- ベストアンサー
厳流島で・・・
先日、下関に行って海峡ゆめタワーの展望室から厳流島を見てきました 宮本武蔵と佐々木小次郎が戦った、有名な島です。でも本当にこの二人は実在したのでしょうか?。 下関の観光地にケチをつけるつもりは毛頭ございません(笑)。
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
宮本武蔵は実在の人物と確認されています。 武蔵が細川家の重臣に宛てた書状が何通か残っており、これを歴史家が綿密が調べた上で本物と断定しています。 又、吉岡一門となんらかのもんちゃくを起こした事は複数の資料から確実視されています。 ただ、一般に言われている「吉岡兄弟に勝利し、その後吉岡一門と戦った。」はかなりの部分が創作とされています。 一方の佐々木小次郎については実在の人物と確認されていません。 そのため小次郎については成年・出身地・仕官暦等が不明となっており、 架空の人物ではないかという意見もあります。 このため、「厳流島が実際にあったかどうか」も正確には確認されていません。
その他の回答 (4)
- busido2006
- ベストアンサー率23% (12/52)
武蔵実在説についてはいろいろご意見が出ているようなので、 私は、小次郎実在説に一票! 確かに、佐々木小次郎は武蔵に比べ資料も少なく、 その出自や決闘当時の年齢などこんにちでも歴史家の間で 議論されています。 そこで、巌流島という島の名前に注目してください。 決闘が行われた当時、この島は「舟島」と呼ばれていたそうです。 なぜ、巌流島に変わったのか? 巌流とは小次郎の創始した兵法の一派を指し、又彼の号でもありました。 彼の地で命を落とした小次郎を偲んで、 人々はこの島を「巌流島」と呼ぶようになったようです。
お礼
ほへ~。 小次郎は実在したんですね。 説得力の有る言葉で納得しました。
- Pinhole-09
- ベストアンサー率46% (597/1294)
武蔵の養子の宮本伊織が、小倉の手向け山に立てた碑文に、巌流島の試合(決闘)が書かれているそうで、実在は確かと考えられます。 伊織が残した文書もあると言われています。 武蔵が五輪の書に、巌流島の記載がないのは、小倉藩に差し支えがあると考えたのでしょう。 またこの試合は苦い思い出だったと思います。
お礼
う~ん、なるほど・・・ 有難うございます。
- ben1151
- ベストアンサー率22% (153/681)
武蔵は、書も絵も残るところから、文句なし、実在でしょう。 佐々木小次郎も、実在したと、考えます。 絵に描いたような、決闘が、あったかどうかは、別にして。 当時、きちんとした、出自がわかる人のほうが、少ないです。
お礼
ありがとうございます。 歴史を推理するのは楽しいですね。
宮本武蔵については、実在の人物だと思っております。 剣豪としてだけではなく、画家としても優れた作品を残しています。 東京・両国にある江戸東京博物館をご存知でしょうか? 数年前の企画展にて、宮本武蔵の画家としての作品が数点、展示されました。 佐々木小次郎の方は、よく分からないです。すみません。ただ、宮本武蔵と比べると不明な点が多いらしく、架空の人物ではないかという説があるようです。
お礼
有り難うございます。僕も佐々木小次郎の方がどうも・・・ って、思っていました。
お礼
有難うございます。 やっぱり小次郎は怪しいですね。