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結婚したいと思える相手ならどのような条件でも問題ない
”結婚したいと思える相手ならどのような条件でも問題ない” という文章は今ひとつおかしいような気がします。 これは結婚したい相手なら、ガンであろうが低収入であろうが気にならないという ことなのですが。 私からみれば、 すべての条件が結婚を妨げる要件に該当しないから結婚したいと 思える と考えるのですが数学、言語学の見地からみてどう思われますか?
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contradictio in adiecto ということばを検索していただくとわかりますが、 理想的な「普通の花嫁」ということばが、 古典論理学的な意味では、「偽」と判定されることと同じです。 日本では、えせジャーナリズムが一般化したおかげで 理想的な「普通の花嫁」は存在するとされ、 偽とは知覚されません。 他の例)普通の理想郷/理系センスのある文人/法律遵守のやくざ とくに修飾語に具体的例が含まれていない場合、 この傾向があります。 形容詞等修飾語は、 属性が明言によって具体的に確定されるまでは、表現が不確定である という機能も持っています。 ここで 常に真となるのは、なぜかということに立ち戻りますと 真偽があいまいな用件を前提とすると、あとにくる主張について 「その命題が真である」に該当する範囲が広まるという事実です。 もし第2次世界大戦に日本が勝っていたとしたら、 今の日本人は今よりずっと幸せである。 これは、「偽」の命題を前提とした「真」の命題。 しかし「偽」を前提としている事実は、 前文が詭弁であるということを証明しているに過ぎません。 日本は、戦争に負けたからです。ナンセンス。 同様に もし第2次世界大戦に日本が勝っていたとしたら、 今の日本人は今よりずっと不幸である。 と主張しても論理学的には「真」。 でも文章としてはナンセンスなのです。 矛盾は常に「偽」 つまり、 「偽」を前提としたすべての行動・主張は論理学的には、 「真」の属性を持つのです。
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- magga
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言語学からの見地ではないですがw 「結婚したいと思える相手なら」この条件に当てはまるのならば、そのほかの条件が「どのような条件でも問題ない」。 ということでしょうねw 「私にとっての重要なポイント意外はどうでもいい。」と… そりゃそうですよねww 「結婚したいと思える相手なら」が感情的な条件で「どのような条件でも問題ない」がその他の物事(物質や環境・境遇)の条件ならあまり矛盾を感じませんが、やはり間に「他の」を入れたいところですね。 「結婚したいと思える相手ならば、他のどのような条件も問題ではない」とすれば問題ないかな? 参考になれば幸いです
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ご回答ありがとうございます。 私はこの分野に疎いので的外れな発言になっていればお許しください。 まず、私が気になるのは 「結婚したいと思える相手なら」という言葉を発するには 結婚したいと思う条件がすでに存在して、それを判断して 結婚したいと初めて思えると感じています。 まず、結婚したい相手という前提をいう以前の問題として ”なぜ結婚したいと思えるのか?”があると思います。 この”なぜ”の回答が”相手のどのような条件も受け入れられるから” また”受け入れられないこともあるが結婚したくないとまでは思わない”からだと思うのです。 要するに「どのような条件でも問題ない」という条件をクリアしないと 「結婚したいと思える相手なら」という前提が出てこないと思いました
- wiz0621
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フランスの言語学者であるソシュールの解釈では 各国・あるいは各人の言語は固有の世界観を持ちえるとしました。 その観点から、『結婚したい』という言葉の表記としての文字や 音としての情報(シニフィアン)と『結婚したい』という言葉の 意味・内容(シニフィエ)は独立して存在しえることが示されました。 つまり、文字の意味は変更がききませんが、 発言者あるいは聴衆ごとに、その解釈は変更することができるのです。 いきなりわけ解らん話から入りました。以下、本題です。 『結婚したいと思える相手ならどのような条件でも問題ない』 この言葉を発した人間の世界観はどうなのでしょうか。 もちろん、婚活(笑)の目標を高く置き過ぎて婚期を逃した アラフォー(笑)の言い訳かもしれません。もしそうであれば 必死すぎるだろ(笑)と笑ってやってもいいのですが、 あらぬ恨みを買いそうですし、本題とずれるので止めておきます。 ソシュールの言語解釈が何を言っているのかというと つまり彼女の執念と同じ強さで、別の立場の人の言葉としても成り立つ ことができる、ということです。 あるいは、カントさんのような生涯真性童貞の理念。 あるいはニーチェさんのような素人童貞のニヒリズム。はたまた、 ヘーゲルさんのような晩婚者の責任論。 これらのどの立場をあらわすにしても 『結婚したいと思える相手ならどのような条件でも問題ない』 という表記は同等に存在しえるのです。 もちろん、質問者さんのように、忍耐を示した言葉であるとの 解釈も成り立ちます。 ちなみに、こういった解釈の変更が可能な問題は実のところ 古代ギリシャ時代から多くあります。これらの問題に対して、 フランスの哲学者モンテーニュは『ガキのたわごとだからいちいち 相手にするな』と喝破しました。 哲学者は、こういう言語理解の差から生じる差を利用した問題を なるべく廃し、本質の部分への問い(形而上学)をすべきだと考えるのです。 たとえば、結婚がそもそも何であるのかがわかっていれば、 この錯覚への答えも容易ですよね。この、そもそも、の部分を見つけたほうが 有意義なんじゃないでしょうか。応用もききますしね。
補足
ありがとうございます、 ソシュール勉強してみます
結婚あいてについては、 「結婚したいと思えるような相手であること」という 正の条件には、少なくとも符合べきである という条件が 不動の条件として(「がん」として)存在しています。 ex falso quod libet 条件が「ある」のに「ない」と主張することから、 この主張自体が矛盾しており、矛盾を前提とする 他の主張はすべて「真」の命題となります。
補足
早速ご回答ありがとうございます。 この主張自体が矛盾しており、矛盾を前提とする 他の主張はすべて「真」の命題となります。 ↓ 主張が矛盾しているのは理解できますが ”矛盾を前提とする他の主張はすべて「真」の命題となります” のところがわかりません。補足していただけると幸いです。 無知で申し訳ありません
補足
ありがとうございました。 詳しい説明で理解できました(理解できたつもりです)