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「芸術的悲劇作家は、また同時に芸術的喜劇作家である」
こんにちは。 ご存知プラトン著『饗宴』での末尾、 ソクラテスがアガトンとアリストファネスに「芸術的悲劇作家はまた同時に芸術的喜劇作家である」という議論を展開し、また二人を納得させていた(とアリストデモスは言った)部分があります。 プラトンの技法によって、もしくは話題外であったため削られてしまいましたね。 そこで質問させていただきます もし皆さんがソクラテスだったとしたならば、どのような論理展開で以って「芸術的悲劇作家はまた同時に芸術的喜劇作家である」という命題を完成させますか? よろしくお願いします。 ちなみに私は悲劇喜劇に関しての心得が全くございませんので見当もつきません…。
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補足
ありがとうございます。 なるほど。 視点を変えると同じ自称も意味が変わるということですね より深い悲しみを被る者がいれば、逆に喜ぶものがいる、と。 ではもう一つ質問させてください。 私は前述の通り、劇きは疎いのでわからないのですが、絶対悲劇なるものは存在しないのでしょうか?