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パブロフの犬
例えば、親からの「人には親切にしなさい」「人に思いやりを持ちなさい」「調和が大切なのです」といった強要、働きかけが原因で、他者に対しての思いやり行為 を普段の生活や街中など対人関係の場で「自動的、反射的に」行う一方、その反射的行為が、自分の意思を働かせて行っているのではないが故に起こる虚無感を埋めようとして、このサイトで他者からの賞賛を浴びようとしたり、無益とも思える「支持者」との交流をする人が居る。このように見受けられますが、どうでしょうか。 犬であればこのようなことは起きないと思われるが、これはやはり人は、自我が在るが故に犬になりきれないということの証明になるのでしょうか?
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noname#94938
回答No.1
それは反射条件パブロフの犬というよりも、親のしつけじゃあないでしょうか。親は子供が大人になっても社会で生きて行きやすいように、愛を込めてそのようにしつけるのだと思います。 不親切な人より親切な人のほうが愛されるし、思いやりある人のほうが好かれるし、調和的な人のほうが生きていきやすいです。 自分の意思でないからといっても、他人から感謝されれば、虚無感は感じません。むしろ、人の親切に対して感謝も出来ない犬以下の他人の非礼な反応に、虚無感を感じるのではないかと思います。 人との交流で多少なりとも充実感を感じるのであれば、その人にとっては、それはそれで益があるのでしょう。 人はあくまで「考える葦」であって、条件反射的にも「パブロフ犬」にはなれないのではないか、と思います。
お礼
補足: ゴキブリが自分の生命の存続を第一命題にしているという意味において、「ゴキブリ以下」ではなく、「ゴキブリ並み」と書いたほうが的確な表現でしたね。 結局は自分のため、生き残りと生きやすさのみしか考えてない本能だけの人間が、子供を 善の名のもとに躾けたり、「自分には愛がある」 とか「自分は善人である」と信じて疑わず、確信して、自己主張、自己顕示をしている、 そういった人間との交流が、一番虚無感を感じるものです。
補足
はい、親のしつけが条件反射となると言っているのです。 人の親切に対して感謝も出来ない犬以下の他人 という言は、正しいでしょうか。実際、犬は人間の「親切」に対して感謝しているのではないでしょう。 結論として、人間は、「愛される 好かれる 生きていきやすい」 等を基準としている、いわば自分のための生き残り、生命の存続が第一命題となっているゴキブリ以下にも成れるということのようで。 条件反射的にも「パブロフ犬」になれないのに、場合によっては犬以下にもなる というのは矛盾していますね。 とにかく、ウツになったり「キリスト教」を信仰したりする人は自分のレベルの低さ、意識の低さを認識することのほうが重要でしょう。