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文章を好んで書く方に質問したいのですが
「青い」「蒼い」、「全て」「総て」のように、書き方の二通りある言葉がありますよね。 皆さんはこれをどんなふうに使い分けていますか? どうも、一般に広く通用しないほうの(「蒼い」、「総て」の群)字の使い方をされている最近の文章の大半は、 その漢字を使うことに明確な意味を持っていないように感じます。 「通用から外れているから、一般と違っていてなんとなく格好良い」、 そんな根拠のない感覚で乱用されているように感じてしまいます。 それが悪いことだとは思わないのですが、 もし明確な基準を以て使い分けている、という方がいらっしゃいましたら、ぜひともその基準を知りたいです。 古典に基づく調査は私自ら追って致しますので、あくまで現代語の上での回答をお願いいたします。
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質問者が選んだベストアンサー
「文章を好んで書く」人間ではありませんが、文章に接する仕事をしています。 他の方々がどういう使い分けをしているかは分かりませんが、私は、「漢字が違えば意味が違う。自分の表現したい意味に近い方の字を用いる」というスタンスです。 つまり、「青」と「蒼」では、意味が違う(目に見える色彩が違う)ので、「青い」ものには「青」、「蒼い」ものには「蒼」を使います。 また、「全て」と「総て」については、大学時代、先輩から、「“全”の字に“すべて”という読み方はない。意味としては似ているが、そういう読み方、使い方をするのは間違いだ」と聞いてから、平仮名で書くか「総て」の方を使うようにしています。 それほど専門的に学んだわけではないですし、ちょこっと辞書類を見た上での判断なので、間違った解釈をしている場合もありますが、とりあえずは字義の通りに表記するように努めています。
その他の回答 (5)
青い→色のBLUE 蒼い→心情のBLUE 全て→一つ残らず指す 総て→一つにまとめる 私はこう使い分けてます。 なんか分かりにくくてすみません(笑)
お礼
なるほど心情ですか。 確かに沈着した、あるいは憂鬱なといったような心境を想起させる効果があるかもしれませんね ありがとうございました!
言葉(日本語にせよ、中国語、英語などにせよ)は相手に意味を伝えるための道具として、より多様な意味が表現できればそれだけ良いといえます。日本語は沢山の漢字とひらがな、かたかな、更にはアルファベットなども取り入れて、文字そのもので言えば、アルファベットや漢字だけで表現する国の言葉よりも、習得が難しい半面、より多様な表現が可能な優れた文字を持っていると言えます。 その考えをベースにして思うのですが、 >どうも、一般に広く通用しないほうの(「蒼い」、「総て」の群)字の使い方をされている最近の文章の大半は、 その漢字を使うことに明確な意味を持っていないように感じます。 そういった現象もあるのかもしれないと私も思います。でもそういった2例の漢字の他にも、同じような意味をあらわす異なった漢字はたくさんあるのではないでしょうか(笑う哂う嗤う などもそうですよね)。 今すぐひとつひとつそれらの意味合いの違いをここで縷々説明する力量は私にもありませんが、間違いなくそれらには微妙ではあっても意味合いの違いは存在しますし、力のある文章家はそれらの違いをあるときには論理的に明白にではなくとも感覚的な場合も含めてしっかりと認識して使い分けていることは確かです。 質問者様がこれらの意味の差の疑問を持たれ、ご自分で納得されようと考えるなら、ネットの中の最近の素人文章だけでなく、近代を通じた多くの評価の定まった小説家や文章家の作品を読まれて、その違いの意味を調べられるのが良いのではないでしょうか。 >古典に基づく調査は私自ら追って致しますので、 私たちも常にそうやっていることです。それこそが基準なので、ここで私たちにざっくりと問われることは余り意味のないことではないだろうかと思うものです。
お礼
ありがとうございます。 厳密な意味の違いが知りたいというよりは、今現在において文章力の巧拙を問わず個人によってどんな使い分けがされているのか、その例を集めたかったのです。古典を調査することが「紆余曲折」を知ること、現在の状態を調査することがその結果を知ることと考えております。 「わらう」の話、もちろんそうです; 挙げた例についてだけでなく、「書き方が複数通りあって意味も類似のものすべてについて」ということを表したかったのですが、表現がまずかったようです。訂正いたします、すみません
- bakansky
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私が「文章」らしきものを書くとしたら、ブログに載せる文章くらいのものですが、「蒼い」という表記は用いたことがないです。 もしも必要があれば、「顔色が蒼い」という場合に使う程度でしょう。 「総て」にいたっては、これまでも使ったことがないし、これからも使う機会があるとは思えません。
お礼
なるほど、慣用句で使う場合はありますよね。 それ以外では使わないという意見も一例として参考になります。 ありがとうございました。
大学教員なので文章を書くことは基本的作業ですね。これでまともな原稿料(印税)をもらったことは,ほとんどありませんが。 冒頭の例については, 「青い」:使う 「蒼い」:使わない(「青い」で事足りるから必要ない) 「全て」「総て」:ひらがなで「すべて」と書くのが原則 >一般と違っていてなんとなく格好良い この10年ほどでしょうか,週刊誌で「嗤う」をときどき見かけます。ぼくは文章の人間であるにもかかわらずこれが読めず,しばらくの期間は「<あざわらう>なのかな?」と誤読していました。こういう字をかっこいいと思う感覚は,暴走族がいかつい漢字を並べ立てて落書きしているのと何ら変わりません。 基準は,専門用語をのぞけば,「高等学校までに習う漢字を使う」です。
お礼
正式な文書で使われないのはわかりますが、週刊誌は使うんですね。文芸的な、あるいは見る人の限られた趣味的な文章の中だけの話かと思っていました。 暴走族の文字はそれはそれでビジュアル的に面白いと思いますけどね^^;;感覚が似ているといえばそうかもしれません ありがとうございました!
- trgovec
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こういう使い分けは漢和辞典の巻末などに細かい使い分けが載っているものですが、自分の場合、こういうところに書く文では必ず一般的な方を使います。「青・蒼・碧」のように意味の使い分けが必要となる場合はその限りではありませんがそういうことはめったにありません。また文芸や何かのタイトルで使うのを非難する気はありませんが、そうでない文章でそういう個性の表し方をするのは格好いいこととは思いません。 当用漢字・常用漢字がなかった頃の文章や高齢の方の文章、比較的若くても作家の方には独特の漢字遣いをする人がいますが、それを一般人がまねてもそれこそ真似をしているとしか思えません。当用漢字・常用漢字を全面的に支持する気はありませんが、だからといってわざと外れた使い方をすることに(文芸など意外では)意味があるとは思えません。 以前「“言う”と“云う”の2通りの字を見ますがどのように使い分けられているのでしょうか」という質問があり詳しい回答が寄せられていましたが、漢字の成り立ちや漢文における使い分け「だけ」を書いたものが多く正直苦笑してしまったことがあります。そういうことを尋ねているのではなく現代の文章でのことを尋ねているのに気づいていないのです。 このような漢字の使い分け以外にも必要以上の漢字の使用、たとえば「~では無い」「~出来る」「~という事」も同じことが言えると思います。
お礼
一般的な字以外は使わないという回答が多く、驚いています。 真似こそが、一般外の漢字が使われる理由なのかもしれません。考えさせられます; ありがとうございました。
お礼
知識によって使い分けていることもあるんですね! いわれてみれば、字を見れば青と蒼は染料が違うことが明らかですし漢文の訓読では全はまったくとかまっとうとか読みますもんね。 ありがとうございました。