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もっと人々が賢明なら?
今日、駅で電車が遅れ気味で、人がいっぱい待っていたので、一列車後ろのやつまでまっていたら、案の定すぐ来てしかもガラガラだったというパターンに当たったのですが、そこで待っていた人全員が先行の込んだ列車に、時間をかけてますます遅れを拡大させながら乗り込んでいきました。本当に急ぎの用の人はしょうがないのですが、全員がそういうことはないでしょう。融通がきかない人が多いです。 そこで、思ったのですが 世の中の人々がもっと賢明ならば、世の中はどうなるのでしょうか? 考えられるのは、くだらない詐欺犯罪は大体なくなるでしょう。詐欺まがい商法商品なども駆逐されるでしょう。もちろん列車ダイヤも乱さずに空いた列車に均等に乗るようになり、いろいろいいことがあると思うのですが、どうして人っていうのは、こうも融通が利かないのでしょうか?
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全体の水準が上がったところでその中で同じことが繰り返されるだけじゃないでしょうか。 この場合、後から来る列車に乗る方が得であると全員が認識したなら全員がそちらを待つようになると思います。 しかしそうなると先に来る方が得だという認識も生まれることでしょう。 この堂々巡りが繰り返されると今度は現在の列車を超える混雑のない移動手段が発明されるかもしれません。 しかしそちらでも再び新たな問題が発生し以前の方が良かったと考える人間が出てくるかもしれません。 人類はこんなことをずっと繰り返してきたと思います。 結局進歩したのかどうかが自分たちの価値観だけでは判断できにくくなり個人の解釈も様々に分かれるようになるのだと思います。 つまり場面ごとに適切な選択ができる人はいるだろうけれでも、全てにおいて賢明な人間がいるかというと難しいのではないですかね。 死ぬ直前に自他共に認める賢者だという結論に至れたならばその人は賢明だったと言えるのかもしれないと思います。(あくまで自分の考えです) 自分はこの禅問答には以下の二つの打開案があるのではと思います。 1.人間とは違う文明や社会を形成しながらも意思の疎通を図ることができる生物との比較。(現在地球上にこのような生き物が存在するかどうかは確認できていないと思います。だからこそ動物に人間の言葉を理解できるかどうか実験したり地球の外に対して興味を抱くのではないでしょうか) しかし猿や宇宙人に賢明だと認められたところで「まだまだ上がいるかも」と考え始めるのではという懸念があります。 2.大富豪や偉人と呼ばれる人間になる。 人間社会の中でとにかく凄いと思われるであろう人間になってしまえばおのずと賢明という言葉も付いてくる可能性は高いと思います。人間の価値基準の中で上に立つ、すなわち格差を自ら生み価値の大きな方の立場を獲得するということです。 だからお金持ちが良いと考えられるようになるとそこを必死で目指す人も増えるのかもしれません。 人間は人間の価値観に敏感だとも思います。 しかし言うまでもなく「格差」であるとか「貧富の差」という言葉をあまり良く思わない人も多いと思いますし社会的な弊害もあるかもしれません。 しかしながら自分も経験ありますが自らの選択によって他人より得したなあと感じたら些細なことでも妙に嬉しいですよね。 ついでに賢明や幸福という言葉に誰もが納得できる全世界共通の定義が与えられたなら自分は今以上に嫉妬深くそして貪欲な人間になれるだろうと確信します。
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まあ俺としては電車から降りた連中には、「乗り逃がし」を避けるためにも混雑するだけなのに階段付近にたむろされるのはイヤだから、列車が去るまでは階段付近から退避していて欲しいね
ま、昔に比べて現代の人間はかなり賢くなっていると思いますが、まだまだ平均的には質問者様の”IQ”には及ばないということでしょう。 >世の中の人々がもっと賢明ならば、世の中はどうなるのでしょうか? 戦争がなくなり、犯罪が減り、社会はもっと清潔で快適になっているだろうというような想像はできますね。それで、質問者様はその程度(というか進歩)が何処まで行けばいいと考えておられるのですか。少なくとも完璧な社会というものは想像できないでしょう。何処まで行ってもやはり人間同士の質の違い、相対的な能力の格差は存在し続けるのではないでしょうか。ですから差は縮まっても貧富の差はあり続けるだろうし、第一それがなければ社会は活性をなくし死ぬでしょう。 やはりいつまでも人間はレベルは変わっても馬鹿さ加減を失わずに株の売買を続けたりギャンブルをしていると思いますがどうでしょうか。
お礼
ご回答ありがとうございます。 私はきわめて低IQで生き延びていると思っているのですが。これはIQの問題と言うより、「欲得」「あさましさ」という次元の方が大きくないでしょうか。一列車待つというつつしまやかなことができない。今まで遅れてきた列車を待って、ようやく来て、さぁやっと来た、是が非でも乗ってやる!という「野蛮さ」そういうものが世の中を占めているのじゃないでしょうか。 私は、どの程度と言うよりも、そういう心持のきれいさ、あるいはつつましさというものが人々に一般的にならないものか?と感じます。これは貴族趣味ではない、もっと庶民常識ではないでしょうか。 貧富も人間の質の差もずっと存在し続けるでしょうが、それは程度問題で、社会がずっと邪悪さとか殺伐さを感じないで済むと言うレベルまでいけないもんでしょうか。
- mmky
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>>どうして人っていうのは、こうも融通が利かないのでしょうか? 素朴な疑問でもあり、良い質問でもありますね。 答えは:だから人と呼ばれるのですね。動物以上ではあるが神以下の存在が人なんでしょう。 人は融通がきかないから神とはなりえない。それ故こりもせず生まれて、さほど進歩もせず死んでいくのでしょうね。 ただ、中にはあなたのように気づく者もいるからこそ人間社会の営々とした営みが肯定されているのでしょう。それを繰り返しその結果、みな神の領域に入れば、社会生活もすばらしいものとなるでしょうが収穫逓減の法則どおり社会の営み事態が不要になってくるのでしょうね。 つまり、玉石混交の世界で玉が増えればもはや玉石混交の世界ではないということなんですね。玉ばかりの世界を目指して努力している過程だと考えれば、かわいいですよね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 後続を待とうと言う頭は別に神の領域ではないと思います。そのくらいの機転が効かない方がおかしくありませんか。今まで待たされたのだから、なんとしても来たやつに乗ろう(うわー込んでいる、でもそんなこと知ったことか、無理やりにでも乗ってやる!そして、その混乱を傍目にやり過ごすと、すぐ後続してくるがら空きの列車にゆうゆう座って行く)と言うのが人なのでしょうか?そんな人がうごめく社会に生きているのがうんざりしてきます。 こんな融通が利くことで、社会の営みがくずれるとは思えないので浮けどね。
- wiz0621
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何故彼らが後ろの車両に乗らないのか。 もちろん答えは単に移動するのが面倒であるとか、降りる時の都合であるとか、 各人によるでしょうが、それでもなお、社会の大多数を占める答えは単に 「空いているのを知らないから」 ですよね? 一方で、後ろの車両に乗る人が特段に優れているわけではなく 一番後ろの車両に行ってみるまでは本当に空いているかどうかは あくまで予想の範囲でしかないですよね。実は後ろが頻繁に混むからこそ、 中央に人が集中したという可能性もあったわけですから。 確認したらたまたま予想が合っていた、それだけのことではないでしょうか。 人間が融通を利かす、つまり正しい判断を行うために必要なことは 「正しい情報を得ること」 ただ一点です。その情報が正しければ、そしてその情報によってもたらされた 理が正しいと信じるに足るものであれば、人は必ずそちらに傾くのではないで しょうか。そっちの方が楽ですし得ですからね。 利得によって人は動くことができるのです。たまたま正確な情報と理を得た人が 他人の融通の利かなさを罵ってもやはり電車は混んだままですが、 罵る相手と正しい情報と理を共有するだけで、融通の利く方向へ 進めるんじゃないでしょうか。
お礼
ご回答ありがとうございます。 後ろの車両じゃなくて、後続の列車ですね。似たようなものですが。たしかに後続が空いているという経験がなければ、もうひとつ待つと言う頭がありませんから。 でも、想像力っていないものでしょうか。もっとも、今まで待たされたから来たやつに何が何でものろうという気持ちもわかります。が、そこでもうひとつ理性の切れ込みがないものでしょうか。 でも、駅員が放送してるのですよ。後続は空いてますよと。そういう実体験談を聞いたことがあるので、情報の皆無だけではないですね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 全員が後続の列車に乗って丁度いいくらいですよ。それでもおつりが来るほど、遅延している列車の混雑度はひどいです。 要は、鉄道会社に協力しようと言うような、ちょっとした親切心と、後ろのほうがすぐ来るし空いていると言う機転、そういう「頭」の冴えがないものかという事です。 いまのままで、人々に精神の持ち方の改革があればずいぶん違ったものになるでしょう。ハード面はもう十分すばらしい社会になっていると思いますよ。それを利用する人間の「心」が疲弊し鈍感になりまた貪欲になっているのです。 超人間の存在はこういう「心」の変革をなおざりにしてしまう過程じゃないでしょうか?もちろん、高みに立つということは手っ取り早いのですが、なにか安易です。