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人生の希望を失った人へ
人生の希望を失った人たちに 少しでも生きる大切さと喜び伝えたいのですが うまく表現できません。 相手に勇気を与える表現を教えて下さい。
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本当の成功者、幸せを掴んだ人に共通しているのは、大抵、一度はどん底に落ちて、そこから這い上がる過程で本当の実力を培ったり、ヒントやチャンスを物にし、本物の成功をつかんでいるということ。 苦労や困難を経ずして掴んだ成功は、脆い。今、どん底にいるなら、苦しみ、悲しみが大きいなら大きいほど、実は成功するための条件が整ってきたということ。 失うものが何もないくらい、落ち込んだなら、それこそ最高のチャンス。もう、無理して頑張らなくてもいい。やりたくないことはやめてしまえばいい。やりたいことを、やって楽しいことをできるような環境になったということ。 あなたには素敵なところがいっぱいある。それを活かす道がきっとある。
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- jume
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お返事、拝読いたしました。いくつか質問があったので、答えることができる範囲でお答えしたいと思います。 まず何の為に生きるのかとは、またとても、つらい問いですね。答えるのもつらいですが、問われるのはもっとつらいです。しかし、あえて答えてみるなら、(僕もよく分からないのですが)少なくとも僕という人間は、今、「何の為」と言えるような目的があって生きているのではないと思います。何かやりたいことがあるとか、将来どんな生活がしたいとか、そういうものがあって、だから「生きている」のでは、ないです。身も蓋もない言い方をしてしまえば、生きちゃってるから生きてるのであって、「何の為」なんていうご大層なものはありません。 それに僕は、「生きている」のではなく、「生かされている」という気がしています。僕を生かしてくれているのは、別に天にまします我らが神…ではなくて、僕に関わる身近な隣人たちです。朝に交わした「おはよう」という家族の声や、一緒に歩いた友達の足音や、もう死んでしまった人のかすかな面影や、「またね」と言った人の笑顔や、庭に干された洗濯物なんかに浮かんでは消える隣人たちです。 唐突ですが、人は、どうやって自分が「生きている」ことを知るのだと思いますか? 生まれたばかりの嬰児は、自分が生きていることを認識しているでしょうか? 僕は、人と、つまり上に挙げたような隣人たちと関わることで、自分が存在するということを認識していくのだと思います。僕が、前の回答で「人生の希望を失ったように落ち込んでいる人に、勇気を与える言葉なんて無いのではないか」と書いたのは、その後で「一緒に飯を食う」ことが幸福だと書いたように、言葉以前に取り戻さなければならないものがあるのではないか、と思っているからです。それが「隣人」という存在であるのは言うまでもありません。 僕にとって、夢や希望は人生の付加物でしかありません。何の為に生きているのか、という問いには、ですから、「隣人」がいるから、と答えたいと思います。あるホームレスになってしまった男性が言っていました。人間はひとりでは生きていけないのですね。 それから、「うつ病の人はどうやって立ち直っているのでしょうか」というご質問ですが、これ、「立ち直る」のではないんです。「直る」とか「治る」とかって、ダメな状態から、普通の状態になる、ということですよね。「うつ病」の人たちも、そう思って、つまり「治そう」と思ってがんばるわけです。本来、うつ病になってしまうような人は、がんばり屋であることが多く、がんばりすぎてうつ状態に陥ることが多いようです。ですから、「治そう」という努力は、かえって逆効果なんですね。で、どうするか、というと、ついがんばりすぎてしまう完璧主義な自分とうまく付き合う方法を学ぶんです。がんばることはいいことです。でもがんばりすぎて無理をすると、引っ張りすぎたギターの弦みたいに、良い音は出さないわ、切れやすくなるわで、あまり良いことはないんですね。ほどほどを学ぶということです。ですから、「うじうじしている」わけではないんです(うつ状態の人に「うじうじするな」とか言っちゃダメですよ)。 人間って、みんな一生懸命生きてるんですよね。でも、みんな同じじゃないから、合う人、合わない人、合う仕事、合わない仕事というのが必ずある。そこで咬み合わせが良くないと、しかもがんばり屋だと、もう…。行き過ぎる手前で、適当に息を抜くことができれば良いんですけどね。難しいんです。そんなつい行き過ぎてしまう人や他の理由でとてもつらい思いをしている人の支えになるのは、多分、「隣人」の存在しかないでしょう。だから、飯食おう、って必ず他者を前提にした言葉ですから大好きなんです。それに一緒に飯を食うというのは、なんか命の根幹にかかわることを一緒にするわけですからね。なんか命を分け合うみたいでいいなあ、と。おはようとかおやすみも近さが感じられて、いい言葉ですよね。 では、長々と失礼しました。
- mas703
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この間、荒木一郎のコンサートをテレビでやってました(日本のシンガーソングライターのハシリみたいな人です) その中の話で「自分は生きてる値打ちのある人間なのだろうか」と真剣に悩んだ事があったそうです。 そんな時に猫がそばにやってきて食物を与えたら喜んで食べてくれたのだそうです その時に「俺はこの猫の役にたったのだ」と思って そんな風に生きてみようと思ったそうです そんなものではないでしょうか? 大げさに考えずに先ずは身近なところから見つけた方がいいと思います
- jume
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僕は、人生の希望を失ったように落ち込んでいる人に、勇気を与える言葉なんて無いのではないか、と思います。 うつ病という病気があります。僕も原因についてはよく知らないのですが、脳内物質とか何かそのようなものがストレスやいろいろな要因からバランスを欠き、その結果、非常に強い絶望感や自死願望に襲われる、という病気です。もし強い意味で「人生の希望を失った人」がいるのだとすれば、うつ病の可能性が高いです。そんなうつ病の人に絶対かけてはいけない言葉が、「生きる大切さと喜び伝え」るような言葉です。そのやさしい善意の言葉が彼/彼女の精神的な負担になってしまうのだそうです。 希望とか、喜びとか、勇気とか、そんなものは、生きる選択をした者が自分の好きで持つものだ、と僕は思います。人間は、そんなものを持たなくても生きていける。生きるということはひどくシンプルなもので、人生に張り付いているさまざまな虚飾をはがしてしまえば、自分の存在を是とする人たちと一緒にものを食うことしかできない。 生きる選択ができないでいる人に言葉が要らないというのではありません。僕自身、うつ病というほどではないにせよ、かなり抑うつ的な気分が強い状態が続いているのですが、類は友を呼ぶのか、僕の周りにも精神的に不安定な人が何人かいます。ふとした拍子に、「死」という文字が浮かんでしまう人もいます。そんな時、いつも僕は言葉を失います。その人の前でみっともなくおろおろします。やっと出る言葉は、死なないでね、だけ。 人間は言葉をたくさん持ってるけれど、大切なことを伝える言葉はそんなに多くないみたいです。せめて死なないでいて欲しい。あなたが所有するものや権利や財や他の何を失ってもいいから、せめてあなた自身だけは失わないで欲しい。 その後は、なんでしょうね、「気が向いたら、一緒に飯でも食おうよ」、とかですかね。一緒に飯を食ってくれる家族や友達が少ないけど「いる」ということは、実は、この上ない幸福だったんだなぁ…。ああ、そうか、そこで初めて「希望」が生まれるのかもしれませんね。これ書いてて気付きました。
補足
JUMEさんの心情察しします。 でもJUMEさんは何の為にいきているのですか? 夢、希望はないのでしょうか?私の周りには精神不安定な方がいなく、うつ病というのも見た事もありません。 もしJUMEさんの意見が正論だとすればうつ病の人はどうやって立ち直っているのでしょうか? いつもうじうじしているのでしょうか?
補足
なるほど、人生の成功者はかつて敗北から立ち直った人なんですね。勉強になります