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ミトコンドリア イヴ
●およそ25万年前 人類共通の祖先 ミトコンドリアイヴは アフリカに誕生した・・・。 人類を他の類人猿と 分けた「もの」とは何でしょうか? みなさんのお考えをお聞かせください。 ◇わたしの考え。 人類を人類たらしめている「もの」は 最近つくづく感じているのですけれども 「やさしさ」なのではなかろうか?・・・と。
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- mktoolll
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蛇足ですが・・・・。 物は考えようによって様々に意味付けられる。 例えば、極めて初期の武器である「こん棒」を考察するなら、家族や仲間を守りたいという「やさしさ」から発明されたという見方と、楽して食糧を獲得したいという「あさましさ」から発明されたという見方、他にも色んな見方はありますが取り合えずこの2つに絞られると仮定した時。どちらの視点に立ってその「もの」を見れば人類にとって精神的発展をもたらすかは、私個人は「あさましさ」により発明されたという視点に立って考察した方が、発明された「もの」の本来あるべき姿や存在価値を定義する上でより有益だと考える。 「やさしさ」から全てのものが出現しているとしても、あえてその「やさしさ」を否定することが、より大きな存在意義をもたらし、膨らみをもって発展していくのではないでしょうか?私個人は全ての発明や発見は人間の「わがまま」から出発していると思っていますが、この考察は人間本来の「やさしさ」を忘れつつある現代の人類により自然に近い感情を思い出させ取り戻させるという上で非常に重要だと思っております。(これ以上の科学の発展を捨てて地球そのものの回復に心血を注ぐべきという信念からそう思うのですが、この信念は私のわがままから出発している) 全てのものに「やさしさ」と「あさましさ」はバランスをもって共存している。どちらのウェイトが大きいかは何千年という時間と何十億人という人間の考察が必要だろうと思います。 >真実かどうかは わたしには あまり重要ではありません。 私にとっても、人類がどのように発生したのかという根本は全くどうでもいい。それを知ったところで未来に繋がるものは何もないですからね。研究する必要も無いと思っているのであのように書いたのです。 最後にもう一つ、人間の知性や理性ですが、それらがもし人類を破滅に導く要素の根本であるとしたら(あるとしたらですけど)やはり人間は高等ではないと感じます。だから、少なくともこのようなコミュニケーションがとれて自分たちは高等だと言い続けられるような生物であり続けられるよう努力していきたいですね。
- netcatme
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>●高度なコミュニケーション能力と文化・文明の > 因果関係をご説明いただけますか? 複雑で多様な文化は、それを多くの人に伝えられる言語によって共有化ができ、可能になりました。 また、他人の知識・経験を自分のものとできることにより、前の世代より必ず進歩できるようになり文明が発達しました。 知識・経験の共有化と世代間の継続が言語により可能になったと考えます。 あくまで、一つの見方ですから、他の見方もあります。
お礼
●わたしは 類人猿と人間を分けたものは 言語でも 文化や文明でもないと考えます。 なぜなら イヴがいきなり言語や文化文明を 獲得できていたとは 考えにくいからです。 分けたものは はじめにイヴにあったもので なければ その説明にならないと考えるからです。 言語も文化も文明をずっと後の産物だと思います。 因果関係ですけれでも ご指摘のように 知識・経験の共有化と世代間の伝承は 確かにあると思われます。 因果関係を説明する上で わたしが強調したいのは 形而上の事柄が 形而下の事柄と渾然一体となって 初めイヴに芽生えた「やさしさ」を かく乱している言語の弊害です。 人間の本意を超えて 言葉の世界が暴走している 状態を因果関係に組み入れて見ることができなければ 現代の人間社会が抱えている諸問題を読み解くことはできません。 つまり言葉は 知識・経験の共有化と世代間の継承 という機能以上に 編集と命令機能を持つことに より望まない作用をする機能を有しているということです。 例えば「ねずみ講」という仕組みは 経済という概念系に強欲がかかわり 生み出した 文明のひずみです。あきらかにひずみとわからない 状態で文明に巣食うひずみを 見つける意味でも 人間と類人猿を分けたものを探してみることが 必要だと感じているわけです。 極論いたしますと 言葉は一面では人間を非人間的なものに 変えてしまった張本人なのです。
- Keiko816
- ベストアンサー率42% (268/632)
それまでなかったものを初めてつくり出す能力「創造性」とは何か、これをまた更に説明するのは私にはムリです。 神がモーセに「私は有りて有るものなり」と言ったようにそれ以上説明のしようがありません。 「創造性」は「神が人間に賦与した自分が持っているものと同じ能力」でしょう。 「優しさ」は「神が人間に賦与した自分が持っているものと同じ愛」だと思います。 「あらゆるものを作り出す能力」は言葉も含まれますが自分を創造する(自己実現という言葉もあるようですが私は人格形成という言葉のほうが好きです。)ということも含めて。 答えにはなっていないかも知れませんがこれが私の限界です。
お礼
●ずいぶん簡単にギブアップなさるんですね。 わたしなりに 創造性を考察してみますね・・・。 創造性は 将来的には機能面から また構造面から 科学的な 分析と解析が行われるでしょう。また コンピューターに 創造性を持たせる意味で 研究も行われるでしょう。 さて ねずみを迷路に入れると しばらくして ねずみは 迷路を通過して出口から出てきます。 もし 同じ過ちを繰り返してしまうねずみロボが いたとしたら 迷路を通過できるねずみの成果に 創造性を感じるだろうと思います。 ねずみは 行き止まりの道をデータベース化して 出口を探すという要求に整合性のある選択を 具現していると考えることができます。 わたしたちの顕在意識は 潜在意識からあがってくる ひらめきという具体的な内容により 要求の あたらしい展開をみることがしばしばあります。 これを創造性と呼んでいるわけです。 蓄積された記憶は 潜在意識下に於いて データベース化されます。眠っている間に 物事の整理がつくことがよくあるのは 潜在意識が眠っている間に データベース化を しているからにほかなりません。 膨大なデータベースをつかって要求を満たすような さまざまな整合性が 無意識のうちに模索されているのです。 そのうち 確度のたかいものが顕在意識にあがって くるわけです。それが創造性です。 これは わたしの考えのひとつですけれども あらゆることを 噛み砕いて 納得できるレベルで 考察してみることは さまざまに考えを進める上で たいへん有効であることを 実感いたしております。 納得して 生きれる方が気持ちが安定するものです。 ご回答ありがとうございました。
- Keiko816
- ベストアンサー率42% (268/632)
人類を人類たらしめているものは「創造性」です。
お礼
●人間は さまざまなものを作り出しますから その根拠を創造性という言葉でくくるのは 簡単で楽ですよね。 でも 創造性とは いったいなんでしょうか? それもふくめて やさしさがかかわっていますよ というのが わたしの考察なのですけれども・・・。 創造性とは どんな能力ですか? 質問を言い換えれば それまでなかったものを初めてつくり出す能力とは どんなことですか? ご回答ありがとうございます。
- netcatme
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高度な言語コミュニケーション能力と、それによって作られた様々な文化、文明。
お礼
●高度なコミュニケーション能力と文化・文明の 因果関係をご説明いただけますか? ご回答ありがとうございます。
- mktoolll
- ベストアンサー率22% (20/88)
科学的にと言う言葉に私は大変懐疑的な人間なのです。 ミトコンドリアDNAをたどることによって、最初の人類はアフリカに誕生したであろうという説に対してですが、それは原人の頭脳が進化した状態なのか、それとも突然降って湧いて出てきたのか誰にも証明できない。アフリカの人々は世界に非常に多く存在しているし、その結果彼らとの混血も多数いる。ヒトゲノム遺伝子全ての解読に成功した現在でもその一つ一つの役割についてはまだまだこれからだし、ミトコンドリアのもつ単純なDNAについて全ての人種に共通する部分がアフリカに集約されると言ってもルーツがアフリカであると断言するにはまだまだ説得力不足であると私個人は感じます。 人類を類人猿と分けたものについてですが、その「もの」は学問という価値観に他ならない。人類=強者 類人猿=弱者 とする構図は食物連鎖を考える上での強弱に他ならない。人類は、独自の価値観に基づいて他の生物を差別しているだけであって、別に特別な存在でも何でもない。むしろ、生命力という点でいえば、ゴキブリやねずみに劣る面もあるしそれらが何らかの哲学的思考を持つか否かも人間には実証できない。見方を変えれば人間は他の生物に利用されている愚かな生物という側面もあるのではないでしょうか。 人間は高等な生き物であると誰が決めたのでしょう。パソコンが使えるから高等でしょうか?自分で生死を決定できるから高等でしょうか? 人間はまだ宇宙の何も解き明かしてはいない、他の動物の言語や科学を理解し始めたときに初めて本当の科学が始まるのではないかと私は思っています。 犬は人間の言葉を理解するのに人間は犬の言葉を理解できないでいる。しかも、犬は3食昼寝付きでご主人様は毎日外であくせく汗水たらして仕事する。何か変ですね。 H-hokoさんの主題からだいぶ外れてしまいました。 すみません。でも、その質問から以上のような考えが湧いてしまいました。 人類たらしめるもの=やさしさ ・・・それも素敵だと思います。ですが、やさしさは人間だけが持つものでは無いと感じます。むしろ、他の生物の優しさを無視するわがままさが人類たらしめている「もの」だと感じます。
お礼
●他の生物の優しさを無視するわがままが 人類と類人猿を分けた「もの」だということでしょうか? 人類が築いてきた様々な文明や文化というものを 考察いたしますと。やさしさから生まれているものと わがままから生まれているものが 確かにございます。 やさしさから生まれているものは ひろく人々の幸せや 自然の健やかさに響いています。わがままから 生まれて いるものは利己的です。 幸せに響く 発明や発見や芸術は 必ずやさしさが その動機にあるのです。わがままで利己的な それは 人類が築いたものの中では蛇足なのです。 しかし 経済のなかに巣食う蛇足。規範の中に巣食う蛇足。 イデオロギーのなかに巣食う蛇足のなんと多いことか。 わたしたちが 日々見つめる対象がやさしさから うまれたものなのか それともわがままからうまれた 蛇足なのか それすらわからないままに生きる方々の なんと多いことでしょうか・・・。 人間がやさしさを獲得して進化したのに いま わがままが増幅されて けだものの欲望に つきうごかされてはいまいか?文明も文化も本来は やさしさが築き上げたものなのです。 そのやさしさの持つ「ちから」をけだものの欲望が 振りかざして傍若無人にふるまう様が 現代に生きる わたしたちの苦悩なのではないでしょうか? ミトコンドリアDNAを分析することで いま存在している全ての人間は 共通の一人の母から 生まれたことが証明された。このことが真実かどうかは わたしには あまり重要ではありません。 そうだとしたら どんな考察ができるのか? その考察の結果が 現実のわたしたちにつながるようで あるのなら そのように考えても差し支えないという スタンスで常に考察しております。 高等生物というものを わたしなりに定義いたしますと 知性・理性の高い生物ということになります。 知性とは 脳の顕在意識の処理フィールドのキャパシティを言います。 理性とは 知的処理能力の確度(確かさ)を言います。 高等生物も下等生物も その存在意味に於いては 同等であると考えております。
補足
●ご回答ありがとうございました。
今、偶々「人間不平等起源論」を読んでいる途中です。 人間と類人猿を分けた「もの」は偶然の自然環境らしいです、洪水や気候の変化に対応する「改善能力」との事です。「もの」とは言えませんが、「やさしさ」同様ですから許してください。 ところで、「イブ」は、単独行動をしていたのでしょうか、群れを作っていたのでしょうか? ルソーはこの本のなかで、人類の最初を単独行動のように考えているようですが、この事を無視してこの質問に答える事はできない様な気がします。 H-hokoさんはどちらだとお考えなのでしょうか?
お礼
●ゴリラやチンパンジーは 群れを作って生活をします。 オランウータンは 単独で行動をします。 どうして そのような種の行動パターンがあるのでしょうか? これは わたしの考えですけれども 生活空間が 群れか単独かを選択させているのではないでしょうか? 樹上であれば 敵は少ないですし 食料が十分であるならば 群れて食べ物の取り合いなどのトラブルを 敢えて抱え込む 必要もないわけです。地上での行動が多いのであれば 群れで居るほうが 敵を威嚇する意味で 安全です。 イヴは 地上を二足歩行していたはずですから 家族や親族単位での群れで 行動していたと思われます。 ●ルソーは 改善能力が人間が存在できた根拠だと 考えたわけですね。 実はそれは わたしも考えたんです。 わたしは 知性と理性の高さが人間を猿から分けたと 考えました。知性と理性の高さのなかに改善能力も 含まれるのです。けれども 人間は狼に育てられれば 狼になるわけです。知性と理性を人間らしい行動に 発揮する動機が必要なわけです。 わたしの「やさしさ」を話すと長くなりますし ご理解いただけるか わかりませんので 今回は 概略だけの説明にいたします。 例えば 星の美しさや 石ころや花々に こころを寄せる のは こころに「やさしさ」が存在している証拠です。 人間はその「やさしさ」を 言葉でつなぐことで 猿から人間に分かれたというのが わたしの考え方です。 言葉でつながれた「やさしさ」は 知性・理性を発揮する 動機として働きます。おかあさんの料理や お父さんが 家族のために知恵をこらして 難関を切り抜ける それぞれの動機は やさしさです。 ご回答ありがとうございました。ルソーを読破しての 再度のご考察を お待ちいたしております。
- NyanTama
- ベストアンサー率49% (50/102)
私はH-hokoさんとは両極の考えですが、同族を滅ぼす事の出来る、"種に潜む冷酷なDNA"だと思っています。 類人猿の括りを超えて、哺乳類全般を見ても、我が繁栄の為だけに同族を殲滅出来る種族は稀有な存在です。 我が種、我が家族、自分の不利益にならない相手であれば、同情や憐憫もし、涙も流せるのに、自分に相容れない相手となると、血を流す事も厭わない。文明と言う繁栄の象徴である御印は、自分の星を破壊し、地球にとっては人間はSARSにも勝る侵略者でもある。 ミトコンドリアイヴは、内に潜む邪悪な細胞を感じ取り、やさしい動物達と、その種を分けたのだとは言えまいか。 西暦2000年を超え、邪悪な中にも、最後の一線は踏みとどまるであろう、"やさしさ"と、人間の保存本能に期待するばかりです。
お礼
●さっそくの ご回答をいただきましてありがとうございます。 人間の残虐性・凶暴性は 他の生物を超えて人間だけが 特別に特化した部分でしょうか? どんな生物も自分にふりかかる火の粉を振り払う為や 愛する対象を守るためには その残虐性・凶暴性を 発揮するのではないでしょうか? 人間が とくに目立って争いをするようになったのは 狩猟採集生活から 農耕文化に移った頃だと 考えております。つまり蓄えることのできる 食料が 傭兵やそれまでになかった社会を創る 原因となったと考えられます。 アメリカ兵の賃金は 月収16万円あまり・・・ そのくらいで自分の命をなげだす 状況と 人間のひとのいいやさしさがなければ 成立しないのでは ないでしょうか? 戦争を繰り返す 原因は人間の本質よりも むしろそうならざるおえない 社会の構造にこそ 問題があるのではないでしょうか? イヴが はじめてお化粧をしたとき どんな「やさしい」こころが彼女を 包んでいたでしょうか? ご回答ありがとうございます。
お礼
●物事は考えようによって様々に意味づけされると 捉えてしまうと ひとそれぞれでしょうがないことになります。 実は 物事は考える深さによって様々に意味づけされるものなのです。 「こん棒」を考察してみましょう。 わたしが「やさしさ」と言っている意味を 噛み砕いて説明いたしますと 事象にこころを 寄せる意識を指します。 たとえば 草花に心を寄せる 星空に心を寄せる 風景に心を寄せる 異性に心を寄せる・・・ すべてこの心の動きをやさしさと捉えているわけです。 さて こん棒を考察いたしますと こん棒を手にするには さまざまな動機が考えられます。 敵が襲ってきて こわくてしがみついたものが こん棒だったのかもしれません。 だれかが 振っているのを見て面白そうなので まねをしたのかもしれません。 手でたたくと痛いから こん棒を使うようになるのかもしれません。 つまり こん棒を使うひとそれぞれに理由はあるわけです。 このこん棒を使う動機を限定してしまうことが 無理のある考え方であることがわかります。 こん棒を使うことは 類人猿でも カラスでも あることですから それは人類と類人猿を分けているものではないでしょう。 むしろ こん棒で傷つけてしまった相手に 心を寄せるやさしさ こん棒で割ったくだものの 中身の美しさに心を寄せるやさしさが 類人猿とは 違うところではないのかな? という考えなのです・・・。 ご回答ありがとうございました。