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◇色の見方、見え方について
例えば太陽光線によって、ある物質が赤く見えている(反射によって)場合、それは 太陽光線の中の赤以外の色を吸収し、同時に赤を反射するから赤く見える. という考え方で良いと思うのですが、 「見る」と言う行為は能動的なわけで、その色を「捕える」行為であると考えれば、例えば脳から発する微弱な電気を「脳波」として測定できるように、目から何らかの電磁波と言うべき様なものを発して、「色を捕らえる」という考え方もできるのではないかと思うのですが、どう思いますか? 見る、見える という行為は「目の網膜器官によって生じる」、完全に受身的なものなのでしょうか.
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オコリザルです。 哲学に疲れた息抜き投稿です。 お許しください。 >ルドルフ・シュタイナーは彫刻⇒絵画⇒音楽⇒詩作の順に芸術レベルが上がって行くというようなことを言っていたようですが、それについてどう思われますか? 感性ですから人間本性に備わっている。 そして、世界を認識していく過程なり発達段階はそうかもしれません。
オコリザルです。 ひとつうっかり漏らしていました。 > ゲーテがモーツァルトの音楽は悪魔が人間をからかうために作らせた といっていたようですが、ゲーテの色彩論や音楽論は正しいと思いますか? 写真家が自然と対話するように自然界を美しい旋律で表現した。 一般的な評価で十分です。 知性的な取り組みをしようとすると悪魔が忍び寄ります。 ゲーテの評価はそのようなことの表れでしょう。 哲学もそうです。 感性の話が第六感にすり替わるのはいかにもくだらない。
オコリザルです。 >感性の磨き方 について質問。感受性を高めるにはどのようにすればよいと思われますか. 自分に向き合うこと。 その意味では人に聞けない。 誰かの言葉に従っても無意味です。 >ルドルフ・シュタイナーは彫刻⇒絵画⇒音楽⇒詩作の順に芸術レベルが上がって行くというようなことを言っていたようですが、それについてどう思われますか? 世界を認識していく過程なり発達段階はそうかもしれません。
- fishbowl66
- ベストアンサー率29% (36/121)
http://www.geocities.jp/body_of_knowledge/r2008_kono02.html ↑ このページが、簡潔に要領よくまとめてあります。 後ろの方の、直接知覚と間接知覚の違いに注意してください。 間接知覚が、従来の受身の知覚と言う事になるのでしょうか、 ただし、ご質問者の仰る、 >目から何らかの電磁波と言うべき様なものを発して とは、少々違いますが。
お礼
回答ありがとうございます.
補足
実は、No.2の補足欄にも書いたように、「考え方」に修正がありまして、更にそこにも書いていなかったのですが、「媒質≒エーテル」というものが充満しているのではないか、というような考えも持っていたので、それに近い考え方をしている人もいるのを知りました.人間の生というのは受身であるということでもなさそうですね.
- R_Earl
- ベストアンサー率55% (473/849)
ANo.1です。 私の言う「レーザーの軌跡」とは、 「目に入らない方向に向けて発したレーザーの軌跡」の事です。 目に入るようにレーザーを照射すれば、その色を感知することは可能です(目を悪くしますが)。 しかし、「目に入らないような方向に照射したレーザー光」の軌跡を見ることはできませんよね。 > >目の網膜器官のみによって色を感知するという従来の考え方であればレーザーポインタの軌跡が見えないことを説明できるかというと、そういうことでもないので > > もし説明ができ、 これは単に、 『「目に入らない方向に照射したレーザー光」の軌跡は、目に入らないので見ることができない』 と説明できると思うのですがどうでしょうか。 > その説明が質問の仮説に依っては成り立たなくなる、というのであれば説明願います。 ANo.1で述べたように、私は質問者さんがどのように考えているか 完全に理解できているわけではありません。 「目から『何か』を発し、それが色を捉える」という考えで良いのでしょうか? だとしたら、その『何か』がレーザーの軌跡に当たることにより、 レーザーの軌跡を感知できるのではと思いました。 私の考えをまとめると、以下のような感じです。 「目は光を受け取るだけ」と仮定するなら、 目に入らない方向に照射されたレーザー光の軌跡は見えません。 レーザーの軌跡が目に入らないからです。 「目から発せられた何かが光を感知する」と仮定するなら、 例え目に入らない方向に照射されたレーザー光でも、その軌跡を補足できるはずです。 「目から発せられた何か」はレーザー光と衝突するからです。
お礼
回答ありがとうございます.
補足
>目に入らないような方向に照射したレーザー光」の軌跡を見ることはできませんよね。 レーザーの軌跡というのは見えないものなんですね。もし見えるとすればそれは空気中の、極めて細かいチリのようなものに当たって見えているという考え方で良いのですね. >私は質問者さんがどのように考えているか完全に理解できているわけではありません。 まあ、自分でもよく解ってない位だから、他者からしてみれば尚更でしょうね。また質問を練り直してみます.
オコリザルです。 「プロの写真家は自然風景が呼吸しているのを捉え、その呼吸が止まった一瞬を見計らってシャッターを押す。それによって映りが全く違ってくる(確か、はっきりと映ると言っていた)」と言っていました。 芸術論としてこのプロカララマンの証言はわかりやすく正解です。記憶色にゆがみがあると自然界とは対話ができなくなり、なにも映していないで高級カメラの(解像度とか)性能がわかるだけの写真になります。 したがって >自分である程度脚色した自然を撮っているということであり これはめったに起きません。 でも不自然ですが写真芸術としてそれも事実表現されています。 それは主にモノクロ写真であり、自らの心と向き合う姿勢で撮影した場合起こる現象です。 primeapeとはポケモンに出てくるオコリザルの英語名です。 タイプするとき面倒だからオコリザルにしてます。 オコリザルらしきいじめ方で蛇足を付け加えるなら、今回の話はあくまでも芸術論であり感性の磨き方と感性が人間に備わっていることの証言ですが、哲学的に論議しようとした場合は人間には第六感なり霊感なりが備わっており誰でも簡単に引き出すことができる。と言う感じのケンケンガクガクの論議を仕掛けることになります。 哲学は割とそうです。
お礼
回答ありがとうございます!
補足
>オコリザルらしきいじめ方 オコリザルって性格悪いんですか。 タイプ:かくとう とのことですが、合気道は美しいですね。 感性の磨き方 について質問。感受性を高めるにはどのようにすればよいと思われますか. ルドルフ・シュタイナーは彫刻⇒絵画⇒音楽⇒詩作の順に芸術レベルが上がって行くというようなことを言っていたようですが、それについてどう思われますか? ちなみに、自分は音楽、それも歌モノでない、楽器や電子楽器などによるインスト系の音楽がすきなのですが。 ゲーテがモーツァルトの音楽は悪魔が人間をからかうために作らせた といっていたようですが、ゲーテの色彩論や音楽論は正しいと思いますか?
見えているのは眼球の働きですが、見ているのはあくまでも自分自身です。 専門用語で記憶色と言うのが有りますから検索してみて下さい。 哲学は主に言葉や文章で考えることなので記憶色の存在が検証されることはまれです。 むしろ芸術論で引用されるのですが一般的に応用されてもいます。 一例です。↓ http://www.nttpc.co.jp/yougo/%E8%A8%98%E6%86%B6%E8%89%B2.html それから私は写真趣味をたしなんでおりますが、写真趣味は、 >、「色を捕らえる」 実際にこれを行う特技です。 考えても無理ですがコツをつかむのは簡単です。 書道の見方かまず解説すると上手下手は字面から判断するのでなく、見る人が見れば達人の書とはその人生そのものを一字で表すほどの入魂が成されています。その感性に共感することが書道でも自覚できる芸術的感性です。 写真も同様でしてカメラが捕らえた光でなく、見る人が見れば撮影者が光をどう捉えたかわかります。
お礼
回答ありがとうございます.
補足
記憶色については 色に限らず、過去の思い出を美しく装飾している、あるいは嫌な出来事を過剰に増幅していることも多々あると思いますので、普通に理解できます。 「色を捕らえる」特技 「プロの写真家は自然風景が呼吸しているのを捉え、その呼吸が止まった一瞬を見計らってシャッターを押す。それによって映りが全く違ってくる(確か、はっきりと映ると言っていた)」と言っていました(写真家の配偶者談)。 それと似たようなことでしょうか。ただし、この場合自分の意図、影響力を極力排除し、自然そのものを撮るようにしているのでしょうか. >カメラが捕らえた光でなく、見る人が見れば撮影者が光をどう捉えたかわかります もし、「思いを入れる」つまり意識波動とも言えるようなものを影響させることで写真の映り方が変わるなら、人間の意識が外界、自然界に影響を与えるということになりますね。 この場合、自然そのものというより、自分である程度脚色した自然を撮っているということであり、良くも悪くも芸術性(人為性)がより高まるということになると思います。 小さい頃、書道を習っていましたが、どうも「名人」の書は、奇をてらった(と見られる)ような崩した書体が多く、楷書体を愛する自分としては魅力を感じない、というのが本音です。 話は完璧にそれますが、オコリザル とはどういう意味ですか? 以前から目にしていて、疑問に思っていたので.
- iwashi01
- ベストアンサー率17% (187/1051)
外部に向けて何かの検出波を発しているとして、その検出波が色を捉えたことをどうやって知るのでしょうか?戻ってくる検出波を捉えるとなると、タイムラグがありますから、星の色を見るためには何年も同じ方向をみていなければいけないのでは?他の人の発した検出波を捉えてしまったりして。 ちなみに、人間の網膜は、数秒~数十秒同じ像が写り続けると、反応物質が飽和してその像は消失してしまいます。そのために、「固視微動」という微小なランダム運動を眼球が行って、同じところに同じ像が写り続けないようにしています。また、眼球が動いている間は像が流れてしまうので、眼球が動いている間に網膜に何が写っても認識されません。 つまり、網膜に写っているものが何でも間でも「見えて」いるというか認識されているわけではないのです。目や脳によって情報が選別されています。
お礼
回答ありがとうございます.
補足
例えば、コウモリが進行方向のみでなく、常に周囲に超音波を発して壁に当たらないように飛んでいるように、人間が「見た瞬間のみ」ではなく、「常に」周囲に電磁波を発しているとすれば、タイムラグは生じないことになります。 というわけで目からではなく、脳から、あるいは意識の波動として常に全身から発しているに修正。 他の人の検出波を捉える については個人によって微妙に周波数が違うので影響しあわない。あるいは常に世界の中心にいる個々の人間にとって、中心でない場所にいる他者の電磁波?のようなものは混線しない。 >眼球が動いている間は像が流れてしまうので、眼球が動いている間に網膜に何が写っても認識されません これは、意味が理解できませんでした。よろしければもう少し解りやすく説明願います。特に、「像が流れてしまう」が解りませんでした。
- R_Earl
- ベストアンサー率55% (473/849)
> 目から何らかの電磁波と言うべき様なものを発して、「色を捕らえる」という考え方もできるのではないかと思うのですが、どう思いますか? 質問者さんがどのように考えているのか完全に理解できていないのですが、 その考え方で以下の現象を説明できるでしょうか? ・暗いところでは物が見えない ・レーザーの軌跡は見えない 目から何かを発して物を観測するなら、 周囲の明るさ・暗さに関わらず物が見えるということになる気がします。 また、レーザーポインタの軌跡も見えるということになると思いますが どうでしょうか?
お礼
補足を追記したいので、お礼欄を使って失礼。 >目の網膜器官のみによって色を感知するという従来の考え方であればレーザーポインタの軌跡が見えないことを説明できるかというと、そういうことでもないので もし説明ができ、その説明が質問の仮説に依っては成り立たなくなる、というのであれば説明願います。
補足
反論と呼べるものかどうかも怪しいですが、一応考えました >暗いところでは物が見えない 微弱な電磁波なので色を識別する位なら可能だが、明るくするほどのものではない >レーザーの軌跡は見えない 目の網膜器官のみによって色を感知するという従来の考え方であればレーザーポインタの軌跡が見えないことを説明できるかというと、そういうことでもないので、質問自体が成り立っていない、よって質問そのものを却下。
お礼
何か聞こうとしてやっと今思い出した! 自然は呼吸しているというのは自分は実感したことがありませんが、どのくらいの速さで呼吸しているのでしょうか?もしかして7Hz(1秒間に7回)くらいですか?どのようなときにそれを感じるのですか.また、それを感じるようになるためにはどのような訓練?が必要なのですか? ちなみに、「脳波」は1~数十Hzまであるそうで、電磁波(光など)が1秒間に約30万キロ進むことを考えれば、脳波の波長は30万キロちかくあるということで、実質全世界を網羅するだけの意識力というべきようなものがあるということですね. 回答ありがとうございます.
補足
>誰かの言葉に従っても無意味です。 実は、自分の考えは持っているのですが、回答者さんはどのような認識をもっているのか計ろうと思って聞いたんですよね.別に試した、というわけでもありませんが. >知性的な取り組みをしようとすると悪魔が忍び寄ります。 ゲーテの評価はそのようなことの表れでしょう。 哲学もそうです。 感性の話が第六感にすり替わるのはいかにもくだらない。 ゲーテは確か第六感、つまりいわゆる霊的な能力はなかったと認識しています.ゲーテが悪魔 という表現を使ったからといって、第六感でそのように評価したのではないのでは、と思います. 個人的な感想を述べれば、モーツァルトの音楽は、わざとらしさというか、欺瞞 のようなものを感じ、あまり好きではありません。が、今少し聴いたらなんかいいかも、とおもった自分が悲しい、人と関わりすぎて感性が退化したのでしょうか. >世界を認識していく過程なり発達段階はそうかもしれません。 >感性ですから人間本性に備わっている。 そして、世界を認識していく過程なり発達段階はそうかもしれません。 どれが欠けてもあまり良くないというわけですね. シュタイナーはやはり間違っていなかったのですね.哲学に疲れていて、もしシュタイナーを詳しく知らないようでしたら、お奨めします.