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上洛した景勝の兵の滞在費用負担はどっちがした?
天地人は、ホームドラマ専門の脚本家で、まるで景勝兼続二人で上洛したみたいに描かれているが、実際は3千の兵を引き連れての上洛。 かなりな出費なはず。 関が原のとき、福島正則が自分の城に東軍を泊めたときに、兵糧を食いつぶすのかと、かなり不機嫌だったらしいが、3千の兵の滞在費は大変なものだろう。 その出費を強要されたと考えるべきなのでしょうか? それとも、佐渡を手にすることを黙認してもらった見返りに、自費で上洛して、軍資金はいくらでもあるというPRを、景勝側がしたのでしょうか? それとも、謙信の晩年の宿願の上洛を子供の景勝が果したのでしょうか? 謙信は上洛しても、君側の奸(将軍から見て)の信長を排除した後、将軍天皇一向宗と仲良く会談して帰っていったと思われるので、景勝の上洛は、検診の目指した上洛と似ているともいえるので。 ま、とにかく、質問内容は、景勝の上洛の際の、兵三千の出兵滞在費長は、景勝持ちなのか?それとも、招いた秀吉持ちなのかが質問です。 今は旅行では、ホテル代が大きいですが、兵が寺院に宿泊したとして、ただだったのかとか、兵は野宿したとか、どこに兵が留め置かれていたのかとかの断片的な情報でも、いいです。
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- jkpawapuro
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兵を動かしたときにかかる費用は、基本すべて自分もちです。 ただし兵の宿泊所等を歓待する側が手配した場合、歓待する側が寺院に褒美等を後で取らせます。もちろん食事の提供を行う場合もありえます。(とはいえ基本的な糧食の提供ではなく、馳走と酒を一度提供するなど接待の一環程度でしょうが。) 兵三千となると洛中に入れるには過大でしょうし、おそらく街道沿いの野原にでも駐留したのではないでしょうか? もちろん出向く側が莫大な出費をするのですが、歓待側が特に事情等を鑑みれば、それに勝る贈り物をするであるとか、外交上の便益を図る等でむくいることもできます。上杉家の場合は佐渡・出羽切り取り次第となっていますね。当時越後さえ支配し切れていない上杉が、その後結局佐渡と庄内地方を手中に納めています。まあ基本は所領安堵を認めてもらうために上洛・拝謁し臣下の礼をとるわけですが。
お礼
「臣下の礼」というのは、時代劇の見すぎでしょうが。 そうか、出羽ですか。 北前船の港がたくさんありますから、関銭収入が大きく見込まれますね。 関が原の時も、逃げた家康を追わずに、出羽で戦争してますからね。 謙信と違って、関東管領じゃないから、出羽との戦争にも気を使うって訳ですか。 富山、糸魚川で戦った佐々成政も秀吉にやっつけてもらってますからね。自力で佐々成政と戦う事を思えば安い出費ですね。