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再建された城は遺構より少し上につくられている?

タイトルどおりなのですが、焼けてしまったり、壊されたりして、現存していない城郭建築について、発掘作業などで、当時の遺構などがでてきたときは、その真上ではなく、何十cmか何mか上に、再建するということは、良くあることなのでしょうか。 また、天守閣などがなくても、石垣だけが残ることはままあると思うのですが、そういうところで再建事業を行うときは、その石垣をそのまま使うのでしょうか。 具体例や参考URLなどもあげていただけるとありがたいです。

みんなの回答

  • syunpei
  • ベストアンサー率27% (194/717)
回答No.2

良くあるどころか、遺跡の上に再建をする場合は 盛土をして遺構を保護して、その上に再建されることになります 戦後、無判別に鉄筋コンクリートの天守閣が各地に 建てられましたが、郡上八幡城(S8)、伊賀上野城(S10)は、木造で復興された。現在では大阪城が再建第一号で、約30あまりの天守閣が全国にある。 現在では、RCの天守は建てられません もともとそこに建てられた建物を忠実に再現したものでないと、再建できないことになりました 木造天守があったなら、木造天守で無いと建てられません 大阪城は鉄筋コンクリートの重さを石垣にかけないように工夫され、以降の天守復元のモデルとされました 大阪城天守再建 http://homepage2.nifty.com/tktaku/OSAKA_CASTLE/AboutTenshuTower/tenshusaikou.htm 市民が建てた天守閣 http://oisc.jp/sukiyanen/7fushigi/oj9711/ 岡山城再建 http://www.city.okayama.okayama.jp/museum/okayamajou/history/history4.htm 江戸城再建計画 http://www.ne.jp/asahi/shin/ya/uneisha/edo.htm 平成5年に再建された木造の掛川城 http://shizuoka.cool.ne.jp/funcargo/shiro/tootoumi/kakegawa.htm 安土城整備 http://osaka.yomiuri.co.jp/azuchi/ca991105.htm 安土城再建いついて・・・盛土による遺構保護 http://www.azuchicho.org/tourist/shiro_03_03.html これは城郭ではありませんが国分寺の遺構の保護と盛土についてかかれています。 跡武蔵国分寺跡(僧寺地区)保存整備のあり方について http://www.google.co.jp/search?q=cache:OrAHM0FFO4oJ:www.city.kokubunji.tokyo.jp/siryou/kouhyou/04siseki/mkokutousin.pdf+%E9%81%BA%E6%A7%8B%E4%BF%9D%E8%AD%B7,%E7%9B%9B%E5%9C%9F&hl=ja&ie=UTF-8 広島城は天守はRCですが二の丸表御門 多聞櫓・太鼓櫓が木造で復元されました http://www.geocities.jp/yasutoshi_r/shiro/hiroshima/hiroshima1.htm http://www46.tok2.com/home/arc/hiroshima/hiroshima_02.htm 城について ・・・名古屋城の御殿の発掘の様子、掛川城には現存する御殿の写真など http://www.casanavi.co.jp/column/column_onko/col_onko11.html http://www.casanavi.co.jp/column/column_onko/col_onko12.html http://www.geocities.jp/yasutoshi_r/shiro/hiroshima/hiroshima1.htm 仙台城本丸跡石垣の保存活用と艮櫓再建計画について http://www.miyagi-ann.org/arc/castle/miyagi-ann.htm 金沢城跡を掘る http://www.ishikawa-maibun.or.jp/maibun/hakkutu_99/kanazawajou/kanazawajou_03.htm 蛇足ですが 江戸城や大阪城には、焼け残った江戸期の建て物が残っているのは、とても嬉しいことです。 広島の福山城には、廃城となった伏見城の筋鉄御門、御湯殿、松之丸御櫓、火打櫓、月見櫓、追手御門、能舞台、多聞のほか、三基の橋などが移築された。伏見櫓、鐘櫓、筋鉄門は今も現存。

noname#118466
noname#118466
回答No.1

戦乱で焼失した城の元通りの再建、規模を変えての再建、昔の山城や砦を利用した本格的な城の建築などによって状況は異なると思います。礎石や石垣が残っていて、そっくり再建する場合は昔どおりになると思われますが、多くの場合は規模が小さくなるので、前の礎石は使えなくなり利用可能な石を取り除いて整地をするため遺構の大分上に再建されたのでしょう。 注意しなければならないのは、織田信長時代までの日本の城には天守閣が無かったので、城といっても砦のような感じだったと思います。(江戸城、大阪城も全く新しいところに築城されたものではありません)従って発掘すれば遺構は出てくるでしょうが、それをもって再建された城跡とはいえないと思います。遺構を利用した新しい城だからです。

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