• 締切済み

モラトリアム人間

 私の末の弟は自分のことをこういいます。本を探しすこしみましたが 詳しい方・専門家のご説明と、改善させる事ができるならお聞かせください。 又、ご自身がモラトリアムと思われている方の考え方をお聞かせください  改善とは語弊があります。 いろんな人間がいて当たり前。 ただ姉として親代わりとして、情けない、腹ただしい、又『可愛そう、一人で苦しんでるのでは』と思うことがあるのです。  気分を害された方は申し訳ありません。ただ、身内に対して思う事です。 理解したいのです。 以前の生活環境、私情をいうときりがないですが、一言3人兄弟の上から見て、ずっと親代わりをしていた私として感じる事は、ただ一人甘やかして育ったとは感じています。

みんなの回答

  • jume
  • ベストアンサー率46% (71/152)
回答No.5

返信読ませて頂きました。見守るしかないというのは辛いですね。辛い視線を受けている弟さんも、やっぱり辛いんでしょうね。辛い、辛いで嫌なスパイラルですね。 青年期は、発達心理学では(特にE.H.エリクソンという人のライフサイクル論では)、「アイデンティティ 対 アイデンティティ拡散」の時期だ、と言われています。「アイデンティティ」は、心理学では「自己同一性」、社会学では「自己の存在証明」なんて訳されていますが、つまり「自分て何」ということの「答え」です。それが得られなければ、「アイデンティティ拡散」となり、自分が何者かわからない辛い状態が続きます。 弟さんの場合、見事なくらいアイデンティティが拡散しちゃってますね。 もちろん、こう生きるべき、という王道があるわけではありませんし、僕なんかは「自分って何」という問いに正確な答えがあるとは思えないでいます(多くの人の実感とも重なるでしょう?)。まぁそこそこの答えが見つけられれば、良い人生かな、なんて。がしかし、そうのほほんと構えているわけにも行きませんね。弟さんの問題が家族の問題にもなりつつある以上、家族でじっくり話す時間を持つことも必要なんじゃないかな、という気もします。このままではお姉さんもお辛いでしょうし、弟さんご自身もお辛いでしょう。何か結論を出そうとしなくてもいいので、「さしあたっては、生活・社会基盤を培っていって欲しい。やりたいことがあるなら、その上でやったらどう?」というお姉さんの考えを改めて伝えてみてはどうでしょう。 もちろん、イライラしながらとか、押し付けるような言い方では、逆効果です。まずは弟さんの話をじっくり聴いて、彼が今、何を考えているのか把握する。それから、こちらの話も聴いてもらう。それで何かが決定的に変わることはないと思います。次の日から働き出したら、それこそ気持ち悪いし、無理をしていますよね。無理をすれば続かないのは、今までのことから予想できます。ですから、無理をする必要はない、ということを伝えると良いでしょう。その上で、目の前に段差があるのなら、それを乗り越えるのは、わたしではなくあなた自身であること、代わりに乗り越えてあげることはできないけれど、それを助けてあげることはできるかもしれないことを伝えることができれば、もうあとは彼次第というところでしょうか。小さな段差から確実に乗り越えていければいいんじゃないでしょうか。 その際、弟さんが「自分って何?」という問いにがんじがらめにされていて、身動きが取れないくらい辛いことになっている、というのであれば、もしかしたら彼は、素人には難しい袋小路にはまり込んでいるのかも知れません。回答No.2でjun95さんがおっしゃっているように、カウンセリングに行ってみるのも、ひとつの有効な手段だと思います。カウンセラーは、「聴く」ことのプロです。カウンセラーは精神科医と違って治療はしません。精神疾患がある人が行くのではなく、こころが疲れた人が行くのだ、と僕は考えています(実際、僕も利用しています)。カウンセラーとかかわることで、弟さんも自分の中で整理されることがあるのではないか、と思います。 多くの場合「出口なし」ということは、無いんだと思います。止まなかった雨はありませんよ、と山本周五郎原作の映画『雨あがる』の中で寺尾聰さん演ずる三沢伊兵衛が言っていました。雨が降らない人生は渇いてしまってどうしようもないですが、雨が止まないのも困ったもので、大切なのは、雨が降って、それから止む、ということですよね。雨上がりの空や樹木は、どうしてあんなにきれいなんでしょうね?

noname#3489
質問者

お礼

ありがとうございます。  いろんな人にお返事を頂くたびにさぶいぼ(鳥肌)がたちます ほんとにありがとうございます。 jumeさんこの欄をお借りします !!!!!!!アドバイス頂いた皆様!!!!!!!(よんで!) jumeさんで締め切ろうと思います  ポイントが大量不足でどなたにもつけられません 理解した。でもなく、弟をこうしよう!でもなく、 私の目、気持ちが、、変化しました。 相当する言葉は見当たりません ありがとうの気持ちも『ありがとう』では簡単すぎて 身近な人なら、言わなくてもわかってもらえると思いますが なんせ、こういう場書かないと伝わらないので ありがとうございます

  • jun95
  • ベストアンサー率26% (519/1946)
回答No.4

人生をファッションにたとえてみると、能力や財力もあり、いつもオートクチュールの身の丈にあった着心地のいい衣服を身につけることの出きる人もおれば、既製品しか買えないひともいます。 日本の社会は、何でもできるように見えるようになってしまいましたし、多くの大人は、「自分の好きなことをせよ」とオートクチュールを買わせようとし、また、買えるかもしれないと思ってしまえるところに問題があるのかもしれません。 しかし、私を含め、少なからずの人は、あんまり似合わない既製の服をなんとか身に馴染ませようとして、頑張る結果としてうつ病になったり、最悪の場合、自殺したりする人もあります。 そんなわけで、何としても既製服を着るのだという考えは、今のわたしにはありません。少し高くついてもオーダーメイドの服を1着もって、ときどき着替えて、リラックスできるような生活がいいのかなとおもいます。 おそらく、弟さんは、自分でもっとも着やすい服を生地から作ろうとされておられるのでしょう。すべて自分流で作ろうとすると、時間もかかりますし、生地の選定から、仮縫いの方法に至るまで、試行錯誤で決めることになりますから、できあがったものができたとしても、芸能人が着る服のように少し変わったものができるかもしれません。 「モラトリアム人間」と自称していた人たちのなかには、それを作りあげる人もいるでしょうし、また、仕立ての仕方の分からないときに、ちっとしたヒントを与えてくれる人との関わりにも恵まれる人もいるかもしれません。 小此木啓吾先生にしても、笠原嘉先生にしても、臨床的観察から、それらを考察されておられるわけで、個別の人をみれば、いわゆる世間で「治療」と呼ばれている関わりの中でうまくいくひとや、放っておいてもうまくいく人の見極めがおできになると思うのです。これらの臨床家は、弟さんの作ろうとされる自分の服を代わりに作ってあげようとされることはありません。多くの患者さんなどがおられるなか、時間的にも無理でしょうし、本人にとっても人生の自己決定にもかかわりますから、余計なお節介であるはずです。 私の端的な結論は、自分が「モラトリアム人間」であると思うなら、一度は、そういう概念を創設した小此木啓吾先生の診察を受けるか、その概念を継承する人に、診断を仰ぐことは、自分が、本で読んだとおりに、まことの「モラトリアム人間」とわかり、それなりの安定が得られると思われるのです。もし、自分がそうだと思っていて、あとから、そうでなかったと知ったら、かなりショックかもしれません。 ただ、精神科や心療内科は、行きにくいこともさることながら、よい先生が少ないのが難点で、ただちに、どこでもいいから受診すればともいいにくい現実があります。 わたしは、何かの概念をうち立てる専門家には、それなりの考えがあるので、そういうのに詳しい先生になら、診てもらわれた方が有用な気がします。弟さんは、いろいろと活動されておられるので、たとえば「軽症うつ病」とは、無関係なようにみえますが、「軽症うつ病」は、たいてい、他人から病気としてみられていません。本人も、内科とかを転々としていて分かっていないことも多いのです。こういう場合は、自分が病気だと気づいていないので、かえって辛いものです。 また、そうでなくても、市橋先生などは「外的価値から内的価値へ、結果主義からプロセス主義への変換が極めて治療上有効」だとされています。 Dr 林先生のwebsiteなどもすこしだけ役立つかもしれません。

参考URL:
http://www.seiwa-pb.co.jp/search/bo01/bo0102/bn/15/12u.html,http://www.so-net.ne.jp/vivre/kokoro/
noname#3489
質問者

お礼

ありがとうございます。  いろんな人にお返事を頂くたびにさぶいぼ(鳥肌)がたちます 本当にありがとうございます。  言葉すくなで申し訳ないですが、本当にありがとうございます。

noname#5557
noname#5557
回答No.3

弟さんは引きこもりとも違うしカウンセリングが必要な精神的な問題でもなさそうですね。 本人は自分なりに試行錯誤しつつも、抜け出す道が見つけ出せずに彷徨い惑っているという印象を受けます。 高望みし過ぎたり大きな夢を追いかけては自分の能力がそれに及ばず玉砕し続けているようです。 それでもその時は一生懸命なんですね。 自分の能力を過大評価してしまっていること、現実を冷静に客観的に見ることができないこと、将来の展望を考えずに行き当たりばったりなこと、性格の問題(もともと根気がない、飽きっぽいということはありませんか?)もありそうです。 いろいろに試行錯誤した結果、今、弟さんは自分が何をしていいかわからなくなってしまっているのかもしれません。 このままじゃいけないという焦りはあるでしょうし、将来への漠然とした不安でとても苦しいのだと思います。 でも自分でもどうしていいかわからない。。。 お姉さんとしては、そんな弟さんが歯痒いと思います。 なんとか「普通」の社会人としてやっていってくれたらと思われるでしょうね。 けれどもこれは弟さん自らが自分のやりたいことを見つけ、自分で解決していくしかないことだと思うのです。 今はフリーターでも堂々と(?)していられるの世の中です。 だから、いわゆるモラトリアム人間がモラトリアムでいられる所以なのでしょう。 お姉さんの辛いお気持ちはわかります。 けれでも弟さんもいい歳をした大人です。 弟さんを否定するようなこと、追い詰めるようなことはなさらず、突き放しつつも、理解しようという気持ちがあればそれだけでよいのではないでしょうか。 弟さん自身も迷路にはまり込んでしまっている状態かもしれません。 弟さんにとっては、頭ごなしに「それじゃダメだよ」と否定されることは一番キツイことだと思うのです。 時々折を見て「どうしてる?」などと言葉をかけたり、弟さんが素直に自分の気持ちを出せるような雰囲気を作るようにすることができればいいと思います。 大したアドバイスもできなくてすみません。 思ったことを書かせていただきました。少しでも参考になれば幸いです。

noname#3489
質問者

お礼

ありがとうございます。  さぶいぼ(鳥肌)がたちます 本当にありがとうございます。 本当に嬉しく、また逆に情けないという 感情から、なにかわかりませんが、違う気持ちに変化しつつあります 私自身が。  言葉すくなで申し訳ないですが、本当にありがとうございます

  • jun95
  • ベストアンサー率26% (519/1946)
回答No.2

やはり、自己診断は、よくないと思います。モラトリアム人間自体が古い言葉であり、なんとなく意味は分かるにしても、精神医学的な診断名でも何でもないため、現代の人に、問いかけてみても、分かる人は少ないと思われます。 いずれにしても、何らかの治療というか、セラピーが必要でしょうから、専門家の方に診てもらわれるといいでしょう。 病院だと、保険が効きますが、そうでないカウンセリングルームなどは、中堅クラスの先生で、1回1万円~、初級者クラスの先生で、1回5千円程度かかります。 何でも、努力すれば理解できると考えがちですが、世の中には、理解できないものや理解しない方がいいものもあります。 精神的な病気の人に接するには、理解するという態度より、その彼の物語をどのように解釈するかを考えた方がいいかもしれません。

参考URL:
http://webclub.kcom.ne.jp/ma/jsccp/ippan/index.htm
noname#3489
質問者

お礼

 ありがとうございます。 自己診断は、良くない・・・ 理解するという立場よりも・・ 心に響きました。 ただ、身内のこととなれば、 普段突き放している分内心で理解したい と思うんです。 本人は本人。。。自分の幼い子供であれそう 接しています。押し付けではなく、数々の出来事において どんなことを考えるのか、思うのか。 言葉にだすと、『理解』ですが、 =そういう人だ(変な意味でもありません) ってわかりたいって気持ちだけなんです。 (ほんというと生活基盤・社会基盤は自分なりのものでよい、作ってくれ。なんですが。。。) 自己診断良くないって機会があれば、弟に言っていいでしょうか。。 それが、スパイラルになる原因のひとつですね。 ありがとうございます

  • jume
  • ベストアンサー率46% (71/152)
回答No.1

「モラトリアム人間」という言葉は――「モラトリアム」の原義は「返済猶予期間」とかなんとか言ったと思いますが――、つまるところ、社会に出ることを先送りにしたい青年期独特の心性のことで、今の日本では、大学へ進学する人の増加を説明する言葉のひとつとして用いられています。もし弟さんが、そのような「普通」の意味で「モラトリアム人間」であるなら、そんなに心配は要りません。 しかし、大学生なのに大学に行かなくなって、サークル活動やアルバイトにだけ精を出しているとか、あるいは学校にも行かなければ、仕事をするわけでもなく、日がな一日部屋にこもっては、表立って何かをすることはない、ということであれば、上で書いたようないわゆる「普通」では、ありませんね(僕は「普通」という言葉が嫌いなのですが…)。学校には行かないけれど、学校以外のことならする、という状態を、特に大学生に多いらしいですが、これを「スチューデント・アパシー」と呼びます。また、完全に部屋にこもってしまった状態であれば、「社会的ひきこもり」という言葉が、最近では多く巷間に聞かれるようになりました。 どちらも「スチューデント・アパシー」、「社会的ひきこもり」という言葉で、検索すれば、一般的、専門的な本は、たくさん出てくると思います。弟さんが大学生であれば、「スチューデント・アパシー」、大学生以前の学業過程であれば「不登校」、特に学校に通っていなければ「社会的ひきこもり」で検索すると良いと思います。ちなみに、弟さんを「理解したい」ということであれば、出来るだけ専門の研究者が一般向けに書かれた本がいいと思います。たとえば、笠原嘉(カサハラ・ヨミシ)『青年期 精神病理学から』(中公新書)、斎藤環(サイトウ・タマキ)『社会的ひきこもり 終わらない思春期』(PHP新書)は、その分野の基本書になっていますので、お薦めです。 僕は、弟さんやお姉さまが置かれた具体的な状況を知ることはできませんが、 >改善とは語弊があります。 >いろんな人間がいて当たり前。 >ただ姉として親代わりとして、 >情けない、腹ただしい、 >又『可愛そう、一人で苦しんでるのでは』と >思うことがあるのです。 と思う、お姉さまの揺れるお気持ちは察するに余りあります。 弟さんは、もしかしたら、自分が自分にとってわけのわからないものになっているのかもしれません。「モラトリアム人間」という言葉は、そんな自分の状態を表現できる言葉だったのかもしれません。僕は、弟さんが言葉を失うことが一番怖いです。「モラトリアム人間」という言葉がもともとの意味で正確に使われていなくても、せっかく導き出された言葉です。これを端緒にして、少し弟さんと会話をされてはどうでしょうか? 「モラトリアム人間って、どういうこと?」と話し掛けてみたら、お姉さまだけでなく、弟さんも、その言葉で何が言いたかったのか、わかるかもしれません。 いずれにしても、彼を矯正してあげたい、という気持ちは、彼を混乱させるだけだと思うので、ひとまず抑えるべきだと思います。焦らないで、落ち着いて、ココアでも飲みながら、弟さんと向き合ってみてください。

noname#3489
質問者

お礼

ありがとうございます。確かに私は弟と向き合って話をし、何をいいだすかわからない怖さから、向き合って本心をついたことはありません。  あの大学へ行きたいと懇願し(無謀な学力だった)、2浪、結局ランクをとことん落として入学。1年で退学その後フリーター(転々)。 27歳のおととしはミュージシャンになるといい(コードさえも知らない)、仕事を辞め、専門学校へ入学、1年もたたずに学費捨て不登校。学費で貯金がなくなった、金貸して。。その時は輝いた目をいつもしていて、がんばろういう気持ちは伝わります。こんな20代を送っておきながら、俺はまだまだこれではおわらん。と豪語する。でも一度だけ聞いたのです『俺って何してるんやろう・・・・』って。 これは性格だけの問題でしょうか。。。  さしあたっては、生活・社会基盤を培っていって欲しいだけなんです。 その上でなら好きなことやれ。。って。 私も『普通』って言葉好きではありません。 でも、私の弟に望んでいることは『普通』なんでしょうね。。 あまりにも、現実逃避していると感じます。 すみませんだらだらと。。  

noname#3489
質問者

補足

上記のような場合ネットでみるならどう検索したら良いでしょうか 単にひきこもりでもないし(専門学校やめたときは一週間部屋にこもったとは言ってました)  情けない質問ですみませんww 聞くは一時の恥聞かぬは・・・・(言い訳するな~)  私が遠方にいるので会う機会があまりないのですが、そのときまでに すこし、見ておきたいと思っています。  

関連するQ&A