絞める事が多いって思いません? 一番典型的なのは『脱サラして○○を始める』良く考えれば解る事なのに後で後悔して妻子は大迷惑… コストは、採算は…をきちんと考えないで事を始めるからそうなるわけです。 格好から入る…電車乗り継いででも好きな事を仕事にする…自給が良いから… それで仕事を選んで良いものかしっかり考えているとは到底思えません… 『昔から夢だったの!』は趣味か道楽にするのが良い それです。 そういう考える力を養うのが哲学なんです。 『不平不満を垂れ流す』では何も解決しない。色々考えると先が見えます。 『不況について』を考えてみてください 私の場合 お金が無い→人は弱い→何か頼るものが欲しい =人が頼るところに目を置いた仕事をすれば儲かる かつては好景気だった→景気の良し悪しを左右するのは人間である =人と接していなければ景気が良くなるわけが無い 景気が良かった頃と今を比較する→(中略)→昔のようなお隣さん付き合いが無い→一人の時間が長い→判断力が低下→比較対象がいない→成長しない 『他人に注意するおせっかいな人』がいなくなってしまったわけですよ。助言、アドバイスそれが無い会社が多いですよね? 不況の根底は『不信感』にある。ありとあらゆるものが不審であるため、他人を信じれなくなっている 『人のためのアドバイスが実は自分の利益の為』これが多くなっているので聞く耳を持たない。 例『不審者を見かけた方は駅係員にお知らせください』これは意味を成さない。 不審者=非常識な人 非常識な人=他人と行動が異なる人 不審者を見つけたと駅係員に知らせる人=他人と行動が異なる人 『持論、主観、私見…これを磨く事が哲学』と私は位置付けています。 まぁ、これが他人の考えとあまり離れないようにしながらというのが難しいところではありますが。 >何をしたのかいまいちよくわかりません。 『さまざまな物事の根本を暗中模索し、答えを得ようとした先駆者』という所でしょうか。 『我思う故に我あり』大昔によくもまぁここに辿り付いたなぁと感心してしまうばかりです… …哲学の良さが伝われば嬉しいかな…逆に紫蘭ってうぜぇ…と思われたら…まぁ良いや嫌っといてください(苦笑
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- majimekun
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9番11番は私が書きました。弟と妹が勝手に私のパソコンを使うので、 私のページにはおかしな回答履歴があったりしますが・・・。 大学で勉強したことは全く役に立たないという人が多いですが、 そういう人は、はっきりと大学芋と言えます。 私は哲学専攻ではありません。多分哲学を勉強した人ならば、 この質問に答えることは無いでしょう。 というのも、彼らは自分死ぬまで成長過程にあると謙虚な気持ちを持っていたり、 質問に回答すること自体、質問者の哲学への道を限定してしまうことを怖れるからだと思います。 えらそうなことを書きましたが、わたしが書いた答はあくまで私が生きてきた経過報告(回答例)ですので、 あなたはあなたなりの答を探してください。 たぶん、探さなくても歴史を必死に勉強するだけでもいつか答が見つかると思いますよ。
- majimekun
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哲学が役に立つという疑問以前に経済学などの実学系も含めた文系学問が、実際に役に立つか? そう考えると、文系学問は実社会では当てはまらないことが多すぎます。 役に立つようにするためには、 学校で理論や条文、その学問の問題点をしっかりと頭に叩き込んだうえで、 あらゆる常識と自分の社会に対する理想から生まれる発想によって、さらに社会経験をつむことで はじめて生きた学問になります。 哲学にはその学校で習うことは、生きた学問をするにはどうすればよいかということ自体を 考えることなので、学校で叩き込まれる材料自体が無いのです。 それだけを見て哲学は役に立たないと断定する人がいるのでしょう。 実際に社会で学校で習った専門知識を活かす為には全ての学習に当てはめることができる 考える力を養う哲学をする行為が必要です。普通哲学専門でとらなくても、 学問をしっかりとした人は、自分で発展させ知識を活かすことができるようになっています。 どうしてか。それは習った具体的物事の本質・真理・法則性に気がつくからです。 そして、それを始めから気づいており、具体的な知識があらかじめある人か 社会で実際的なことは身につけられるという自信のある人が (あるいはとにかく考えたい人もいると思います。) 物事の本質・真理・法則性をあらかじめ深めるべく哲学科があるのです。 ですから、文系の学問であれ、しっかり勉強した人は、哲学が必要の無いもの、と言い切ることはありえません。 ちなみに東大の教養学部には科学哲学専攻課程があります。9番目に書いたことの裏づけになると思いますが 理系のあらゆる理論を発達させるためには哲学的思考が必要であると 東大は見ているのではないでしょうか。ただし、科学哲学を専攻するためには、 文科で入学したら無理なんですけどね。
役に立ちません。立つわけがないと言った方がいいかも・・。 哲学者と呼ばれる人は、考えたいから考えるわけで、(いわゆる世間的な意味での)「役に立つかどうか」ということは考えていないでしょう。「自分にとって役に立つ」という意味ならあるのかもしれません。例外もありますが、基本的には哲学者自身の問題意識です。 だから役には立ちません。 ですが・・・。 哲学者が世界史の教科書に出てくるのはそれなりに意味のあるから出てくるのです。哲学者がそれを企図しなくても、哲学者の考えたことが世界を動かすことはあるということです。 哲学者は、世間で常識とされていることに疑問を持ち、その疑問を忘れないで自分なりの回答を見つけだそうとします。一般の多く人も、哲学的な問題意識を持つことはありますが、持続しません。大人になるにつれて、世慣れてしまい、疑問を持たなくなり、分かったような気になります。 例えば、身分制の社会では、身分制を守ることが常識です。いつの間にか、身分制の社会に自分を合わせてしまい、なんとなく身分の隔ては最初からあったもののように思ったりするものですが、こうしたことも、「いったい身分て何?、そもそも人間に区別を設けるものって何? 区別自体あるのかしら? 人間てそもそも何?」と考える人がいて、みんなが「確かにそう言われれば変だな。なんで身分というものがあるのだ?本来平等では?」と気づいていくのです。 こういうように、大きな意味では世界の歴史に関わっていますが、短期的な意味では、彼は役立たずです。
- majimekun
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二つあります。 まず第一は哲学は全ての学問の目的をはっきりさせること! 哲学のはじまりから考えて見ましょう。 ギリシアの場合ですが、物は何でできているかという暗中模索から始まりました。つまり、哲学は実際に役に立つ学問のエネルギー源なんです。また一方で、学問の理論を考えるときの設計図にもなります。完成に向かっていく学問や個人にはだいたい、定理や行動の一貫性があります。簡単に言ってしまえば、全ての物事の余分なところを剥ぎ取っていくと純粋なものだけが残ります。それが、物理学の理論であったり太極拳の型だったりするのです。物事には基礎がありますが、その基礎を編み出す方法を考えて実際に役に立った人物が、大哲学者と呼ばれる人たちです。 だいたい、歴史を振り返ってみると市民革命がフランスで起こった背景には啓蒙思想家たちが、其の歴史を先導しています。また、産業革命が起こる起因としてイギリスの経験論を打ち立てた人が教科書にのるんです。経験論は古典的科学の基本的手法の発想元になっていますから。 こたえの二つ目は、論理的思考です。 哲学が社会の役に立つとしたら、論理学ですかね。 仕事の進め方プランニングをするときなんか、最低でも数学的思考を明文化する能力が必要です。形式論理学は、どんな学生でも理解できますが、高校生なら数学くらいは勉強しておけば、大学の哲学の論理学はけっこう簡単だと思います。 哲学は道を(たとえば、武士道とか茶道)極める人と同じく、人生を歩む指標が見えやすくなります。勉強しておくと。だけど、企業の人事担当者は、法学部や経済学部を優先する傾向があります。それはものすごくもったいないことだと思います。世界中、好景気のところでも哲学科は就職難。哲学を本当にやった人ほど、人間的にも物事を吸収する柔軟性においても、最高に優れているはずなんですがね。
- netcatme
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役に立つようになると、哲学から独立します。役に立たないから哲学なのです。
- mmky
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参考程度に 「人間は考える葦である。」といった哲学者が昔いました。考えることは動物でもしているのですね。犬は飼い主にほめられようと一生懸命考えていますね。考えというよりは生存のための本能的なものが強いとはいえますね。人間は考えることが何かを創造するんですね。宇宙の果てまで考え、想像します。これは人間にしかない思考ですね。目に見えないものを信じることができるということもありますね。これらは動物にはありません。動物が信仰を始めれば動物ではありませんね。人間がもつ特有な力、想像力などを考えるのが哲学ですね。だから哲学の存在は人間の証明なんですね。人間が動物に戻ることは簡単ですが人間であることはやはり大変なのかも知れませんね。人間であるためにはやはり自問自答しないといけませんね。
- mas703
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正直“立たない!”と思います まあ役に立たないから存在しているみたいなとこもあるのでは、とも思います で、 役に立ってるものって・・・て 考えていくと ありそでなさそで ウッフン(古い唄の親父ギャグ、ワカルカナアワカンネエダローナア) と、考えたりしはじめると これは案外「哲学」だったりするのです
- neumann
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学生時代に哲学の単位をとっていたときに先生から聞いたのですが、昔(中世ヨーロッパ)は哲学から多くの学問が生まれたそうです。 たとえば哲学が発展して数学、物理学、音楽などが発展しました。 当時の有名な哲学者の名前を見ると、違う分野(数学、音楽等)で有名な学者も多いですよ。 参考までに哲学史を取り上げたURLを紹介します。ここにも数学の話が出てきます。
- liar_adan
- ベストアンサー率48% (730/1515)
たとえば、文学は、生活の役に立ってるでしょうか。 直接的には役立っていません。 だけれど、偉大な文学者は尊敬され、教科書にも載ります。 音楽は役に立ってるでしょうか。 立っていません。 でも音楽家も教科書に載ります。 なぜ載るかと言えば、それは、文学も音楽も、我々に喜びを与えてくれるからです。 平たく言えば、楽しいからです。 哲学も同じです。 哲学は楽しいから。 そして、偉大な哲学者は、特に楽しい哲学を残したから、 尊敬されて教科書にも載ります。 もっとも、小説を読んで楽しいのと、音楽を聴いて楽しいのと、哲学を考えて楽しいのでは、 楽しさの質がぜんぜん違います。 特に、哲学の楽しさは、わかりにくいと思います。 哲学の中には苦悩もある。絶望もある。 だけど苦悩や絶望を楽しむ人もいるわけです。 どう楽しいかは、残念ながら説明することができません。 しかしそれを感じた人には説明不要でわかるのです。 「我楽しむ。故に我あり」 楽しいことはそれ自体に価値があるのです。
- flower_pink
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人の存在意義があるのかどうか?そんなこと、何年か生きてたら必ず不思議になりません?その意味が知りたくなりませんか?そんなときに、その解決の一助になるらしい。でも、教科書に載ってる人の考えが本当に正しいかなんて誰にもいえないわけだから(家たら哲学なんてもうないからね)、こんな質問を投げかける君も立派に哲学してるんじゃないかなあ? あと、補足しておくと、考えるということについては哲学と科学が非常に近い関係にあって、科学の基礎を哲学がつくった問いってもいいと思います。だから、賞賛されるんじゃないかなあ? あくまで、私の意見です。もし、参考になれば。
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お礼
たくさんの人から回答をもらって 哲学は僕の思っている役に立つというか そういうこととは少し違うんだなと思いました。 そういえば、昔の哲学者が数学者だったり、歴史学者だったりするので、 哲学は人間の考えるという大事な動きの基本的な学問だと思います。 みなさんの回答を読んでいると 美術の「考える人」という作品を思い出しました。 あれは何を考えているのかわからないけれど、 考えることは大事で美しいんだろうなと思いました。 この質問をしてよかったです。 ありがとうございました。 そしておれいが遅くなりましたのをあやまります。 点数は適当につけました。