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奈良時代の人口増加について!
奈良の都の繁栄の陰で農民たちは苦しい税に苦しんでました。また天然痘などの疫病の流行や凶作の影響のあり、口分田を捨て浮浪したり逃亡する農民があらわれました。 そのため班田収受が困難になるのですが、その原因が『良質な口分田の不足』と『人口の増加』と教科書に書いてあります。口分田の不足は理解できるのですが、なぜ天然痘などの疫病が流行したのに人口が増加しているのですか?政府が何か政策をとったのですか?教えてください。
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いや、自然に増えるんですよ。^^; 20歳男女に口分田を与え、子供が3人いたとすると、 20年後、長男は口分田がありますが、次男はありません。 新たな口分田を作らなければなりません。 政府は三男、四男、5男、6男まで準備できません。^^; ので、墾田永年私財法などで開墾を奨励するのです。 公地公民と言う概念は崩壊します。 幕末に開国し、検疫をしないのでコロリが流行しますが、 人口が壊滅的に激減した訳でもありません。
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- isa-98
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>6歳以上の男女に班田されるんですよ これが維持出来なくなったので12年に一回に改めたはずですね? 11歳で戸籍調査が行われれば、 11+12=23歳 人によっては20年以上収受出来ないのではないですか? >6歳以上の男女に班田される。 現存する養老律令にはこの記載がありません。 >詳しく教えてください 残念ながらこれでは時間を割く事が出来ません。
- oska
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>なぜ天然痘などの疫病が流行したのに人口が増加しているのですか? 奈良時代には、関東・東北地方から「多くの防人」が強制的に多数徴兵されました。質よりも量を優先しましたから、貧しい農民ばかりです。 その関係でしようね。 現在でも、奈良地方の地名に防人の歴史が残っています。 地図を見れば分かりますが、防人出身地(出羽国など旧国名)が多く地名として残っています。
- tanuki4u
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浮浪したり逃亡する農民 ↓ で、どこに行ったのか?荘園に行ったんでしょうね。 http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1150.html 人口増加で明解なのは、江戸初期、明治以降。 明治以降は、生産様式が変わったんでしょう。 江戸初期は、つまり、争乱の終了。地域の個別権力を上回る全国権力の誕生です。 政府の施策と考えれば、奈良時代は、上部権力の強化による地域争乱の減少というのが大きいのではないかと思います。 奈良時代と、飛鳥時代を考えれば。
補足
口分田は6歳以上の男女に班田されるんですよ。なぜ20年後なのですか?亡くなった人の口分田の収公(6年に1度)が班田に間に合わないということですか?詳しく教えてください。お願いします。