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お寺に鳥居の不思議。

カテ違いでしたらすみません。 先日護国寺というお寺に行ったのですが 寺内にとても大きな鳥居があり、 その先にはお墓がありました。 ちなみに護国寺出てすぐに音羽富士があり こちらも神社です。 この近くに鬼子母神があるのですが こちらにも境内内に鳥居があり稲荷を 祀っていました。(武芳稲荷といいます) 神仏分離があったと思うのですが なぜこれらの場所は併存しているのでしょうか? 興味深かったので知っている方がおられたら 教えてください。宜しくお願い致します。

質問者が選んだベストアンサー

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  • oska
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回答No.2

>神仏分離があったと思うのですがなぜこれらの場所は併存しているのでしょうか? 明治政府による、神仏分離令により(一部寺社を除き)神社とお寺は強制的に分離する事になりました。 (香川県高松市の一宮寺は、江戸時代に藩主の命に寄り田村神社より分離) 奈良興福寺では、住職が翌日から全員春日大社の神職になり、興福寺は荒れていきます。 海の神様で有名な讃岐金毘羅宮も、松尾寺の住職が(金光院住職を除き)翌日から金毘羅宮神職になり、境内全てを松尾寺から奪い現在に至っています。 最後まで松尾寺住職として法灯を守った坊さんは、神式で金毘羅宮奥の院に祭られていますよ。体制に逆らった罪という説もありますね。 今でも、松尾寺本堂が旭社に、仁王門が大門と名前が代わっています。 仏教伝来後は、神さんよりも仏さんが偉い!という考えがあったのです。 ですから、お寺の中に神社が存在する事は普通の事でした。 ところが、明治政府の天皇制では「天皇は、天照大神の子孫で現人神である」という思想統制から、神社を優先した訳ですね。 (1945年の敗戦後、昭和天皇は自ら「朕も人間だ」と宣言しています) また、お寺には「土地の神」が存在します。 家を建てる時は、地鎮祭を神式で行ないますよね。 お寺も同様です。 高野山等でも、土地の神が現れ「ここにお堂を建てよ」と高僧に命じていますよね。 ですから、土地を守護する事を目的に「この土地の神」を祭っているのです。 この神は、天照系の神でなく、狸・狐・その他地神の神です。 明治時代でも、神仏分離令とは無関係に「土地神を祭る」事は暗黙の了解でした。

kkemjy
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 とても丁寧な説明、興味深く拝見しました。 そうですか、土地の神様、ですか。 写真もありがとうございます。 これはどちらですか? 先程とても面白いお寺を発見したのですがその名も 最上稲荷です。稲荷といいながらお寺だそうです。 >明治の神仏分離令の際、「神仏習合」の祭祀形態が許されました。 とあります。とすると護国寺も鬼子母神も 政府から許されたのかもしれませんね...。 仏教と神道が融合した習慣等が色々あって 調べると興味はつきませんね。 ありがとうございました!

その他の回答 (5)

  • yuhkoh
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回答No.6

神仏分離は神社から仏教色が排除された、つまり神社境内の仏堂や仏像の廃棄、祭祀における仏教儀礼、仏教用語の排除、寺院や僧侶による神社の維持・管理の廃止などです。 また、神仏混淆の霊場では、神社か寺院かどちらかに統一する。山岳信仰の霊場での多くは仏教色が廃止されて神社化され、縁起や祭祀が中央集権的な国家祭祀へと改変・捏造されることもありました。 金刀比羅宮も松尾寺の鎮守堂「金毘羅大権現」であったのが、仏教が排除されて神社へと改変された例です。また寺院の境内鎮守が村落の氏神として信仰されていた場合も、鎮守社が寺院の管理から分離された場合もあります。 対して岡山の最上稲荷や豊川稲荷、高尾山などは、神道風な祭祀が行われているが、あくまでも本尊は仏尊であるとして、神道化さぜに寺院のままで信仰を続けました。 また吉野山金峯山寺も一時的に神社化しましたが、すぐに寺院になりました。そもそも修験系の山岳霊場で神道・仏教と明確に分離すること自体が、むちゃくちゃな方針です。 ですから神仏分離は神道から仏教色を排除したのであって、寺院から神道色を排除したのではありません。また一時的に過激に神仏分離が行われても、しばらくして寺院がかつての遺構を復する場合もあります。 寺院に神道的なものがあるのはありふれています。逆に神社に仏堂が現存している方が珍しいです。

kkemjy
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます! 私、少し勘違いして理解していた様なんですが 神仏分離とは神社、寺と完璧に分けてしまった物だと 思っていました。 みなさまの回答を見させていただき、理解させて頂きました。 >神仏分離は神道から仏教色を排除したのであって、寺院から神道色を排除したのではありません。 そうなんですね、だから寺院には神道色が残っているんですね。 >逆に神社に仏堂が現存している方が珍しいです。 これ、あったら是非訪れてみたいです。 神仏分離で貴重な仏教の資料等が失われてしまったのは 本当に残念ですね。 ありがとうございました!

  • yuhkoh
  • ベストアンサー率48% (350/723)
回答No.5

ご質問を読むと、鳥居の先に墓があるとのことですが… もしかしたら、それは墓の鳥居ではないでしょうか? 「墓に鳥居」というと奇妙に思うかもしれませんが、これは古代の墓の様式を汲むものです。 古代の墓では、死者の穢れが外部に影響を及ぼさないようにと、周囲を囲む「モガリ」という様式がありました。 この周囲を取り囲むという様式が仏教化され、墓石の四面を石柱などで取り囲み、その内部を弥勒浄土とみなす「四十九院墓」という形式が作られます。 そして四方あるいは、正面に門を作りますが、この門が鳥居の形です。 このように墓に作られた鳥居は聖俗を区切る結界の役割を果たします。高野山奥之院の大名の供養塔は、この形態を色濃く残し、石塔の正面に鳥居が作られます。 また各地の霊廟形式の墓地にも鳥居が用いられます。そこには仏式の祭祀を行いながらも、同時に死者を神とみなす信仰が影響しているのかもしれません。 参考「お墓の鳥居」 http://www.town.kudoyama.wakayama.jp/Contents/7D8210E3B7/10/1002/1002.html ですから、「鳥居=神道・神社」という固定観念をいったん捨てましょう。鳥居には「原始的な門の形態」と見た方がいいかもしれません。 なお、寺院の門に鳥居を用いる場合もあります。 大阪市の四天王寺の西門は鳥居です。また、山岳信仰の寺院では一の門に鳥居、二の門に楼門という二門形式が多くみられます。 しかし、時代が下がるにつれて鳥居を寺院の門に使う様式は、山岳信仰の寺院を除いて減っていきます。 なお、神社から仏教色は廃されましたが、寺院内の鎮守社や祠まではあまり関係ありません。神道側が一方的に仏教色を廃したのです。 また明治初期は過激に行われましたが、それも一時的なもので、その後は以前通りに寺院境内に、神式風の祠を祀るようになりました。 なお、鬼子母神は仏教守護神です。それを神式の祠で祀っているのであって、神仏分離とかはあまり関係ありません。

kkemjy
質問者

お礼

ご回答ありがとうございいます! URLも興味深く拝見させて頂きました。 神仏習合とはいえあまりに立派な鳥居が寺の中に 堂々といくつもあるので、本当に興味深く見てきました。 >それは墓の鳥居ではないでしょうか? はい、そのようです。見つけました^^ 江戸幕末の盛岡藩主、南部利剛の神式の墓だそうです。 護国寺には他にもたくさん大きな鳥居がありました。 http://pddlib.v.wol.ne.jp/photo/gokokuji/nanbu/index.htm >「鳥居=神道・神社」という固定観念をいったん捨てましょう。鳥居には「原始的な門の形態」と見た方がいいかもしれません。 本当にそうですね、私自身は特に仏教、神道わけて信仰している 訳では無いのですが、違いと信仰がくっついている物を 探すのが面白くて神社仏閣回りをたまにしています。 お寺に神道のお墓がある、面白いですね。 ありがとうございました!

  • Tacosan
  • ベストアンサー率23% (3656/15482)
回答No.4

実は「稲荷」の中には神道系と仏教系の両方があります. ちと調べると Wikipedia の「稲荷神」のところにちょろっと書いてありますね. 神仏習合の過程で稲荷神と荼吉尼天が同一視されるようになったのかな? なお最上稲荷と同様, 豊川稲荷もお寺です.

kkemjy
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます! Wikipedia 、読んでいたのですが見落としていました....。 稲荷って聞いただけでまず思い浮かぶには神社ですよね、 本当に面白いです。 ありがとうございました!

  • vvv789
  • ベストアンサー率13% (2/15)
回答No.3

神仏分離が、明治にあり、ほとんどの寺院では、鳥居などは、移されました、(例外は、あります。)戦後になってから神社や鳥居をまた戻した場合が、多いです。神仏分離のせいで現代の一般人は、神と仏は別物と考える人はいますが、現代の僧侶や信者には、神と仏は同じようなものだと考える人もいます。

kkemjy
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます! 戻された物も多いんですね。 >神と仏は同じようなものだと考える人もいます。 私もそうかもしれないです。 自然に神道、仏教の行為をしているので。 別かどうかもわからない若い人も多いそうですね。 ありがとうございました!

回答No.1

お説の通りです。 明治時代に神仏分離令が出るまで、お寺の中に神社があり神社の中にお寺がありました。 神様と仏様は神代の昔から平和共存していたのです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E4%BB%8F%E5%88%86%E9%9B%A2

kkemjy
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >明治時代に神仏分離令が出るまで、お寺の中に神社があり 神社の中にお寺がありました。 これは知っているのですが、なぜここは残っているのかな? と思い疑問に思ったのです。神仏分離令を逃れたのか.... ありがとうございました!

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