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「メルボルンの悲劇」はなぜ「悲劇」なのですか
「メルボルンの悲劇」はなぜ「悲劇」なのですか 1998年のFIFAサッカーワールドカップフランス大会の予選で、 大陸間プレーオフで、オーストラリアがイランにアウェイゴール数の差で敗退したことを、 「メルボルンの悲劇」というそうですが、 オーストラリア側から見れば悲劇でも、イラン側から見れば、喜ばしいことなのに、 なぜ、「悲劇」と言うのでしょうか。
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それを語る側がどちらに肩入れしているかというのが一つ、どちらが残るかというのがもうひとつの事情でしょう。 負けた方は悔しくていつまでも語り継ぐが、勝った方はあっさり忘れちゃうので、○○の悲劇はたくさん語り継がれる、○○の奇跡とか、××の歓喜というのは、意外に残らない(マイアミの奇跡なんかけっこう忘れているのでは)。 ドーハとジョホール・バル、今でも語られるのはドーハの方が多いんじゃないかな。 それに、イランがジョホール・バルの敗戦を語り継いでいるかと言えば、その後、メルボルンで出場権掴んでいるので、多分、ほとんど忘れていると思う。 つまり、イランでは「メルボルンの歓喜」なんて言葉がその場では生まれたかも知れないが、日本のマスコミはイランに肩入れしていないので、オーストラリア主語で書いている上に、歓喜の方は遠の昔に記憶の彼方ということでしょう。
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- h4414315
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回答No.1
後半残り20分ぐらいまで2-0でリードしてて出場濃厚ムードだったのに その後続けて2失点したのでオーストラリア側からしたら「まさか」という 感じだったので悲劇。それに加え大陸予選・プレーオフで通算6勝2分と無敗 だったのに本大会に出れなかったので余計「これは悲劇だ」となったのでは?
質問者
お礼
ご回答ありがとうございました。
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