- ベストアンサー
イデオロギーとは何か? 考え方や行動の背景について
- イデオロギーとは、人々が自身の好みや潜在意識に基づいて生じた主義や主張のことです。
- 生物は自分にとって心地よいものを受け入れ、心地よくないものを排除する傾向があります。
- イデオロギーは、個々の好みや潜在意識から生まれ、人々の生き方や行動を方向づけるものと言えます。
- みんなの回答 (6)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
☆主義、主張は、好き嫌いという大木から生えている枝葉のようなものなのだ!! いいですね。その通りだと思いますよ。好き嫌いが積み重なったものを個性というのですね。 大木が枝をつけ、その枝が無数の小枝をつけ、その小枝に無数の葉っぱが育ってます。葉っぱが個性化というようにとれば、主義主張も同じですね。全ての葉っぱが同じでないように主義主張も微妙に違いますね。 元の枝や幹が共通部分でしようか。 好き嫌いは幹や枝の分岐点なのかもしれませんね。それを永遠に繰り返して現在のあなたがあるとも考えられますね。 これを生命の木とも呼ぶんですね。好き嫌いの木と呼んでも一向にかなわないですね。
その他の回答 (5)
- mmky
- ベストアンサー率28% (681/2420)
特別な参考程度に >>もう回答の必要はありません、というように受け取れたので、コメントは控えていますが、ferpeausさんの『残念』がいまひとつわかりかねるのです。 ☆ 二人のやり取りのすれ違いはどこにあるのでしょうか。 ● コメント 質問者の回答条件: 完全に主観をゼロにすることが不可能なことを前提にして下さい。 yy8yy8azさんの回答: 「主観を通して物事をありのままに観ることができる、ということはありえないと思います。」 質問者さんは主観、つまり自身のお考えや見方をなくすることはできないとお考えですね。その上でありのままに見る方法はあるかと問うているのですね。 yy8yy8azさんは言葉の上で「主観を通しては無理。」と答えたわけですから。それじゃとなるわけですね。 つまり、yy8yy8azさんの考えている主観と質問者さんの考えてる主観の相違から来ているようですね。 確かに、ありのままに見ることは私の感じでは質問者さんが現在お持ちの考え方、ものの見方(主観)では到底無理ですね。釈尊であれば無記であったでしょう。つまり、まずは修行して来い。話はそれからだということですが、それで私は最初「1日橋の隅にでも立って観察し、座禅でもしてそれを思い出しなさい。」と答えたのですね。 質問者さんにはお馬鹿な回答と思えたでしょうが、禅宗の坊主であればそのように答えるでしょうね。続いて何度か関連質問を立てられたので、何とか理解できたのではないでしょうか。 確かに主観は必要ですが、その主観は現在あなたがお持ちの主観ではだめですよ。でよいと思いますがそれをyy8yy8azさんは「経験を通して得た知識、価値観、好き嫌いの感情などに影響されない心境」とおっしゃってますね。これはあってるのですが方法の提示が必要ですね。 そこで私はその方法として「正信なくば正見なし。正見なくば正思なし。正思なくば正語なし。・・」を持ち出してお答えしたのですね。 回答は質問者の主観や意図を尊重しつつも知りえたことをありのままに伝えるということなのでなかなか難しいですね。 だから理解されずいろんな気がめいることもあるのですがそれを乗り越えないとね。
お礼
詳しく説明してくださったので‘理解できた’かもしれません。 質問者さんの「前提」を見逃して回答していることに気づきました。 本当にありがとうございました。
- shift-2007
- ベストアンサー率14% (143/1013)
#4 >主義、主張は、好き嫌いという大木から生えている枝葉のようなものなのだ!! これが全てならいわゆる「愛」はどう説明しますか。
補足
愛にも母親の子に対する本能的とも思える愛情から兄弟愛、隣人愛、郷土愛、博愛というように、育つもの、育てるものではないかと思います。 人間 神、仏 愛情 = 感情 → 愛 = 慈悲 好き嫌いという好悪の大木が全てとは思っていませんが、今回の質問はそう言っているように受け止められてしまうのでしょうか。 根っこの部分を「感情」と言ってよいものかどうか、私の心への認識レベルでは、迷います。 喜怒哀楽といった要素をもって取り上げられる‘愛情’ともなんか違うような。
- shift-2007
- ベストアンサー率14% (143/1013)
#1 円であり四角である物はなんでしょうか。 答えの一つとして円柱です。 円という答えも、四角いという答えも正しいのです。 ただし、それが円柱を説明する上での方便である事を分かっていなければならないのです。 同じように、あらゆる主張は部分的に常に正しいのです。 故に、質問者さんの主張も正しいのです。 そして、質問者さんの主張は間違っているという主張もまた正しいのです。 だから何でもありなんです。
補足
枝葉の部分を取り上げたのではなく、bragelonneさんの言うように根っこの部分を取り上げたのです。 そこのところの感想を聞かせていただけるとありがたいです。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
こんにちは。 ★ 主義、主張は、好き嫌いという大木から生えている枝葉のようなものなのだ!! ☆ そのとおりだと思います。問題は ○ それでは 《根》は 何か? ☆ でしょうね。 まづ ★ 好き嫌い ☆ は 《くせ》と言いかえると 広く一般的な通用性が出て来ます。《エートス》と言えば 聞こえがよいようです。《人間類型》とも訳されています。 これが 《幹》だとして では 《根》は 何でしょう? ★ まず人には、好みという潜在意識?のようなものがあって、それに生き方が方向づけられ、次第に主義、主張といったものが生まれ固まっていくのではないかと、思ったのです。 ☆ ということであれば ○ 《好み》が 根でしょうか? あるいは 別の言い方で問えば ○ 曲がったことが嫌いだという場合 この根からは どういう幹が生えてくるでしょう? ○ 少々のちょろまかしはするが 不正はやりたくないという好みの場合は どうでしょう? ○ あるいは けっきょく 《根っから》 悪が好きだという場合 どういう人間が育つでしょう? ☆ こう考えるとき もし《好き嫌い》がひとをつくる根だとすれば どういうイデオロギーが 育ってくるでしょう? さまざまな種類の木になるでしょうし 枝葉に到れば 千差万別ではないでしょうか? ★ 世にイデオロギーなるものがあって、それに忠実に生きている人たちがいて・・・ ☆ おそらく この事態は また別の話ではないでしょうか? 大木としてつくられたあと そのイデオロギーに忠実かどうかは あまり関係ないのではないでしょうか? なぜなら イデオロギーを持たない大木のひとでも そのイデオロギーの無というイデオロギーに忠実に生きているからです。それが 《くせ》だという所以でもあります。 ということは 《根》が重要だということは 確保しておいて あとの話は――つまり 大木や枝葉の話は―― 人間にとって あまり重要でないようにも思われます。 つまり 人間は 木ではない。と考えられます。イデオロギーを変え得るということです。言いかえると それに忠実であるかどうかは どうでもよいのであって イデオロギーの中身が大事だという話になります。のではないでしょうか? わたしの場合 こういう《主義主張》です。
補足
何度も読み返してしまいました。 だって、わかりにくいんだもの。 たぶん、私の表現「イデオロギーに忠実な人がいて立派だなぁ」に、ちょっと引っかかるものを感じたのではないかと思いました。 あそこは、ごく単純に、素直な気持ちで、そうした‘知識人’たちを見ると、つい感心してしまう、といった気持ちを言ったまでです。 ‘イデオロギー’といったものにはなんでも価値がある、なんて考えているわけではないのです。 でも、 bragelonneさんの‘良心’に触れた思いがいたします。 こんな受け止め方でよいでしょうか。
- shift-2007
- ベストアンサー率14% (143/1013)
何でもありなんですよ、全ては方便なのだから。
補足
ちょっと意味がよくわからないのですが。 何でもあり? すべては方便? 何を言おうとしたのでしょうか。 もう一度、ぜひ、感想を聞かせてください。
補足
mmkyさん。「座禅せば四条五条の・・・」での私の回答に、質問者ferpeausさんが、『極めて残念です』と答えておられます。 もう回答の必要はありません、というように受け取れたので、コメントは控えていますが、ferpeausさんの『残念』がいまひとつわかりかねるのです。 二人のやり取りのすれ違いはどこにあるのでしょうか。 質問者さんの心持を理解しきれていなかったからだとは思っているのですが。 別件ですが、特別にということで、よろしくお願いいたします。