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武蔵が巌流島で使った木刀は現存してるのですか?
宮本武蔵が佐々木小次郎との試合で使用した木刀ですが、現物はどうなったのでしょうか? ご存知の人がおられましたら教えてください。 武蔵が五輪書を書いた「霊巌洞」に残されていたという話を聞いたことがあるのですが…。 また通説では、巌流島の木刀は舟の櫂を削って作られたとされていますが、その真偽について、ご存知でしたら教えてください。(ある本では、舟の櫂を削って作ったのではないと書かれてありました。)
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岡山県英田郡大原町宮本村の宮本武蔵生誕の地といわれる平田家に残されています。 ただし、武藏の生国は複数あり、ここがそうだったかということはわかりません。 また伝来の木刀が、本物かどうかは、わかりませんが・・・ そのようにいわれて伝承されています。 そもそも、巌流島の闘いというものの真偽すら怪しいのですから、その木刀が本物かどうか、ということ自体がナンセンスでしょう。その意味では、この平田家の「木刀」はまさに本物と言えるでしょう。 実物を見ましたが、余り大きな物ではありませんし、船中で櫂で作ったというにしては小振りです。
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史実ではありませんので本物はありません。
お礼
回答を頂きまして、どうもありがとうございました。また、お礼が大変遅くなりましたこと、お詫び申し上げます。 武蔵と小次郎との試合については、真偽も含めて諸説あることがわかりました。 これからも、時間を見つけて自分なりに調べて行こうとおもいます。
- tomban
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かなり「フィクション」の部分が強いものですから、これもそうだと思われます。 坂本竜馬の逸話も、かなりの部分は実証されていません。 比較的最近の話でもそんなものですから、より昔の話だと、もう「信じるに足りないよ」というものはいくつも存在するのです。 櫂というものは、水の抵抗に負けないようにかなり「粘り強い」木材で作られているはずで、しかもいくら乾燥しているとはいえ、水分をたっぷり含んでいるわけですから、日本刀で切削するのは相当な無理がある。 これはもう「力技」ですね、文章上のことだと思います。
お礼
ご回答を頂きまして、どうもありがとうございました。また、お礼が大変遅くなりましたこと、お詫び申し上げます。 武蔵と小次郎との試合については、真偽も含めて諸説あることがわかりました。 ご指摘の通り、櫂を本当に使ったのか、疑わしい面があります。 物語は多い半面、資料に乏しいため、試合の実際について解釈や認識が一致することは無いと思いますが、これからも時間を見つけて自分なりに調べて行こうとおもいます。
- draft4
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存在しないでしょう 巌流島で決闘があったかも定かではありませんから(^^; 二人が島に行ったのは史実ですが、1人で来るという約束を武蔵は破り弟子連れていきましたからね、それで小次郎は弟子たちに殴り殺し 剣よりも謀略だけで生き延びた武蔵ですから、戦いその物が無かったと考えられています、だから木刀も無い。誰も見ていない決闘ですから、 武士が刀を忘れるなんてありえないですから、櫂を削って(その削る刀はなんで持ってるの?ってなるでしょ(^^;)
お礼
ご回答を頂きまして、どうもありがとうございました。また、お礼が大変遅くなりましたこと、お詫び申し上げます。 武蔵と小次郎との試合については、真偽も含めて諸説あることがわかりました。 物語は多い半面、資料に乏しいため、試合の実際について解釈や認識が一致することは無いと思いますが、これからも時間を見つけて自分なりに調べて行こうとおもいます。いずれにしましても、巌流島の木刀は「存在しない」ないし「残っていない」ということですね。
慌てて船で帰って行ったから、確かあれは船頭が拾っていった記憶だけど。 武蔵さんはオリジナルがなくなったから、後日松井さんが欲しいと言ったとき、複製を作ってあげたから、本人も持っていない以上、オリジナルはもうないと思う。
お礼
ご回答を頂きまして、どうもありがとうございました。また、お礼が大変遅くなりましたこと、お詫び申し上げます。 武蔵自らが複製したと言われている木刀は、細川家ゆかりの永青文庫で見たことがあります。しかしオリジナルについては、ご指摘の通り「残ってはいない」ということですね。 もし、あったとしたら、所有者が変わるうちに行方不明になったのか、何かの折に紛失、破損してしまったか・・・。武蔵直筆の『五輪書』ですら行方不明なのですから、木刀の所在不明は仕方ありませんね。
お礼
お礼が遅くなり、大変申し訳ありませんでした。 また、貴重な情報を提供していただき御礼申し上げます。 武蔵自らが複製したというものは、細川家ゆかりの永青文庫で見ましたが、平田家のものについても、可能であれば確認したいと思います。